第14話 最低な母親

 本日、こーんなに快晴なのですが、午後は次第に天候が崩れてきます。お出かけの際、洗濯物は取り込んでおいた方が良いでしょう。続いて1週間の天気です


 テレビは朝の情報番組が流れている。アイドル並みに人気が出ているお天気お姉さんと、スーツを着た背の低い気象予報士が談笑している場面が映っていた。娘は天気図が気になるのか、アッ、ウッ、と片言の言葉を喋りながらテレビ画面を指差している。その様子をデレデレとした顔で眺める夫。


「ひかりたん可愛いから、こんなお姉さんよりも美人さんになっちゃうねー。将来、芸能人かなー?」


 この溺愛ぶりが心配になる。その反動がもう一方にぶつけられているのだから。


「ねー、七海さん。前にも行ったけど、本当に海外旅行、行かない?」


 天気予報では午後雨の確率が高いと言っている。タオルもTシャツも、せっかくピンと張って干したのに、空は絵に描いたような青空なのに。ただ、少し遠くの方に目を向けると、東側に見える山の上には雲が漂い、別の世界のような空の色だった。ベランダから少し顔を出すと、階下のベランダが少し見える。皆んな洗濯物を出していた。

 私は様子を見ながら、お昼くらいに部屋干しに切り替えるまでは、外に出しておこうと決めた。

 こちらの気分のせいだろう、ポカポカしていたはずの部屋は、さっきと比べて少し寒く感じた。


「窓、閉めるね」


 私はベランダの窓を閉めた。


「えー、なんで。開けときなよ。気持ちいいじゃん」


 そう言って窓を指差す夫の真似をしてるのか、ひかりも指を差して、アーイ、ウーイ、と文句を言っている。微笑ましい親子の姿だった。


「ねえ、ねえ、それよりも本当に海外旅行、行こうよ。今年の年末年始は、もう予約取れないけどさ。次の年越しは海外っていうのもいいじゃん。ハワイじゃ高いって言うなら、グアムとかさ、ちょっと安いところで」


「んー、ひかりもまだ小さいし。勿体ないよ」


 夫はひかりを抱き上げ、私の前に腰を下ろした。


「勿体なくないよ。ひかりも、もう飛行機乗れるんだから、小さいうちから海外の文化とか触れておいた方がいいんだって」


 日本人観光客だらけのハワイやグアムで、海外の文化とは大袈裟だ。


「赤ちゃんだって、そういう旅行の記憶とかって残るんだと思うんだよね。でも、それよりも七海さんを海外旅行へ行かせてやりたいんだよ。今まで1人で苦労してきたと思うし」


 夫の気持ちは有り難かった。素直に嬉しい。だけど気がかりは、そこじゃない。


「ねえ、利喜人りきとくん。そろそろ警察に連絡した方がいいと思うんだけど」


 私がそう言うと、夫は俯いて、ひかりを抱きしめた。さっきまで部屋を照らしていた太陽の光はどこへ行ったのか、部屋の中が薄暗くなってきた。外に目を向ける。まだ雨は降っていないが、灰色の空。


、丸3日も帰ってきてないよ。どうしよう」


 長い沈黙。気づくと、ひかりは夫の膝の上で寝息をたてていた。夫は座布団を2つ縦に並べて、その上にバスタオルを敷き、その上にそっとひかりを寝かせた。

 夫は立ち上がって冷蔵庫へ向かった。ミネラルウォーターのペットボトルを出して、蓋を開けた。


「ねえ、どうしよう。警察に電話しちゃダメ?」


 静かな部屋には娘の寝息と、グビッと、夫が水を飲む音が聞こえる。夫は、ゆっくりとミネラルウォーターを飲んだ。私はズボンの膝の部分の生地を、ギュッと握った。夫が豹変するのが、怖かった。


