毛髪サンシャイン

髪を顔で隠すのに慣れてから一体何日たっただろう。

いつのまにか私の視界には黒いカーテンが当たり前になり、太陽がカーテンの奥でけたましく輝いているのだ。


普通のカーテンも必要ないぐらいの大雨が降っていたある日。

「…やっぱり切った方がいいかな」

洗面台の前で私は30分悩んでいた。

この前の植え込みでの漫画の話から、竣くんとはよく話をするようになった。

漫画だけではなく、図書室の小説の話や伝記の話も少しだけした。

これは、この前までの私にとっては大いなる進歩である。

「…でも美容室は怖いし…」

この私がオシャレな事が必須条件!なごとくキラキラした格好をした人からマシンガントークを叩き込まれるのはライオンの群れにネズミが紛れ込んだのと同じだ。

「…ママに頼もうかな」

悲しいことにそれぐらいしか選択肢がなかった。パパは流石に遠慮したい。いや、パパの事は好きだけど髪を切ってもらうのはちょっと…。

「どしたの、陽代ちゃん」

「ほわあ!」

突然のママの声に私はびっくりして左手のヘアブラシを落としてしまった。

「あの、これは、その…」

「……ふふ〜〜〜ん?」

あ、これは絶対からかわれるやつだ。


「そっかそっか〜〜〜!!陽代ちゃんにまた友達が出来たのね!!しかも男の子!!どうして言ってくれなかったの!お赤飯炊いたのに!」

「そうやって騒ぐからだよ!」

居間のソファーの上で体育座りしていじける私の隣でママはどんちゃん騒ぎだった。

「で?」

「…でってなに」

「好きなの?」

「…好きじゃなきゃこんなに悩まないよ」

私の久々の友達なんだ。好きじゃないなんてありえない。

「…ふう〜〜〜〜ん」

ママがニヤニヤしながらそう言ってきた。誤解されてるような気もするけど…まあいいか。否定しても通じないだろうし。

「それで陽代ちゃんは、相手の子のカッコいい顔を見ないで話すのは失礼だから、髪をどかそうとした、これで合ってる?」

「正解…」

ママは、こういう所はきっちり私の考えを当ててくる。ちょっと恋愛脳すぎる気もするんだけど。

私が髪の先をつまんでいじっているとママが突然ソファーから立ち上がった。

「そっかそっか。じゃあ…ママに任せなさい!」


翌日。空はすっかり晴れ模様で水たまりには太陽がギラギラ輝いていた。下を向いて走っている私の目に良くない。

私は一目散に校門を駆け抜け教室に入り顔を突っ伏した。

これは、これは見られるわけにはいかない。

クラスメイトに見られようものなら吐く。絶対吐く。

私は決して顔を上げないまま、必死に空気を装って過ごした。給食は吐きたくないので食べなかった。

そしてまあ。必然的に放課後になるわけで。

HRが終わり、私は前髪を両手で隠しながら竣くんを探した。彼は目立つ。いやでも。

中1にしては高い身長。

綺麗な肌と髪。

清潔さと冷静さを全身から溢れさせるだけで大人びて感じ若い子は雰囲気で落ちる、と青年漫画に書いてあったような気はするが……

実際彼と友達になって彼の事を少し良く見るようになったが、彼は私が見る時にいつも私以外の誰かにも見られているような気はする。まあ、告白を間近で見てしまった経験もあるし彼がモテるっぽいのは間違いないだろう。

…大人っぽいのは身長だけだと思うけど。ビクビクしてる所や笑った顔は、まだ小学生みたいだけど。

竣くんは落ち着かない様子でキョロキョロ周りを見回してきた。私を探しているのだろうか。

でも、ここで彼と会うと目立つ。竣くんはぼっちの癖に人の目に鈍いのかそういう事を考えずに動くきらいがあると思う。この前の本の時は隠れてた癖に。コソコソ見られると気づかないのだろうか。現に私にも気づいちゃいないし。何人か女の子が見ている事にも、気づいちゃいないでおろおろ誰かを探してる。

