第7話 けして悪者ではない



 ――草取りアヤカ。ローランドにおいて、その名を知らない者はあまりいない。



 理由は色々ある。いちおう、普段の奇行だけが理由ではない。


 名誉ある意味合いで呼ばれることがあまりない二つ名ではあるし、事実として、侮蔑の意味合いを込めて『草取り女』と彼女を嘲笑する者もいる。


 しかし、全てではない。中には、アヤカのことを高く評価している者もいるのだ。

 それは何故か……答えは二つ。


 それは、アヤカが同年代と比べて欲が無い事と、彼女が未だに独り身である……この二つであった。



 特に評価されるのは、前者……すなわち、欲が無いという点である。



 普段から金が欲しいと喚いているのに欲が無いとはコレ如何に……と、第三者が聞けば首を傾げる話だろう。しかし、アヤカと付き合いがある者が聞けば、だいたいの人は頷くことである。


 何故なら、アヤカは分相応というのを理解し、それ以上を求めても碌な結果にならない……それを、彼ら彼女らは知っているからであった。


 意地汚い事はするし、しょうもない事を考えたりはするが、犯罪(窃盗など)には手を染めない。


 時間はきっちり守るし、相手が子供であっても礼節を持って接し、けして高圧的な態度は取らない。



 そのうえ、状況によっては上手く機転を利かせてくれることもある。



 機嫌が良ければ依頼内容にはない事もサービスしてくれることもあるし、奇行こそ目立つが、見た目は良いし善人でもある。


 つまり、そう、奇行という点さえ除けば、嫌われる要素があまり無いのだ。そのうえ、そもそもの仕事も真面目にこなしてくれる点も、アヤカの評価に繋がっていた。



 ……当たり前といえば当たり前かもしれないが、この世界においては奇行としか言い表しようがない行動を取るアヤカでも、仕事となると真面目である。



 例えそれが、草取りとも呼ばれる低賃金の仕事であろうとも、だ。


 屈んだり立ち上がったりと体力的に辛いわ、やろうと思えば子供でも出来るから賃金は安く抑えられているし、時にはモンスターによって命の危険も伴う。


 主に成人前の少年少女や現役から抜けた老人、時間が余った主婦や次の仕事への繋ぎ代わり(ある種のボランティアの側面が強い)に現役の冒険者などが担っているが……薬草採取というのが割に合わない仕事と言われれば、それまでだ。


 何故かと言うならば、体格や体力的に未熟な少年少女、衰えてしまっている老人が行けるのは町から近場まで。成人し体力もある主婦は時間に制限があるので、結局は近場まで。


 冒険者は森の奥まで入って比較的希少な薬草を集めてくれるが、あくまで本業の繋ぎでしかない。だから無理はしないし、疲れたらさっさと帰るから、こちらも基本的には近場まで。


 何事も、命あっての物種。故に、集まる薬草の量にもバラつきがあるし、そもそもの単価が低いから、わざわざ危険を冒してまで探そうとはしない。それが、薬草採取に関する現場の実情であった。



