第15話 関 利喜人(1)

 前の夫との生活は思い出したくもない。

 奨学金が出る大学を卒業して、就職した会社の上司、それが私の最初の夫。私は早く自分の親から離れたくて、猛勉強して、いい大学にはいれば、いいところに就職でき、いい旦那さんに巡り会えると思っていた。

 就職してすぐに上司に気に入られ、仕事も覚えていないうちに妊娠が発覚し、その上司と結婚。24の時にみずきが産まれた。その上司は会社役員の息子で、息子の将来も保証されている。間違えのない結婚だと信じていた。姑は、先に妊娠してしまったことで世間体の方を気にして結婚はさせてもらえたが、そこからは嫁いびり。ご飯の味付けが違う、掃除のやり方が雑だ、着ている洋服が下品だ、箸の持ち方やカーテンの色まで、どうでもいいことでネチネチと小言を言われた。でも、そんなことは慣れていた。実家にいる時と何ら変わらない。マザコンの夫は親と同居以外考えられないらしく、私を庇うこともしない夫に愛想を尽かした。

 姑は娘を抱いてくれなかった。私の血が流れているから汚いのだそうだ。そういう暴言だとか小さなが延々に続いた。私はどこへ行っても邪魔者なのだ。私は夫に離婚を申し出た。夫はすぐ姑のところへ報告に行った。その情けない背中を今でも覚えている。姑は困惑し、えらい剣幕で猛反対してきたが、それから1週間ほど寝込んでしまった。

 私は心の何処かでこうなることを分かっていたのだと思う。世間体を気にする姑を1番困らせるのは、息子の離婚だと。私はその切り札を使って困らせ、もしかしたらこの嫁いびりが無くなるのかと期待したのかもしれない。が、予想を反して姑は、どこで調べたのか、私が夫の勤める会社に入社したての頃に少しだけ関係のあった同僚を浮気相手だとし、非は私にあるとして家を追い出された。だから慰謝料も養育費も払わないということだった。


 私はまだ小さいと、安い木造のアパートに移り、職業を転々とした。せっかく就いた仕事もみずきが熱を出せば保育園に迎えに行かなければならず、突発的に休みがちな私を寛容な目で見る同僚はいなく、一つの職場に長く勤めることはできなかった。パートやアルバイトを掛け持ちするしかなかった。アルバイトを何個か移り渡って、今も勤めるガソリンスタンドに辿り着いた。

 ガソリンスタンドのオーナーは、そんな私を理解してくれ、休みやすいシフトを組んでくれた。学生のアルバイトが多く、突発的に休まれたり、辞められたりするので、そういうことには慣れているようだ。逆に他のアルバイトに休まれシフトが回らなくなると突然頼まれる時がある。そんな時は、もう一つのアルバイトが入っていなければ、快く出勤した。

 休みやすいシフトが組めるのは、アルバイトの人数が多いからだ。したがって出勤日数は少ない。だから、もう一つ掛け持ちしているアルバイトがあった。


 もう一つのバイトは、私の知り合い(むかし少しの間、体の関係があった男だが)が紹介してくれた。オーナーはレストランを経営しており、その片手間、新メニューの宣伝も兼ねて昼の時間だけ弁当をデリバリーする事業を始めるという。オーダーのあった会社に出向き弁当を販売する、その時新メニューの売れ行きの統計を取って、人気があるメニューをレストランの方でも展開するという仕組みだ。2人1組にペアを組み、一定の数の弁当を配布され、1ペア2〜3社回り、その売上の4割を店に、6割が配当され、1人頭3割の歩合制だ。全部売り切れれば店の儲けが出るが、売れ残りは出てしまう。元々の新メニュー開発の取り組みで、あとは店のコマーシャルが目的なので儲けは度外視している。

 一般の会社は休み時間が決まっているため販売できる時間が限られているが、小さな事業所だと休み時間前に時間を指定してくるところもあるので、レストランに弁当を受け取りに行く時間から数えて実働2〜3時間。価格は780円。弁当にしてはちょっと割高だが、このレストランが地元では最近話題になっているので結構人気だ。1日3件回って最低でも60食は売れている。売上も平均して4万は超えるので、配当されるのでバイト代も、だいたい1万円くらい。時給に換算したら、割のいいバイトだった。残りの弁当は処分するので、みんな貰って帰る。それを夕飯にするなど、主婦にとっては都合の良いアルバイトだった。

 この店、短い期間だったが激辛弁当がブームになったことがあった。その激辛弁当が売られた時期に利喜人くんと出会った。オーナーがジャマイカ旅行から帰ってくると新メニュー『ジャークチキン弁当』が開発された。人気が出たらレストランでも出すつもりだったらしいが、私も残った弁当を食べたことがあるが、とにかく辛すぎて喉を通らない。辛いというより、痛い。

 ペアに20食ずつ配られるのだが、初日は完売したが次の日から全く売れない。他のペアも同様、ジャークチキン弁当が売れ残る。売れ残った弁当を見て、オーナーはアルバイト達に、「なんだ、持って帰っていいんだぞ」と言うのだが、みんな互いに目を合わせて、居心地悪そうにモジモジし、お疲れ様で〜す、と静かに退散する。1週間売れ行きが悪いと、そのメニューは無くなるのだが、ジャマイカで食べたジャークチキンが余程美味しかったのか、味付けを辛さを抑えて改良するのだが、それでも辛くて売れない。オーナーはムキになって改良し続ける。


「いっそ、辛さ無しにしたらどうですか?」


 1人の厨房のコックが言うと、


「バカ、それじゃ照り焼きチキンじゃねえか」


 と、オーナーは譲らない。


 しまいには半額にしても売れなかった。他のペアは1つも売れなかったのだが、半額にしてから私たちのペアは1つだけ売れていた。毎回同じ人だ、それが利喜人くんだった。



 

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