第4話 サンダルの片方

「なに、それで子供のサンダル持ってきちゃったの?お前、変態じゃん」


 公園で起きた後の電話で、俺は取引先の午前中のアポをすっかり忘れていて、上司からこっ酷く叱られ、げんなりしているところ井口から呑みの誘いがかかり、こうして2日連チャンで彼と呑んでいるのだ。


「俺も咄嗟だったんだよ。なんか捨てるに捨てれないし」


 今、目の前にはビールが半分になったジョッキと、ピリ辛きゅうりと、刺身の盛り合わせ、それと拾ったピンクのサンダル。

 サンダルは古くて鼻緒のところが取れかかっているものをビニールテープで補強してあった。今日日きょうびこんなにボロボロになるまで履く子供がいるのか。物をすぐ捨てる現代だからこそ、物を大切にしろという親御さんの躾なのか、と考えても養育費も払っていない生物学的にいうところのただの父親でしかない俺にはわからない。


「汚ねえな、食ってる時に。そんなん捨てちゃえよ」


「でも、片足無くて困ってねえかな」


「んなもん、親が買うよ。っていうか、靴なんで1足しかねえんじゃないし。捨てちゃえ、捨てちゃえ」


 今更ながら後悔した。そのまま放っておけば、後で本人が取りに来たのかも知れないし、多分こんなに古いサンダルなんで取りに戻らないだろうが、これを処分することを考えたら罪悪感が湧いてきた。


「いや、捨てるのはマズイんじゃないか?」


「じゃあ、その子の家探して届けんの?それ気持ち悪ぃよ」


 インターホンが鳴って玄関出たら、知らない男が、これ娘さんのものですよね、なんて古いサンダル持ってきたら、それは気味が悪いだろう。財布拾って、免許証かなんかで住所がわかって、それが金銭だったらまだしも、態々わざわざ捨てるようなサンダル持ってきて、なんで家知ってんだってことになれば、かなり危ない奴だと思われるだろう。


「それこそお前、幼女連続誘拐殺人事件の容疑者にされるぞ」


 井口が言うことはもっともだ。

 事件解決を急ぐ警察にとって、疑うのにこんな好条件な男はいないだろう。

 それに別れた女房に連れていかれた娘を忘れられず、同じ年頃の子供を誘拐し、言うことを聞かないからと殺害を繰り返し、またうだつの上がらないサラリーマンが元女房に捨てられたショックで大人の女性に恐怖心があり、幼女にしか手を出さない変態野郎だと、週刊誌には面白おかしく書かれるだろう。

 世間の目は、容疑者にされた時点でもう犯罪者だ。もし娘が俺のことを覚えていたとして、容疑者としてテレビに映る俺のことを、一体どんな目で見るのだろうか。


 俺は帰りにどこかのコンビニのゴミ箱で捨てようと、コンビニのビニール袋にサンダルを入れ、ビジネスバックに仕舞った。


「それよりもさあ、オレ、今ちょっかい出してる子がいてさ、取引先の子で22歳。若いから、金かかんのよ」


 突然、井口がとんでもないカミングアウトをしてきた。3世帯も養ってまだ飽き足らない。

 聞けば、最初に結婚した奥さんとの間に産まれた1番上の子は23歳だという。よくもまあ、自分の子供よりも歳下の子に手を出せるもんだ。

 この脳みそまで筋肉の、経済力と精神力と精力は、底なしなのか、と畏怖の念が込み上げる。


「お前、自分の人生の半分も生きてない子なんかちょっかい出したら、それこそ幼女誘拐犯だぞ」

 井口はヘラヘラした顔で、だな、と言ってビールのお代わりを頼んだ。

 オレはロリコンだから、そのサンダルを寄越せと彼は冗談を言った。


 止めとけ、冗談に聞こえない、俺が言うと、なに丁寧に仕舞ってんだよ、宝物か、と彼は顔でゲラゲラ笑う。


「って言っても、お前昔から年上好きだったよな。確か2人くらい先輩と付き合ってなかったか?」


 そう言えばそうだ。俺は年下の女の人といると気を遣って疲れる。あまり人前でベタベタするのも苦手だ。色々勝手に決めてくれるような相手でないと長く続かない。元女房も年上だった。そして離婚も勝手に決められていた。


