第6話 類友
……。
……。
…………そうして、さらに一時間後。
湯を沸かすのと同じ要領で乾かした衣服を身に纏ったイノセントを伴ったアヤカは、数日振りにギルドへとやってきたのであった。
時刻は、昼を大きく回り……夕方と呼ぶには些か早い時間である。いわゆる閑散期というやつで、何時もなら人々で溢れかえっているギルドも、飯時を過ぎた茶店なみに静かであった。
まあ、仕方ない事だ。基本的に、ギルドに来る仕事の大半は日雇いか、冒険者用だ。
それ故に、人が溢れるのは朝と夕方に集中しており、それ以外は職員たちも幾らか気楽そうな顔をしている。言うなれば、コアタイムが過ぎたというやつだった。
……そこに、青色ラバーウーメンと化したアヤカが姿を見せるまでは。
それによってもたらされた変化は、劇的であった。波紋一つない水面に岩石をこれでもかと叩き込むぐらいの、暴力的と表現しても差し支えのない変化であった。
視界の端に青色を目にした、その瞬間。
ギルド内にいた誰もが、一斉に目を逸らした。奇特な目を向けるのではなく、誰もが目を逸らした。話し声は途切れ、場の空気は冷え切り、閑散としつつも穏やかな空気が一変した。
ざわっ、ざわっ、ざわっ。
誰も、言葉を発しなかった。だが、誰しもが声なき声を発していた。奇しくも、誰しもの心にて放たれたその言葉は、寸分の狂いもなく一致していた。
――やべえやつが来た、と。
誰しもが、その場から動けなかった。それは恐怖から……ではない。いや、ある意味では恐怖から来るものだが、とにかく誰もが足をその場に縫い止められたかのように、身動き一つしなかった。
何故か……そんなの、決まっている。全身青色のくっそ怪しいやつに目を付けられたくないからだ。
……良くも悪くも、アヤカは有名人である。
だが、アヤカは別にローランドの人々から嫌われているわけではない。むしろ、逆だ。アヤカ自身は、ローランドに住まう人々から好かれている方なのだ。
この世界においては珍妙という他ない振る舞いをするアヤカが迫害されることなく、この町で生活を続けているのが、その証拠だ。
現に、馬鹿だ阿呆だと怒鳴られはするものの、この町から出て行けとアヤカが言われたことはない。
何だかんだ言われつつも、『馬鹿だが根は良い阿呆の子』というのが、アヤカの一般的な評価なのであった。
それ故に、アヤカの素性というか、その性格というか……まあ、触ると恐ろしく面倒くさいやつというのが知れ渡っている。
なので、用でも無い限り、基本的にアヤカには触らないようにする。
アヤカ自身は気付いていなかったが、それが、いつの間にか広がってしまった暗黙のルールで……この状況を作り出す一因となっていた。
(今日は何時もより静かだな……)
当然、知る由もないアヤカはシュコーとラバー越しに一息つくと、颯爽と受付へと向かう。
誰しもが見ないようにしつつ、怖い物見たさでこっそり視線を向ける中……その後ろをひょこひょこと続くイノセントに向けられるのは、ある意味自然の成り行きであった。
――アレは誰だと、イノセントの存在に気づいた誰しもが思った。
そう、彼ら彼女らが思うのも無理はない。何せ、イノセントの風貌が美少女であるのもそうだが、ここらでは見掛けない、夜を思わせる艶やかな黒髪を持っていたからだ。
最初は、町の外からやってきた娘か何かだと誰もが思った。
黒髪なんて目立つ特徴を持っていたら、この町に住まう者なら絶対に耳に入ってくる。それが無い以上は、ローランド外から来た娘だと思うのも、当然の帰結であった。
……しかし、だ。すぐに、彼ら彼女らは、イノセントが普通の娘でないことに気付く。
何故なら、反応というか、態度があまりにおかしいからだ。それは立ち振る舞いがどうとか、恰好が体格に似合っていないだとか、そういう話ではない。
眼前を歩く青色の不審者を目にしても気に留めることもなく、静まり返ったこの空気に目を向けるわけもなく、ボケッとした様子で……アヤカの二歩後ろから続いている。
それが、あまりに異様で……見た目が珍しいだけの少女ではないことを、言外に彼ら彼女らに教えていた
――もしかして、アヤカの関係者か何かか……そう、彼ら彼女らが思うのもまた、当然の帰結であった。
そうなると、彼ら彼女らが次に気になるのは、アヤカとの関係であった。
けして悪いやつではないが、良いやつでもない。その言動なり態度なりが原因で、アヤカは基本的に一人で行動することが多い……というのが、共通の認識である。
たまに誰かと行動を共にしている姿を見かけるが、それは友人というよりは飯を集る女と、何とか逃げようとする相手……という感じだ。
なので、ひな鳥のようにアヤカを追いかけるその姿は、ある意味では新鮮であり、何かしらのワケ有りなのではないか……そう、誰もが思った……ん?