 しかし……はいそうですか、とは済まないのが御上(役所)である。


 薬草……すなわち、医薬品は人々の営みからは切っても切り離せられない必需品。故に、需要が上下することはあっても、無くなることは絶対にない。


 だから、御上(役所)としては一定量の薬草は確保しておきたい。そのうえで、万が一モンスターと遭遇しても逃げ切れる可能性の高い、健康な若者にやってほしい。


 それが、御上の本音である。しかし、どの世界に限った話ではないが、血気盛んな者ほど上昇志向が強く、より割りの良い仕事を求める。


 それが若者ともなれば、出世とは無縁の、それでいて報酬も安く割に合わない薬草採取なんて、見向きされないのはある意味当然の結果であって。


 ……様々な思惑はあるにせよ、犯罪に手を染めることもせず、真面目にせっせと薬草採取を行ってくれるアヤカは、お偉方からすれば有り難い存在なのであった。








 ……。


 ……。


 …………まあ、当人がそれを知れば果てしなく調子に乗るのは考えるまでもなく明白なので、今の所アヤカにその事は知らされないままであった。



 さて、だ。そんなふうに自身が評価されていることなど知る由もないアヤカと、後に続くイノセントは、町の外へと出て森の中を迷いなく進んでいた。


 辺りに、人の気配はなかった。まあ、当然だ。町中や行路とは違い、人々がすれ違うことなんて早々ない。また、アヤカが先日にて足を踏み入れた場所とも違う。


 アヤカたちがこれから向かうその場所は、モンスターの数が少なく、かつ、繁茂している薬草の割合が多い場所だ。


 言い換えれば、モンスターの死骸などから収入を得る人たちがあまり足を踏み入れない場所でもある。


 特に、入口があるわけでもなければ通路が用意されているわけでもない森の中……すれ違う方が奇跡的な確立であった。


 さて、だ。包み込むように広がる濃厚な緑の臭いは、ともすればむせてしまう程だ。人によっては苦痛を伴う程の青臭さの中を、アヤカは慣れた手付きで眼前の枝葉をぶった切っている。


 どうしてかって、そんなのは枝葉が邪魔だからだ。縦横無尽に枝葉が伸びる自然界には、そう都合よく移動する為の通路なんてものはない。


 比較的に往来がある所ならば先人たちが簡易な通路を作ってくれているが、ここは違う。それ故に、通路の確保には枝葉の伐採が不可欠なのだ。



 ……使用する刃はもちろん、イノセントの本体でもある伝説の剣である。



 さすがは伝説の剣、というやつなのだろう。その切れ味は、アヤカがこれまで使用してきた刃とはモノが違う。まるで豆腐を切るかのような感触に、あっという間に道が作られてゆくのであった。



 ……ちなみに、その背後にて。



 少しばかり遠い眼差しになっているイノセントが、「こ、こんな使われ方をされるなんて……」ぶつぶつと愚痴を零していた。その愚痴が届くことはなかったのだが……まあいい。


