第12話 都合の悪い来訪客
「どちら様ですか?」
モニターに映っているのは、眉毛の太い中年の男と、軽くウェーブのかかった髪の今時の若い男の2人組だった。中年の男は
無言でモニターを見ていると、中年の男が咳払いをし、若い男に顎で指図した。それに反応した若い男が中年男の視界に入らないよう顔を背け顔を歪め、もう一度インターフォンを押した。
「あのー、井口さんのお宅ですか、いらっしゃいますかぁ?」
若い男のか細い声に痺れを切らした中年男が前に出る。
「夜分遅くにすみません。静岡県警中央署の篠山と言います。いらっしゃいますよね」
篠山と名乗った中年男は、慣れた手つきでスーツの内ポケットから警察手帳を出し、開いてモニターに近づけてきた。顔写真と共に「篠山」と記載されている。スーツ姿なので刑事だろうか、何故うちに刑事が来るのか。いくらうちがゴミだらけだと言っても、他の家から苦情が来るほどではないだろう。
「簡単な聞き込み調査です。ご協力お願いします」
無視するわけにもいかなそうなので、モニターに「はい」とだけ返事をした。
「昼に受け持ちの交番の警察官が伺ったのですが、いつもいらっしゃらないということで、こんな時間になり、申し訳ないです。巡回連絡も兼ねての訪問ですので、すみませんが玄関開けていただけますか」
ゴミの部屋を見られるのを避けたかったが、変な疑いをかけられても困るので渋々扉を開けた。扉を開けると、封をしていないゴミ袋からペットボトルが3つ滑り落ち、中年の刑事の足元に転がった。
中年の刑事は再度警察手帳を見せ、若い男の刑事も慌てて胸ポケットから手帳を出して開いたが、写真も名前も逆向きだった。名前は「
中年男は手帳を逆さまに出した若い刑事に、ウンザリした目を向けた。若い男が新人刑事で、中年男は叩き上げのノンキャリアで教育係といったところか。
「最近の報道でご存知かもしれませんが、幼い子供の誘拐事件がありまして、最初の被害者が出てしまいました。その発見現場が谷津山でして」
中年男は顰めっ面の上に、引きつった作り笑いを貼り付け、顔に似合わない甲高い声で言った。
それはニュースで知っている。谷津山とは静岡市街地の東側にある標高100メートルくらいの小さな山だ。むかしは市内の小学生なら、何が楽しいのかみんな遊びに行った。頂上付近には神社や遊具があるが、今の子供達はあまり登らないだろう。今じゃあ近所の老人の散歩コースといったところか、子供の遺体は散歩中の老夫婦に発見されたという。
「聞き込み範囲を広げまして、こちらにも伺ったのですが、最近不審な人物を見たとか、なにか気になったこととか、ありますか?」
そんなこと聞かれたって、不審な奴なんてその辺にゴロゴロしている。こんな捜査したって、聞ける情報なんか、隣の家が煩いだとか、駐輪場に知らない自転車が停めてあるだとか、集められるのは事件に関係ないことばかりだろう。オレだって、こんなゴミの中で暮らしてたら不審人物って言われても仕方ないだろう。それこそ、常田の奴なんか、女の子のサンダル拾ってきたくらいだから、オレの、身の回りで1番怪しいのは、アイツくらいだ。そうかと言ってアイツがそんなことするわけがない。この間飲み屋でそんな話をしたばかりじゃないか。それにアイツが容疑者にされてしまっては、金を借りれなくなってしまう。
「なにか、ありますか?なんでもいいです」
中年男は無言でいるオレに何を求めているのか、額に汗をへばり付けて、なおも作り笑いを浮かべ、グッと近寄ってくる。近寄ったついでに人の部屋の奥を覗くような仕草をしたので、体を動かし、それを遮った。