――それは、あまりに唐突であった。
訝しむ彼ら彼女らの視線を一点に受けたイノセントの身体から、ふわりと衣服が落ちた。前触れもなく、脱いだ素振りもなく、いきなりイノセントの身体から衣服がすり抜けたかのように……秘められていた裸体が露わになったのだ。
――いきなり過ぎて、彼ら彼女らは驚くことも出来ず、反応一つ起こせないまま……えぇ、と呆気に取られることしか出来なかった。
これでイノセント(第三者から見れば、珍しい髪色をした美少女)が何かしらの反応を示してくれていたなら、彼ら彼女らも違った対応なり反応を見せていただろう。
だが、イノセントの反応は何もなかった。裸体を見せる前も後も、微塵も変わらない。とはいえ、変化はある。まるで足跡のように残された衣服や下着だ。
だが、あまりにイノセントが自然体なままだから、逆に見ていた彼ら彼女らの方が……何かしらの幻覚を見ているのかと思ったぐらいであった。
いや、というか、仮に彼ら彼女らが一人であったなら、間違いなく己の正気を疑っていただろう。思わず互いを見合わせ、互いに困惑するのを見ていなければ……間違いなく、そうなっていたところだ。
……そんな風にして、だ。
青色ラバーウーメンと黒髪裸体レディという、異色過ぎて対消滅してしまいそうなぐらいに場違いな二人は、自分たちが異様な空気を作り出していることに微塵も気付かないまま……受付の前にて立ち止まった。
「頼もう……!」
静まり返ったギルド内にて。不幸にも青色ラバーに応対するはめになってしまった受付嬢は、奇しくも先日と同じくフェロン(既婚、趣味はジャガイモの創作料理)であった。
「帰ってください」
辛辣、その単語をこれ以上ないぐらいに表した笑みと共に放たれた一言。これ以上ないぐらいに冷え切った視線は、ともすれば威圧感すら感じるレベルだろう。
実際、不運にもこの場に居合わせている少数の男性……普段はモンスターを相手にして収入を得る屈強な男たちすら、直接言われたわけでもないのに、思わず肩をぴくりと跳ねさせてしまうほどの迫力がそこにはあった。
「仕事を受けに来たぞ……!」
だが、アヤカの前では無意味であった。
ある意味ではドラゴン(この世界においての食物連鎖の頂点的な存在で、その外観は糞デカい羽根つきトカゲ)の表皮よりも厚い面の皮を持つアヤカは気にした様子もなく、「金を稼ぎに来たぞ……!」相も変わらないまま用件を告げた。
……。
……。
…………そうなれば、だ。というか、まあ、フェロンが取れる選択肢は初めから一つであり、帰れというのも思わず口から出たものでしかなく……結果はもう、決まっていた。
けれども、フェロンはため息を零さずにはいられなかった。思わず……それはもう大きなため息を零したフェロンは、手慣れた所作で申請書類を机の下から引っ張り出した。
ギルド職員であるフェロンは、よほどの理由が無い限りは依頼を断れない。その『よほどの理由』とはずばり、業務遂行等への著しい妨害が生じる場合である。
つまり、ギルド職員に対して威圧的な態度を取ったり、あるいは暴力を振るったり、意図的に用件を先延ばしにして職員を独占しようとしたり……といった行為である。
