第9話 みずき(2)
みずきは、サンダルを新調したことが余程嬉しいのか、「ありがとう」と何度も言い、腹が減っていることも忘れて、ずっと自分の足元を眺めて歩いていた。
多分、周りの目からは普通の親子に見えているのだろうが、俺は普通の父親の立ち振る舞いを知らない。怪しい人間というのは、挙動不審で他人の目についてしまうのだろう。きっと俺は今、他人の子供を連れてきてしまった立ち振る舞いになってしまっているのだろう。周りの目が気になって仕方ない。他人と目が合う。他人はこちらを見ているのではなく、きっと俺の方がジロジロ見ているのだろう。
子供に汚い服を着せて、この親は何だ。
子供に話しかけ方が、おかしい人だなあ。
この子のサンダル、まだタグのプラスチック付いてるけど、盗んできたんじゃないか。
そう言われているようでならない。フードコートにいるのだから、この場で食べて帰れば済む話だが、早くこの場から立ち去りたかった。
幸いにも、みずきは腹が減ってるのを忘れているようなので、この商業施設から出て、ファミレスにでも寄ればいいかと、駐車場へ向かう。上階の駐車場へ向かうためエスカレーターに乗ろうとしたところ、雑貨屋が目に入った。オシャレな生活雑貨を売っている店だ。30代から40代くらいの女性客で賑わっている。鋏を買っていないことを思い出した。
100円ショップを探す暇はないので、その雑貨屋に入ったが、鋏が見つからない。店員に尋ねるのも
駐車場に着くと、レンタカーの中で先ほど買った物のタグを爪切りで全部切った。
「オジサン、ジュースでも買ってくるから、車の中でこれに着替えな」
小学生に向かって自分のことを「俺」とか「僕」はそぐわない気がして、自分で自分のことをオジサンと言ってみたが、年齢的にはオジサンであるから仕方がないが、子供と暮らしていない自分にとって使い慣れていない分、少々気持ち悪い言い方になってしまったな、と後悔しつつ、みずきの返事を待たずエレベーター前の自動販売機に足を向けた。
何が飲みたいのか聞くのを忘れたので、適当にコカコーラとファンタを買い、車に戻ると、みずきは紺色のワンピースに着替えて、雑貨屋で買った爪切りを手にして待っていた。
そっちにしたんだ、と俺はモゴモゴと口の中で誤魔化したような小さな声で言って、そそくさと運転席に座った。マジマジと見るのも気味悪いだろうし、似合ってると褒めるべきなのか、このくらいの女の子に対しどう接したらいいのか免疫がない。彼女は俯いて助手席に回るが、そのリアクションの薄さに傷ついたのか、気を損ねたのか検討つかない。
エンジンをかけて、ジュースを渡すと彼女はファンタを選んだ。
俺はコカコーラを開けて一口飲んでドリンクホルダーに入れた。空きっ腹の炭酸が胃を引きつらせた。最近歳のせいか、炭酸のジュースがきつい。ビールなら飲めるのに、甘い炭酸はあまり量が飲めない。
駐車場の出口に向かうため、立体駐車場の中をグルグル回り、カーブする度に炭酸が胃の中をかき混ぜ、ゲップが止まらない。
車の中で異臭がした。初めは俺のゲップの臭いかと思ったが、どうやら異臭はみずきから漂ってくるようだ。外では気づかなかったが、車という密室の中で、また駐車場をグルグル回って、車の中の空気がかき混ぜられて、俺の鼻に届いたわけだ。俺は、彼女が傷つかないように少しだけ窓を開けた。
「オジサンって、爪、切る?」
彼女の質問の意図が分からず、え?と聞き返すと、先ほどより少し声を張って同じ質問をしてきた。
駐車場の出口には「右折禁止」という立看板が出ているのに前の車は右ウインカーを出している。お陰で車を停車せざるを得なく、車を停めて彼女を見ると、手の中で爪切りをクルクルと回して弄っていた。
「ああ、爪切り?その辺に入れておいて」
俺は助手席のダッシュボードを指した。彼女は寂しそうな視線を向けてきた。なんだ、俺は返答を間違えたのか、それとも言い方が冷たかったのか。
「これ、流行ってるんだよ」
また何を言ってるのか分からず、え?と聞き返すと、なんだか聞いたことない名称を言い出す。少し時間をおいて、どうやらこの爪切りに描かれているキャラクターの名前なんじゃないかと気づいた時、後ろの車からクラクションを鳴らされた。
顔を上げると、前の車はもういなくて、俺のせいで後ろが詰まっていた。慌てて車を出した。
どうやらこのキャラクターの爪切りが欲しいのではないかと察しがついた。多分爪切りが欲しいのではなく、このキャラクターのグッズが欲しいのだろう。丁度彼女の手の爪は伸びていた。いつ切ったのだろうと思うほど、ところどころが黒くなっている。
「それ、使う?」
今度は彼女が、え?と聞き返してきた。
「使うなら、あげるよ。爪、伸びてるし」
彼女は遠慮しているのか、すぐに返事をしなかったが、やはりまだ子供だ。嬉しさの方が顔に出てしまって、嬉しそうな顔を向けた。なんとなく微笑ましく思った。彼女の一時遠慮した気持ちを尊重し、使ってくれるなら貰ってください、と大人の対応をした。彼女は花が咲いたような満面の笑みで、ありがとう、と言って自分の周りをキョロキョロ見た。着替えた服のポケットを探しているのだ。買った服には胸元に飾り程度のポケットがあるだけで、彼女はそこに爪切りをしまった。物を入れるためではなく、ただのデザインのためポケットは小さく、爪切りは半分が飛び出していた。さっきの服屋で、バックも買ってあげれば良かったと後悔した。
俺は子供が苦手だった。うるさいし、馴れ馴れしいし、知らない相手に、ちょーだいちょーだいちょーだい、と物をせびる図々しいガキを想像してしまう。でもこの子は、遠慮というものを知っているのか、大人しく、控えめだ。この子を見ていると、もう少し子供っぽく、図々しくてもいいのではないか、と思った。
育ちがいいのか、と考えたが、多分それは違う。この子はきっと虐待されている。汚い服に、サイズの合っていない靴。多分この臭いも、しばらく風呂にも入っていないのではないか。ネグレクトか。
もしかしたら服も買えないほど貧しい家庭なのか、と頭によぎったが、やはり虐待を疑うのは、彼女の痣。初めて会った時も気になったが、見えてるところに痣や傷があった。
もしかしたら身体中にあるのかもしれない。
そして俺はなんなんだ。
その虐待に遭っているであろう子供を連れ出し、正義のヒーロー気取りか。服を買ってやって、これから飯を食わせ、それからどうするつもりだ。服を買ってやって、飯を食わせるなんて、女を口説くのと同じようなことをしているが、俺は変態ではない。幼い子供になんて興味はない。
中途半端に連れ出して、俺の勘違いだったらどうするんだ。たとえ、虐待児であったとしても、これじゃあまるで誘拐犯だ。
取り敢えず飯を食いながら、みずきに聞いてみよう、飯を食ったら、やっぱり家に帰してあげた方がよい、だって他人の子だ、俺が助け出してやるなんか
運転しながらファミレスを探すが、こういう時に限ってファミレスが見つからない。
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