第5話 公園
翌日、その翌日と上司の嫌味と部下の陰口をいつも通り流し、淡々とやり過ごした。
「常田さん。これ一応目ぇ通してもらって、
部下から出された見積書には、担当者→課長→部長→社長と判を打つ場所が4つあり、俺は課長でもなければ、そんな部署などないから役職も何もないのだが、部下は順番からして歳の多い俺の所に持ってくる。決定するのはワンマンな社長なのだから、俺の判なんてただの形式だ。碌に目も通さず形式だけの判を押す。「あーざーす」と部下は受け取ると、次に歳の多い町村さんを探すが、外出中でいないのか、部下は勝手に町村さんのデスクを開け、勝手に判を押していた。
町村さんとは、俺よりも3つ歳上だが、そんなに歳が近いとも思えないほど、頭が禿げ上がっている人だ。白髪だと禿げない的な都市伝説があるが、町村さんは禿げている上に残った髪は白く、その残った両サイドの毛を長く伸ばしている。若い社員が影で「
町村さん以外に俺よりも歳上は、社長と、主に経理の仕事をする副社長みたいな人と、俺に説教をする上司だけだ。
子供の頃プラモデルに夢中で、早く組み立てたくて、説明書の順序なんか無視して、出来上がってみるとそこには余った部品があった。俺はその余った部品だ。手足も動くし、外れてしまいそうな所はない。俺は会社の歯車にもなれていない。
この部品なんなんだろう、だって無くてもちゃんと動くぜ!
子供の頃の俺は得意になって友達に言った。その余った部品をバカにして、プラモデルのランナーにくっついたままの部品をポイっと捨てる。部下たちは俺のことを、そう見ているのだろう。町村さんだって同じだ。押したって押さなくたっても、どっちだっていい判子みたいな存在。
取り敢えずの今日やらなくてはならない書類関係は終わり、取引先とのアポもないので、やることがない。終業時間まであと1時間弱あったが、上司のどうでもいい説教に捕まる前に帰り支度をし、しばらく座っていたが、もう何もかもどうでもよくなった。無遅刻無欠席の真面目な俺が、終業時間までまだあるのに上着と鞄を持って席を離れようとも誰も気がつかない。
俺は退勤カードも打たずに、そのまま事務所を出た。
エレベーターを待っていると、ちょうど出先から町村さんが戻ってきて、「今から外出ですか?大変ですね」と声をかけてきたので、「いいえ、帰ります」と言い放ってエレベーターに乗ると、扉が閉まるまでの間、町村さんはこちらに不思議そうな顔を向けていた。
どうしたんだろう、と自分でも不思議に思う。なにがキッカケなのかわからないが、急に色んな事がどうでもよく思えた。
原因は、部下の判子を貰いに来る態度なのか。理由もなしに早退しようとしても誰も気づいてくれないことか。もっと
退社時間ではない街並みは、いつもと違って見える。歩く人走る車の数、店先の活気、まだ点灯されていない街灯など、いつもと少し違うだけで、全くの異世界に迷い込んだみたいだ。自分1人だけ突き放されている感覚。車のクラクションが鳴った。俺に向けてではない。だが、俺が車道を飛び出したとしても、クラクションすら鳴らしてもらえず、もしかしたら車にも接触せず、車は俺の体をすり抜けて行ってしまうのかもしれない。存在のない部品。
死にたいのではない。そんなに苦しい思い、痛い思いまでして、死にたいとは思えない。この感覚はなんなのだろう。
むかし、町村さんが言っていた。「男にも更年期障害あるから、気をつけた方がいいよ」。なにを言ってるんだこのハゲは、と聞いていたが、これのことだろうか。
ただ歩いていた。駅に向かうでもなく、呑み屋街に向かうでもなく、ただ足を左右交互に前に出していただけ。そしてあの公園に辿り着いた。
あの女の子がいた。
砂場でもない、公園のただの地面を尖った石で掘っていた女の子は、こちらを見て「あっ」と声を出して立ち上がり、背を向けたが、振り返り俺を見つめ返した。
「どうしたの?」
俺はどんな顔をしてたのだろうか。
「泣いてるの?」
気づかなかった。顔を触った。頰が濡れていた。俺にもなんで泣いているのかわからない。
女の子は、俺と若干の間を取り、こちらを見つめている。女の子はこの間の白いワンピースと汚いピンクのサンダルを履き、この間と同じ装いだった。
よく見るとワンピースも汚れていて皺だらけだった。女の子の膝や肘には切り傷があり、腕や脛、頰は黒ずんだ痣があった。
公園は少しずつ、暗くなっていく。
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