第30話 勇者か、魔法使い

「そんなに帰りたくないの?」


 自分から連れ出しておいて、そんなこと訊く必要あるかと思うが、あれから沈黙を続けるみずきに言ってやれる言葉がみつからない。既に同じような質問を何度も繰り返し、みずきは頷きもしなくなった。


 この店には夜9時前後に入った。現在10時半。ケーキ1つで1時間以上も粘り、迷惑な客だと思われやしないか気掛かりだ。多分周りからは親子だと思われているだろう。周りを見渡しても、親子連れはいなそうだった。夜にフラッとやってきて、たいした話もせず黙り込んでいて、娘に、帰りたくないの、なんて訊いてる父親は、客観視したら結構気味が悪い。そろそろ親子ではないとバレそうだし、店を出ることにした。たしか静岡の県条例だと、たとえ保護者同伴でも未成年を23時以降まで外出させるのは禁止されていなかったか。


 席を立つと斜め向かいの化粧の濃い女と目があった。歳は結構いってそうだった。浅黒い肌に、必要以上に目の周りを黒くした痩せこけた女、品のない赤い口紅の隙間からタバコの煙が漏れていた。

 横を通り過ぎる時、一緒の連れの男が見えた。禿げ散らかった頭髪で、安っぽいグレーのジャンパーの少し太っている男が、汚い音を立ててナポリタンを貪っていた。女がジロジロこちらを見ているので、何も悪いことはしていないのに、こちらから目を逸らしてしまった。いや、悪いことはしているのか。


 車に乗り込むと、シートベルトをしながら、これでまた住所を訊いたって答えてくれないだろうし、あまり夜ほっつき歩くのも疲れたし、宿泊するしかないのか、と思っていた。


「じゃあ、ホテル、行こうか」


 その台詞を吐いて、同時にその台詞が自分の耳に入ってくると、ちょっと待てよ、と今の台詞を頭の中で反芻はんすうした。なんだ今の言い方、女を口説く時みたいじゃないか、それに俺はこんな小さな子に興味はない、違うんだ、変な風に捉えないでくれ、ただ寝るだけでだから、ちゃんと普通のホテルだから、いやそういうことじゃない、何にもしないから、わ、余計気持ち悪い、いや俺はどちらかと言うと熟女の方が好きなのだ、どちらかと言うととは、もしかしたら幼児もいけるのか、バカじゃないの、もう1人でパニックを起こした。ただ普通にしてればいいだけの話、落ち着くまで少々時間を有した。コクッと、みずきが頷いた。


「もう遅いから、明日、朝帰ろう」


 またブルンブルンと首を振る。


「やっぱり帰った方がいいんじゃない?新しいお父さんは別にしても、お母さんの方は心配してるんじゃない?」


 もう逃げ出したい気持ちだった。このまま交番の前まで車で行って、ポンっとこの子を降ろせば済むだろうか。今までの自分の仕事を振り返っても、途中で投げ出すことが多かった。その計画性がないことも離婚の理由の1つだったと思う。

 結婚も、旅行先も、外食先も、離婚も決めてきたのは全部元女房だった。みずきとご飯を食べるのに、飲食店を探したが、気の利いたところは探せず、結局激安蕎麦屋。たかだか子供と食べる飲食店でさえ思い浮かばず、グダグタの選択。

 そう言えば、離婚を決めた日、俺が女房に言われたまま判を押した日、最後に美味しいもの食べたいな、と女房に言われて、俺としては色々と案を出したつもりが全て却下され、最後も結局ワタシが決めるんだね、と言われたことを思い出す。


「もう、ママのこと、嫌いになりたくない」


 みずきは、そう言った。どういう意味なんだ。実の母親とも、うまくいってないのか。だから家に帰りたくないという解釈でいいのか。


 まだ女房とうまくいっていた頃に言われた言葉を思い出した。ユウちゃんは、本当に女心がわからないんだなぁ。俺がどんな失敗をして、どんなことに気がつかなくて、どんな態度をとった時に言われた言葉が忘れたが、女房はな調子で笑っていた。娘が大きくなったら、女心がわからないパパなんて嫌われちゃうよ、とも言っていた。


「おじさんは、勇者じゃないの?」


 ユウシャ?みずきは意味不明の言葉を発した。ユウシャってあの勇者か。という意味で言っているのか。まだ子供の彼女はこの現状をRPGに見立てて冒険でもしてるつもりか。はたから見れば、これは冒険じゃなくて誘拐で、俺は勇者じゃなくて犯罪者だ。


 行く当てはないが、取り敢えず東の方向に車を進めた。なんとなく、清水区方面へ走っていた。

 人は悪いことや嘘をつくと体温が上がるらしい。だから、逃亡犯が逃げる時、寒い方面へ向かってしまうのだ、とテレビか本で見た記憶がある。神経の図太い悪いことを悪いと思わない人間は南国は逃亡するのだろうが、気の小さい人間はすぐ体温が上がってしまい、無意識に寒い方面へ向かうのだろう。本当か嘘かは知らないが、納得してしまう。