 話を戻すとしよう……というか、変えよう。これからアヤカが採取する『薬草』についてだが、実はコレ、特別珍しくはない野草である。


 さすがにそこら中に生えているわけではないが、森の中を歩けば一度は目に止まるであろう代物だ(だから、単価が安い一面もある)。


 しかし、いちいち闇雲に探し回るのは効率が悪いし、量も集められない。只でさえ単価が安いというのに、そんなやり方では最悪、一日を棒に振ってしまうだろう。


 だから、アヤカのように薬草採取で生活しようと思ったら、薬草が数多く繁茂している場所を幾つか秘密裏に見付けておくのが重要である。


 そして、その場所を他の者に知られないようにするのが肝心であり、これからアヤカが向かう場所も、アヤカしか知らない秘密の採取所の内の一つであった。



 ……。


 ……。


 …………傍から見れば、それは何とも奇妙な光景であっただろう。


 ふんふんふん、と鼻歌を歌いながら進む全身青色ラバーウーメン。腰がまるで入っていないというのに、スパスパと枝葉を切り飛ばしてゆく不可思議な腕前。


 その後ろに続く、黒髪裸体の……衣服を頭上に抱えた美少女。膨らんだ乳房も亀裂もありのままなのに、顔色一つ変えることなく自然体な、不思議な雰囲気。


 モンスターたちの警戒網を掻い潜る気が皆無なその二人は、えっちらおっちら森の中を突き進み……そして、辿り着いたのであった。


 ――薬草どころか野草一つ残らず枯れて亜麻色になってしまった、無残な採取場所に。






 ……。


 ……。


 …………その採取場所は、言うなれば自然のドームであった。


 広さにして、半径数メートルの楕円。そこに、ぽっかりと開かれたその空間……いや、そこを護るようにして枝葉を伸ばす周囲の木々や雑草のせいで、そう見えるだけか。


 偶発的に生まれて、偶発的に薬草が群生しやすい環境となった場所。


 それがアヤカの目指していた採取場所であり、今ならそれなりに伸びて売り物となれる長さとなった薬草が、びっしり繁茂している……はずだったのだが。



「あ……あ……あ……」



 その光景を目にした瞬間、アヤカはしばしの間動けなかった。いや、正確には動けないというよりは、動くことを忘れてしまっていた。


 それは、この状況においては致命的なミスであった。


 ここは、安全ではない。いつ何時、何処からモンスターが現れるか分からないし、可能性はほぼ皆無だが、野盗が待ち伏せている場合もあるからだ。


 けれども、ショックのあまりアヤカは呆気に取られるしかなかった。頭の中の冷静な己が警報を鳴らしているのは分かっていたが、アヤカはそうするしか出来なかった。



 ――どさり、と。



 心の衝撃を、身体が受け止めきれなかった。気づけば、アヤカの全身を覆っていた青色ラバーは消えている。膝が崩れ落ち、両手を大地に付けていた。


 あの時、『ゴリラ』に殴られても維持していた魔法が解けてしまっている。客観的に見ても、如何にアヤカの心に多大な衝撃が走ったのかが……窺い知れた。



 ……ぽたり、ぽたり。



 ぼんやりとした意識の中で……じわりと、アヤカの視界が歪む。涙が零れているだと自覚出来るだけの余裕は、ない。


 ただ、とても悲しい現実が目の前にあるということだけは、理解出来た……と。



「……少し落ち着くのです。枯れてしまったものは、どうしようもないのです」



 アヤカの眼前にて、銀色のきらめきが通り過ぎる。それが伝説の剣であることにアヤカが気付くのと、己が頭にイノセントの手が置かれたのとは、ほぼ同時であった。


 さすさす、と。穏やかに髪を梳かれ、頭を撫でられる感触。イノセントの掌は、優しかった。止まり掛けた涙が再び流れ出すぐらいに、優しかった。


 ぽたり、ぽたり。大粒の涙が、項垂れたアヤカの頬から滑り落ちてゆく。あっという間に浸みこんで分からなくなるその涙に、イノセントは何も言わず……黙って、アヤカの頭を撫で続ける。



 ――アヤカがこうまでショックを受けるのも、致し方ないことであった。何故なら、ここが枯れるのはイコール収入が減るということだから。



 大多数の人達とは違い、薬草採取一本で生計を立てているアヤカにとって、こういった秘密の場所の存在を見つけるのは必要不可欠。


 しかし、必要とはいえ、そう易々と薬草が群生している場所なんて、見つかるわけがない。明確な目印があるわけでもないから、基本的に見つかるか否かは運次第。


 ここだけが秘密の場所というわけではないが、数は多くない。だから、一つ潰れただけでも生活に直結する。只でさえ金が無いアヤカにとって、この事態は死活問題なのであった。



 ……そのまま、どれほど泣き続けていたのかをアヤカは覚えていない。



 しかし、「それじゃあ、原因を考えるのです」そのイノセントの問い掛けによって、アヤカは胸中に広がっていた哀しみの大半を涙に変えるだけの時間が流れたことに気付くことが出来たのであった。




 ……。


 ……。


 …………大きく深呼吸をすること、3回。「……ありがとう」それで、立ち上がるだけの気力を取り戻したアヤカは、「原因って?」そうイノセントに尋ねた。



「そのままの意味なのです。考えても見てください、いくら自然の結果とはいえ、いきなり全部が枯れ果てるには相応の理由があるのです」

「理由……雨が降らなかったからとか、そういうのではないのか?」



 アヤカの問いに、イノセントは首を横に振った。「――この状況を見るのです」そう促されたアヤカに促されるがまま、アヤカは枯れた薬草と、辺りを見回した。




 ……。


 ……。


 …………はて、これは?