「七海さん、海外旅行渋るの、のせいでしょ」


「ねえ、今はそういうことじゃなくて」


 夫は私の話を無視して、自分の言い分を続けた。


「前に言ってたじゃん。旅行で小学校休ませるのってなんか違う気がするって。それにお金もかかるからって」


「旅行の話は今度にしよう。ねえ、警察に電話しよう」


「いいじゃん。アイツのことは気にしないで、ひかりと3人で行けば。お金そんなにかからないじゃん」


「そうじゃなくて、ねえ、3日よ。なんかあったらどうするの?もし、誘拐とかだったら」


 夫はテーブルの上の籐の籠からスナック菓子を出し、私の前に座り、その封を開けた。


「誘拐?それだったら、もう犯人から電話とか来てるんじゃない」


 夫はボリボリ菓子を食べ始めた。


「身代金とかの連絡来てないんでしょ。なら、誘拐じゃないよ」


 うちの長女が居なくなって3日も経っている。みずきは私の連れ子だ。だから夫とは血が繋がっていない。


「じゃあ、帰って来ないのどうしてだろ。行方不明だよ。やっぱり警察電話させて」


 夫はスナック菓子を口に放り込み、それをミネラルウォーターで胃に流し込んでいる。お腹が空いて食べてるんじゃない。この会話で生じる苛立ちを抑えるために、ただそうしているだけなのだ。


「ただの家出だよ」


「まだ小学生よ。さすがに3日はおかしいわよ。それに最近あったでしょ。谷津山で女の子が遺体が発見されたっていうの」


「ああ、連続幼女殺人事件かもってやつ?」


「それだったら、どうしよう。ねえ、もう警察電話しよ」


 夫は立ち上がり、食べ終わったスナック菓子の袋をゴミ箱に捨てた。振り向いた夫は無表情だった。


「だから、警察はマズイって。虐待がバレちゃう」


「そんなこと、どうだっていいから。私がみずきを虐待してたでいいから、利喜人くんには迷惑かけないから。警察電話していいでしょ」


 私は母親として最低だ。なんとかしようと思えば、夫に断りを入れずしても警察に通報すればいいのに、夫の了承を得ようとしている。


 私の母はシングルマザーだった。父親の記憶はないし、母は家に取っ替え引っ替え男を連れ込むような女で、私は邪魔者扱いだった。私は自分の「家族」というものが作りたくて、前の夫、みずきの父親と結婚した。前の夫とは親と同居で、上手くやろうと努力したが、姑に気に入られなかった。毎日いびられていた。前の夫はマザコンで、私の味方にはなってくれなかった。姑に離婚させられ、みずきと一緒に追い出された。「娘は渡さない」と言うのかと思えば、前の夫の最後の言葉が「七海の血が流れてる孫は要らないって、母さんが言うから」だった。

 私のせいで、みずきが不憫に思えた。この子だけは、私のような辛い思いをさせたくない。1人でも必死で育てる、この子を一生守る、そう思って頑張ってきた。お弁当屋とガソリンスタンドのパートを掛け持ちしながら、1人でみずきを育て、みずきが小学1年生の頃、今の夫「関 利喜人」と出会った。利喜人くんは、みずきを可愛がってくれた。愛する私の子だから、みずきも愛している、とプロポーズしてくれた。私はそれを信じ、それに甘えた。結婚してからも、利喜人くんは娘の面倒を良く見た。

 ただ私と利喜人くんの間に赤ちゃん、ひかりができてから様子が変わった。ひかりを溺愛し、みずきを邪険にした。私はそれを黙認していた。

 みずきには申し訳ないが、ひかりが生まれてからのこの幸せを崩したくなかった。自分の親とも、最初の家族とも上手くやれなかったこの私が、利喜人くんのお陰で温かい家庭を持つことができた。みずきを守ることより、自分を守ることを選択してしまった。


「あの連続幼女殺人事件の犯人だって、まだ捕まってないのよ。なんかあったら、どうするの」


 夫はこちらを向いて、少し笑った。


「それだったら、都合がいいじゃん」


 ゾッとした。

 それは夫の台詞に対してではない。私も同じことを思ってしまったからだ。私は最低な母親。







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