 とは言っても、移動した距離は駿河区から清水区の区間、隣の区までしか移動していない。とにかく疲れた。それに車という密室状態だと、みずきの体臭がキツい。家に帰っても、風呂さえ入れさせてもらえないのだろう。シャワーくらい浴びさせてやれば、いいだろう。俺は車を流しながら、適当なホテルを探した。俺の家はダメだ。住所がバレるのも嫌だし、未成年の女児を自宅へ上がらせるのはのような気がする。かと言ってホテルなら連れ込んでいいのかというとそれもダメだと思う。何もしてないから、なんて言い訳は通じなくて世間体的にダメだ。もう、何が良いことで何が悪いことなのかもわからなくなってきた。


 清水駅をちょっと過ぎた場所に、ホテルを見つけた。

 ロビーに入ると、ロビーには外国人が大勢いた。清水区は、三保の松原が富士山世界遺産に登録されて、外国人の旅行客が増えている。フロントマンと目が合うと深々とお辞儀をされた。


「すみません、安い部屋でいいので二部屋ふたへや空いてますか?」


 フロントマンに訊くと、二部屋ですか?と訊き返してきた。そうだった、小さい子供と来て二部屋は不自然だろう。フロントマンは当然親子だと思っているはずだ。


「え?一部屋ひとへや、一部屋」


「大変申し訳ございません」と腹部に軽く両手を添えて頭を下げた。多分フロントマンは、と聞き間違えたと解釈したのだろう、気に留めるそぶりもなくキーボードを叩き始め、また申し訳ないと言って頭を下げた。


「大変申し訳ございません。本日スタンダードルームが満席でして、現在デラックスルームなら御用意できますが、如何致しましょうか」


 少々値段が高かったが、これから他を探すのも面倒だったので承諾した。部屋入ると、さすがに子供と2人では広過ぎる部屋だった。セミダブルくらいのデカいベッドが2つあり、ベット同士が離れている。ソファもデカく、テレビもデカい。まあ、知らない子供と過ごすのだから、このくらい広い方があまり接しなくて済むか、と半ば無理やり納得し、それはソファで横になった。カーテンが開いていても、横になっているから真っ黒い空しか見えない。窓もデカくて、部屋の端から端まで窓ガラスだ。16階から見る夜景は綺麗なのか、多分覗き込んでも都会のネオンのように煌びやかではないだろう。


「うわぁー」


 みずきは広い部屋を走り回り、フカフカのベットの上でピョンピョン跳ねた。そして外を覗き込んで、また歓声を上げる。みずきが部屋の中で動き回るたびに、彼女の体臭が鼻についた。


「もう遅いから、お風呂に入ってきな」


 みずきは嬉しそうに大きく頷いた。


「すごいね。おじさん、魔法使いだね」


 勇者の次は、魔法使いだ。なにが魔法なのか、意味がわからない。みずきは目をランランと輝かせ、素直に風呂場に向かった。天井の電気が眩しい。目を瞑っても灯りは瞼を越えて、頭が痛くなる。俺は部屋の電気を消すのも、なんか変な気がして、右腕を顔の上に乗せて電気の灯りを塞いだ。

 風呂場から反響した声で、また歓声が聞こえた。多分風呂場もデカいのだろう。


 もう疲れた。


 俺はいったい、何をやってるんだろう。


 朝起きて、財布を見たら空になっていて、みずきが居なくなっていた。「ああ、盗まれちゃった」でいいから、もうこの状況から解放されたい。本当に何をやっているのだろう。

 世の中では「異世界」というジャンルが流行っているらしい。朝目覚めたらレベルが100くらいの強い勇者になっていただとか、全く別の世界に放り込まれて魔物を倒していくだとか、モテモテのイケメンになっていただとか、そういう素っ頓狂な設定のマンガや小説が今若い人には読まれているらしい。

 このまま朝起きたら自分の家で、元の生活に戻ってはくれないか。デカいソファもフカフカで、体がズッシリと埋まっていく感じ、睡魔が押し寄せる。


 軽い自分の鼾で、目が覚めた。シャンプーの匂いがして、みずきが風呂から出てきたことを知る。薄めを開けると、彼女は外を覗いて、また歓声を上げた。俺も風呂に入ろうとするが、体が重い。そのまま眠りに落ちた。


 次に目を開けた時は、既に日が差してした。真っ白い天井と、真っ白い壁と、真っ白いシーツが眩しい。元の生活に戻っていることを期待したが、ここは俺の家じゃない。じゃあ、金を盗んで彼女は逃げてってくれたかと思うと、また窓の外を見て歓声を上げている。もしかして、外を眺めたまま寝てないんじゃないかと思ったが、昨日着た紺色の方ではなく、白いワンピースに着替えていた。そのワンピースも白が眩しくて、寝起きの目にはキツい。


「ちゃんと寝たの?」


 俺がそう訊くと、大きく頷く。そして、ヒラヒラと黄色いチケットのような物を見せてきた。朝食のブュッフェのチケットだった。


「バイキングだって。おじさん、昨日お風呂入んないで寝ちゃったでしょ。早く入ってきて。早く、ご飯食べ行こ」


 嬉々としてはしゃぐ彼女の言うことを訊いて、俺は風呂場に向かう。とっとと朝飯食って、帰らせよう。俺は蛇口を捻り、熱いシャワーを浴びた。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る