 首を傾げたアヤカを見やったイノセントが、「ほら、貴女も分かったでしょう」その言葉と共に頷いた……ので、アヤカは素直に白状することにした。



「分からん」

「――え?」

「さっぱり分からん」 

「…………」

「…………」

「……ほら、見なさい。薬草が有った場所の地面が湿っているのです。日照りによって枯れたのなら、ここだけじゃなくてもっと広範囲に影響が及んでいるのです」

「――なるほど。じゃあ、逆に雨が降り過ぎたせいか?」



 アヤカの意見に、「可能性としては、かなり低いのです」イノセントはまた首を横に振った。



「根腐れを起こすぐらいに雨が降ったのなら、ここら一帯も酷い有様になっているはずです。そんな雨なんて、降っていないはずなのです」

「……言われてみたらそうだな」

「ならば、理由は雨風ではありません。日の光が理由だとしても、ここが昨日今日に出来たわけではないのでしょう? それなら、原因は日の光でもありません」



 その言葉と共に、イノセントは枯れた薬草の根元に指を差し込む。「……柔らかいのです」傍目にもソレが分かるぐらいにあっさり食い込んだ指先を抜いたイノセントは、次いで、アヤカを見上げた。



「他にも、このような場所はあるのですか? あるなら、そちらも見た方が良いのです」



 是非も無い……そう思ったアヤカは、イノセントに言われるまでもなくそちらへと向かう。


 幸いにも、近くに秘密の場所が二つある。時間にして、20分ほどで確認することが可能であった。



 ……だが、実際にアヤカたちが次の秘密の場所へと到着したのは、それから12分後の事だった。



 どうして早まったのかといえば、アヤカが急いだからだ。予感にも似た焦燥感が、そうさせたのだろう。


 リスクを極力取らないアヤカだが、この時ばかりはリスクを無視して先を急ぎ……そして、愕然とした。


 何故なら、他の二つの薬草も全滅していたからだ。それも、状況は同じ。モンスターなどに食われたとかではなく、最初の場所と同じように亜麻色になって枯れていたからであった。



 偶然……ではないだろう。それは、アヤカの目にも明らかであった。



 仮に、偶発的な自然現象によって起こったのであれば、もっと広範囲に影響が及んでいるはずだ。しかし、変化が起こっているのは薬草が繁茂している部分に留まっており、それ以外には異常が見られなかった。



「……これは集中的に狙われているのです。おそらく、人の手によるものなのです」



 ここまで来ると、悲しみよりも不気味さが先に出る。何とも言い表し難い顔で酷い有様になっている眼下を見やったイノセントは、一先ずの結論を付けた。



「……人の仕業なのか?」



 その結論に疑問を抱いたアヤカが尋ねれば、「先ほども話しましたが、自然現象ならば、もっと広い範囲に影響が出ているのです」返された言葉がソレであった。



「自然には手加減なんてのはありません。一か所だけなら何かしらの偶発的要素が重なって起こりえても、違う場所で同じことが起こるのならば、まず人の仕業と思うべきなのです」

「仮にそうだとして、誰がやったんだ?」

「さあ、人ではない私には分かりません。そこらへんを考えるのは、人間である貴女の仕事なのです」

「……それが分かったら、苦労はないよ」



 何とも冷たい言葉だ。けれども、それは事実だから仕方がない。そう、アヤカは胸中にて諦め……大きく息を吐いて、辺りを見回した。


 もしかしたら、コレを成した不届き者の痕跡が見付けられるかもと思ったが、そんなわけもなく。視界に入るのは、とっくに見飽きてしまった枝葉の密集のみ。


 もしかしたら何処かに痕跡が有るのかもしれないが、前世でも今世でもそこまで頭が良くないアヤカには、到底見つけられる話ではなかった。



 ……とりあえず、どうしようか。



 アヤカの脳裏に浮かぶのは、今後の事である。次いで湧いてきたのは、焦燥感と不安であった。怒りも湧いてはいたが、それ以上に胸中に広がるのはその二つであった。


 現在、アヤカが見付けている秘密の場所(薬草が群生している場所)は、全部で五つ。そのうちの三つが駄目になって、残るは二つ……しかし、この流れだと残りの二つもおそらくは……だろう。