…出て行ってあげようか。どうせ行き先は図書室かあの中庭しかないし。一緒に行けば楽だし。うん。

わたしが竣くんに近づこうとした、その時。

「あ、先生!」

竣くんが学年主任の小田先生を見つけて、駆け寄って行った。

「お、提出物か」

先生はそう言って竣くんがカバンから出した提出物を受け取った。

それだけしか私は見ていない。

私は階段を一目散に駆け降りた。早くあの場から消えたかった。

私。

何を思い上がってたんだろう。

2階まで降りた瞬間、不幸な事が続く。

「キャッ!」

顔を塞いで歩いていた私は誰かとぶつかった。

「ご、ご、ごめん、な、さい!」

私はどもりながら謝ってまた走り出した。

最悪だ、最悪だ、最悪だ。

やっぱり髪型変えて、前の景色が変わったって何もいいことなんかない!


「今の子、うちのクラスの華詩さん…?」


中庭の裏に逃げ込むように入り、そのまま制服の汚れも気にせず座り込む。

…思い上がっていた。

これほど恥ずかしいことはない。そもそもはじめて会ってから1カ月も立っていない。私が竣くんの何を知ってると言うのだろう。

…本が好きな事は知ってる。

…1人で廊下にいる時はいつも足が震えている事も。

…あの漫画「蝶々浪漫日」を貸してくれたお姉さんがいる事を。

…他の事を考えてると周りの目をあまり気にしない事。

…ときどき強引な事。

…そのくせ距離が近いと顔を真っ赤にする事。

でも、それだけだ。

私は彼の過去を知らない。

私は彼の家族の顔も知らない。

私はクラスでの彼を知らない。

私は……

「…ん?」

そういえば。

彼のことを知らないだけで、こんなにも気持ちがぐちゃぐちゃになるなんて思わなかった。

いや、いつも彼…竣くんには気持ちをぐちゃぐちゃにされるけど。

なんでか、なんて考えたことなかった。

なんでなのか。

知らない事に気持ちがぐちゃぐちゃになるのは。

それは、知らない事が嫌だからだと思う。

だから、つまり。

「……そっか……」

私は。

もっと、彼を知りたいんだ。

そうだよ、うん。

友達のことを知りたいのは、きっと当たり前だ、と思う。

私は普通。全然フツー。

「うん、そうだよ、ごくごく当たり前…」

「…何が?」

「!?」

私が驚いて顔を上げると悩みの種の張本人がいた。

しまった、声に出てた!

「!?!?」

竣くんも目を見開いて驚き、冷や汗をかきながら真っ赤になって目線を逸らす。

ま、まさかパンティでも見えた!?

慌てて下を確認するも…無事。

え、じゃあなんでだろう…嫌われた…!?

「……………華詩さん」

「は、はい」

互いの声が震えていた。おいおいこの緊張感はなんだよ。今日は私が勝手に落ち込んだだけなのに。

彼が口を開こうとした時、私は覚悟して目をつぶった。

「……かみ、がた。かえたんです、ね」

「………あ」

「………可愛いと、思います」

そうだ。私は今。

ママにやってもらったヘアアレンジで前髪が短くなっているのだ。

長い前髪を後ろで編み込んでお嬢様スタイル〜♫なんて言ってた。私も鏡で見たときにおお…と声を出してしまったほどだ。結局恥ずかしくてずっと学校では隠してたけど。

え、あ、あ。

忘れてた。やばい。顔から火が出る。

頭が茹る。なんだ、なんだよもう。

瞳が渦巻くように動き、視界がギュルギュルと歪み出す。

でも、それは彼も同じだったようで。

ふと。

両目が合った。


時間にして数秒だが、私にとっては長すぎた。


「…トイレ」

「‥‥‥はい」

「トイレ、イッテキマス」

私は口と下半身を押さえながら駆け足で中庭を後にした。


私がトイレでどんな目にあったかはもう思い出したくない。

結論は。

太陽は、直接見ると火傷するのだ。

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