それにしてもなんだろう。この中年男からは、苦い臭いがする。整髪料の臭いなのか、加齢臭なのか口臭なのか、それら全部なのか、なんらかの腐敗臭の入り混じった不快な臭いだ。もう50を超えているのだろう、細胞やら何やら体の至る所が古く腐っていてもおかしくない。まあオレも他人のことは言えない年齢なのだが、消臭剤や加齢臭を抑えるボディーソープやブレスケアなど、最低限の範囲は気を遣っているつもりだ。でなきゃ女を口説けない。それがマナーだろ、とこの男に言ってやりたいが、彼もこんな部屋がゴミだらけの人間にそんなこと言われたくないだろう。
それよりも文句を言いたいのは、この若い方の刑事にだ。さっきまでモニターの前で前髪をいじってた奴が、扉を開けた途端、今度は鼻を押さえている。
オレの家が臭いというのか。もう少し分からないようにとかできないものか。最近の若い奴は我慢ができない。その態とらしい態度に苛々する。
たしかにゴミだらけだが、料理といってもカップ麺や冷凍食品くらいしかやらないので、生ゴミは無い。カップ麺も食べ終われば濯いで捨てている。オレも食ったカスをその辺にポイポイ捨ててるわけじゃない。ちゃんとゴミ袋に纏めてある。ちゃんとゴミ捨て場に捨てに行けてないだけだ。
気を損ねたオレの態度に気づいた中年男の方が、若い刑事を見て慌てて膝で小突いた。
もし何かあればこちらに連絡ください、と中年男の方が名刺を置いていき、2人は退散した。中年男は帰り際、ご丁寧に扉を開いた時に転がったペットボトル3本を拾い、渡してきた。オレは玄関の鍵を閉めながら、足元のゴミ袋にペットボトルを入れ、口を縛った。
3日前の女房といい、さっきの若い刑事といい、腹が立つ。ペットボトルだって、ゴミだゴミだ、汚い汚い、というがゴミ袋に入れる前は口をつけていたわけだし、ゴミ袋に入った時点でモノはゴミになってしまうのか。いや、そうか、ゴミ袋に入ってる物は自分の出した物でなければ、それはゴミだな。要するに用を足さなくなったら、ゴミなのだ。柔道で怪我をして選手として用を足さなくなったらゴミ、家に金を入れず借金まで作り父親として用を足さなくなったらゴミなんだ。
そう考えたら自分自身も汚い物に思えてきた。もしかしたら、この部屋は本当に臭いのかもしれない。鼻を鳴らして部屋の匂いを嗅いだ。無臭ではない。脱いだ服から発せられているのか。ゴミ袋を一つ一つ持ち上げ鼻を近づけてみる。もしかしたら、このうちのどれかに小さい生物が混じっていて、それが腐った臭いを発しているのかもしれない。
どれだ?分からなくならないようにチェックしたものを隅に寄せた。そのチェックは玄関から始まり、奥へ進む。3LDKのそんなに広くはない家だ。今までチェックした中にはない。
そんなにキツイ臭いではない。ほんの少し生臭いというか、汗臭いというか、臭いという認識で嗅げば臭いが、べつに嫌な臭いではない。だが、放っておくと、それが嫌な臭いになる可能性がある。
もうどうでも良くなり始めた。鼻を無理矢理クンクン嗅がなければ分からない程度なのだ。放って置いてもいいか、せっかくここまでやったのだから全部チェックした方がいいか、ちょうど半分くらいなのだ。家を出て、丁度半分くらいの距離で忘れ物に気づいた時、例えばその忘れ物がスマホだったとしよう。スマホが無いことに気づき、スマホを取りに帰るか、このまま今日一日スマホ無しを覚悟し目的地へ向かうか。
そういう時はまず立ち止まる。そして何も考えないようにする。その場で一息座ってしまうのもいいだろう。そして気分が落ち着いてから、もう1度探す。ポケットを弄ったりバックの中を見たりすると実は持っていたりする。
落ち着けば、ある。
もしかしたら、そこからかな?
テレビ台の前のゴミの山の上、そこには3日前から動かない女房が横になっていた。
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