 まだどうなっているかは実際に見てみないと分からないが、この状況で楽観的に考えられるほどアヤカの心は図太くない。


 だから、アヤカは考える。既に残りの二つも壊滅しているという前提で、今後に訪れる事実を元にして思考を巡らせる。


 まず、収入は減る。間違いなく、減る。そのうえ、不安定にもなる。それも一時的な問題ではなく、長期に渡って……最悪、二度と元には戻らないだろう。


 現時点で、アヤカには貯金がほとんどない。そりゃあ、小銭すら無いというわけではないが、節約して一ヵ月持てば良いという有様だ。



 故に、この状況で、今のアヤカが取れる手段は二つ。



 一つは、新たに薬草が群生している場所を見つける事。


 だが、そう易々と見付けられたら誰も苦労はしないし、見付けられるならアヤカもそこまでショックは受けない。年収だって今の1.4倍ぐらいにはなっているだろう。



 二つ目は、違う仕事……この場合、討伐業務だろう。


 しかし、アヤカの腕前ではかなり厳しい。いや、実力が足りていないわけではない。むしろ、純粋な自力は一流に匹敵する。だが、どうにも土壇場で腰が引けてしまうというか……やりたくはないというのが正直な本音である。


 けれども、今までは他に選べる選択肢が有ったが、今回ばかりはそうも言ってはいられない。どうにもならない、この現状。行動を移すなら早い方が良いだろうが……いよいよ年貢の納め時というやつかもしれない。



「……嫌だが、本当に嫌だが……討伐業務に職業変更(ジョブチェンジ)の時が来てしまった……!」



 何時かは来るだろうと覚悟はしていたが……忸怩たる思いと共に呟いたアヤカは、次いで、傍のイノセントを見やり……ん、と目を瞬かせた。



 ――唖然、そう、唖然だ。



 そうとしか言い表しようがない表情を浮かべているイノセントの姿に、アヤカは「ど、どうしたのだ?」思わず声が引っ掛かった。



「……いや、その、他に思うところがあると思うのです」



 ハッと、我に返ったイノセントは、何を思ったのか深々とため息を吐いた後、グリグリとこめかみを指先で揉んでいた。



「何だ、頭が痛いのか? あいにく、ここにも私の家にも薬なんて上等なものはないぞ」



 精霊にも、頭痛なんてものがあるんだな。


 そう思ったアヤカが珍しく気遣ったのだが、「……違います、そうじゃないです」イノセントはますます痛みを堪えるかのように頭を振った。



 ……いったい、何なのだろうか。



 イノセントの態度が理解出来ず首を傾げるアヤカを前に、当のイノセントは深々と……それはもう深々とため息を吐いた後。



「何度も話したと思いますが、あえて繰り返します。これは、人の仕業なのです」



 そう、話したのであった。それを聞いたアヤカは、ふむ、と頷いた後。



「それで?」



 そう、返事をしたのであった。






 ……。


 ……。


 …………?