「だからお前の場合は、じゃなくて、だな」


「幼女も熟女も誘拐してねえよ」


 たしかに若い時は、年上が良かった。でも今の年齢になって年上が好きというと、もうババアだ。あまり若いのは苦手だが、30代そこそこがいいと言うと、もう20代後半から熟女と言うんだよ、と井口は得意顔で答えた。

 井口とくだらない会話を延々としているだけなのだが、久々に楽しかった。

 真っ直ぐ帰っても誰もも待っていない俺には、昨夜の井口との偶然の出会いはありがたかった。

 人付き合いが苦手な俺は、結婚するとそれを理由に真っ直ぐ帰っていた。離婚して独り身になったところで、普段付き合いの悪い俺には、誘う相手がいなくなっていた。でも殆どの亭主はそうやって真っ直ぐ帰る。

 井口も周りの家庭の友達は皆付き合いが悪いから、俺みたいなのが好都合なのだろう。色々と付き合ったところで金も減るし、「嫁が.....」なんて断る。暖かい家庭になんて感じてないだろうし、それは無くしてみないと気付かない。子供たちも大きくなれば父親になんか寄り付かなくなるだろうが、それでも大抵の奴は帰る場所がある。


 本人は気づいていないだろうが先程から腕時計を見る回数が増えている。自分の娘より歳下の子にちょっかいを出している、真っ直ぐ帰らない井口にだって帰る場所がある。俺の帰る場所は、ただの寝床だ。


 俺は気を遣い、明日仕事で早出しなきゃならないから、と御開きにしてあげた。

 なんだよ付き合い悪ぃな、と井口は悪態を吐いたが、帰るタイミングが作れて、ほっとした顔をしていた。


 店の外で別れ際、酔っていたので不謹慎にも、じゃあな幼女連続誘拐犯と言ってやると、うるせえ熟女連続誘拐犯と言い返され、後から出てきたカップルに変な目で見られた。


 駅に向かわず、少し時間はかかるが歩いて帰ることにした。途中のコンビニでサンダルを捨てるためだ。

 しかしゴミ箱が見つからない。コンビニはいくらでもあるのに、最近は店の外でマナーの悪い人たちがたむろするのを防ぐためにゴミ箱は店内に設置してあるところが多い。

 店の中には防犯カメラもあるし、ゴミだけ捨てると注意してくる店員がいたりする。それに、こいつ何捨てたんだって、捨てたものチェックされ、子供のサンダル片方が出てきたら通報されて、真っ先に容疑者だ。いや、俺は悪いことは何にもしてない。


 結局、あの公園の側まで来てしまった。


 あのベンチの上に置いてこよう。


 辺りを確認し、誰もいないことを確認すると公園に入った。誰かが見てたとしたら、その行為こそ怪しい。

 ビジネスバックからサンダルが入ったビニール袋を取り出すと、サンダルを袋から出しベンチの上に置き、さっさと帰ろうと踵を返した。


 ジャリ、ジャリ、ジャリ。


 もの凄い勢いで物音が近づいてきた。驚いて振り返ると、何かが走り去った。白い服の背中が見えた。昼間の女の子だった。ピンクのサンダルを、リレーのバトンのように持ち、走り去った。


 ジャリジャリと音が聞こえたのは、公園の小石がゴムサンダルと擦れる音だった。その「ジャリ」と「ジャリ」の音に間があるのは、まだ彼女のサンダルが片足だったからだった。暗がりの中、女の子の足の裏が見えた。



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