「――え、それだけなのですか?」

「それだけって、それ以外にどう私に答えろと?」



 目を見開くイノセントを前に、アヤカは困惑気味に小首を傾げた。いや、気味ではない。実際、言わんとしていることが分からなかったアヤカは困惑するしかなかった。



「……あの、第三者の仕業なのですよ。誰かが、何らかの悪意を持って行ったとは考えないのですか?」



 恐る恐ると言わんばかりの、問い掛け。



「それを考えれば、年収は上がるのか?」



 対して、アヤカの返答は清々しさを覚えるほどに簡潔であった。



「……は?」



 それによって、しばしの間、二人の間には沈黙が流れた。


 いや、正確には、イノセントは何を言われたのかをしばしの間理解が出来ず、目を白黒させる事しか出来なかった。



 ……ちきちきちき。



 それは、虫の声。どこからともなく聞こえて来る、虫の声。ここは、街中ではない。モンスターと遭遇する可能性こそ低いが、ゼロではない。


 いつ何時、がさりと茂みを掻きわけて出現してもおかしくはない。あるいは、既に狙われ……その前に沈黙を破ったのは、アヤカの方からであった。



「考えてもみろ。お前の言う通り、誰かが何らかの目的でここを駄目にしたとしよう。それを私が考えて……それで、私の年収は上がるのか?」

「え、いや、あの、えっと?」



 ――どうしよう、言葉そのものは分かるのに、何を言っているのかが理解出来ない。



 思わず、そう言い掛けたイノセントは寸でのところでソレを呑み込んだ。いくら常識に疎い彼女とはいえ、これを言えば怒らせてしまうかどうかの機微は分かった。



 ……いや、まあ、言わんとしていることは何となく分かるのだ。



 アヤカの言う通り、仮にこの問題を解決したとしてもアヤカ自身が得る物は、おそらくほとんどない。被害は薬草だけだし、そもそもここの薬草はアヤカのモノではない。


 だから、例えアヤカがローランドに戻って被害を訴えても、だ。『そもそもお前の物ではないだろう』と言われて、はいお終い。


 よしんば違う反応を返されたとしても、結局は『当事者同士で勝手に解決しろ』と言われてお終い……それが全てなのである。


 仮にこれが領主などの貴族たちが特別に管理している(厳密には、特別かどうかは関係ないけれども)物だったなら、話は変わっただろう。


 希少な薬草は確かに存在しているし、物によってはアヤカの数年分に当たる高価な薬草もある。そういった物ならば、御上も目を光らせてはいるだろう。


 しかし、この度被害に遭ったのは、そう珍しくはない薬草だ。さすがに道端に生えているというわけではないが、それでも探せば見つかる程度。領主の所有物ではあるが、ほとんど管理されていない代物であるのは言われずとも明白である。



 なので、御上の考えとしては、だ。



 意図的に枯らした行為は犯罪には当たるし、領主の所有物を損失させた罪は大きい。だが、それを立証する手間からすれば割に合わないし、こんなごく狭い範囲の薬草が枯れた程度で、いちいち御上が出張って来るわけもない。


 アヤカにそういった者たちへのコネがあるなら話は別だが、そんなコネがあるなら草取りアヤカなんて二つ名は付いていない。



 つまり、結論を述べるならば……アヤカに出来ることは何もない、である。



 悲しいかな、アヤカの立ち位置はあくまで庶民でしかない。なので、野良犬に手を噛まれたと思って諦めるしかない……それが、アヤカの現実なのであった。



「……いや、その、こう、陰謀がどうとか考えたりしませんか?」



 とはいえ、だ。イノセントも、それに関しては薄々分かっていた。疎いとはいえ、馬鹿ではない。言われずとも察することは出来た。


 しかし……だが、しかし。



(――もう、どうして貴女はそうなのですか!)



 イノセントは納得出来なかった。



(貴女だけが知る場所の薬草だけが、枯らされている。事件なのです、どう見ても、どう考えても、意図的な何かが行われているのです!)



 それは、悪に対する怒り。


 些細な事件ではあるが、悪意への憤怒。


 魔王とも渡り合えると自ら豪語した精霊の、正義の心から生み出される叫びで――。



(断じて、草刈りに使われる私ではないのです! こう、悪人をばっさばっさ切り倒してちやほやされて然るべき私なのです! このままでは、草刈りとして末永く使われる剣として不名誉な感じに……)



 ――ごめん、違った。そんな崇高な考えは、イノセントには無かった。あるのは、名誉を求めてやまない血気盛んな欲望だけであった。





 ……こいつら、実の所は似た者同士じゃないのか?





 もしも、仮にこの場に第三者がいて、イノセントの内心を知る者がいたなら、そんな感想を零していただろう。


 だが、現実はそうではない。ある意味お似合いの二人の内心が互いに伝わるようなことはなく、また、伝える気も無い事から。



「年収に繋がらないのであれば、それは陰謀ではない。いいか、重要なのは私の年収を引き上げる事……順位を間違えてはならない、いいね」

「えぇ……」



 そうして、話はあっさり終わったのであった。


 欲望はあるが、あくまで主であるアヤカの意思を尊重し、性根が善人であるイノセントに、勝機は無かった。



 ……さて、だ。



 説得は無理だと諦めて項垂れるイノセントと、「とりあえず、町に戻るぞ」さっさと気持ちを切り替えたアヤカの二人は、会話を締め括って踵をひるがえし――その時であった。



 ――がさり、と。



 枯れ果てた薬草畑(という言い方は、少し違うけれども)の向こう、ちょうど、畑を境にした反対側の茂みが動いた。


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