威圧的な態度や暴力もそうだが、後者の職員を独占とは言うなれば、特定の職員の気を引きたい……まあ、ぶっちゃけてしまえば異性の職員をデートに誘う等を行えば、フェロンは直ちに退去命令を下すことが出来るし、その権限が御上より与えられているのである。
なので……不本意ながら、それ以外の場合。
例え、相手がどんな恰好でいようとも。相手がどんな奇抜な態度を取ろうとも、用件を述べて、何をして欲しいのかを職員に伝え、それが業務に該当するのであれば。
フェロンは、それを拒否出来ない。相手が青色ラバーウーメンと観衆の裸少女であろうとも、フェロンは職務を全うする義務を背負っているのであった。
「――討伐業務、ですか?」
「いや、薬草採取だ……!」
ぴたり、と。書類に素早く必要事項を記入していたフェロンの手が、止まった。ちらりと視線だけを向けたフェロンは「……すみません、聞き取れませんでした、もう一度お願い致します」そう、小首を傾げて尋ねた。
「草取り採取を受託するぞ……!」
「――その恰好で?」
「何か問題でも?」
「何をどう考えれば、問題が無いと思えるのですか?」
一職員でしかないフェロンの立場から考えれば、その物言いは不躾でしかなかった。
けれども、この場にそれを気にする者はおらず、いても、アヤカ相手なら……という感じで、誰も問題視はしなかった。
「確かに、見た目は悪い。少しばかり青いが、まあ森の中に入れば紛れて分からなくなる」
「素人の私が言えた話ではありませんが、モンスターを軽く考えてはいませんか? 今のあなた以上に目立つ人を、私は見たことがないのですが?」
フェロンのその言葉に、ギルド内にいた幾人かが無言のままに頷いた。
だが、それがアヤカに伝わることはなく、何を勘違いしたのか、アヤカはシュコーとラバー越しに息を吐くと……何処となく嬉しそうな様子でイノセントへと振り返った。
「何と……おい、イノセント。どうやら、今の私は、内より溢れる自信がオーラとなって凄い事になっているみたいだぞ……!」
「そうなのですか? 私には青い阿呆が立っているようにして見えないのです」
「ふふふ、それはお前が素人だからだよ……見る人がみれば、今の私がこれまでとは一味違うということを察してしまうのさ」
「はあ、そういうものなのですか。私には理解出来ないですが、その青さが凄いのかもしれませんのですね」
「ああ、そうなのだ……ところで、イノセントは何故、裸になっているのだ? というか、服はどうした? 只でさえ、替えの服はないというのに……というか、ここで脱ぐな、私が捕まってしまうではないか……!」
「鬱陶しいので、脱いだのです」
「脱ぐのであれば、町の外で脱げ。ダブディも言っていただろう、年頃の少女が人前で肌を見せてはいけないとな」
その言葉に、イノセントは軽く目を瞬かせた後、「……忘れていました」申し訳なさそうに視線を下げた。
「そうです、人間は人前では裸を見せないのです。これはうっかりです」
「おいおい、しっかりしてくれよ。いきなり常識を覚えろというのも無理だとは思うが、せめて私ぐらいこの町に溶け込めるようにはなってくれよ」
「……頑張るのです」
と、いった感じで和やかに談笑する青色ラバーと黒髪裸少女の二人。
何から突っ込めば良いのか、それとも触れない方が良いのか……何とも判断に困る二人を他所に。
――いや、お前を参考にしては駄目だろ。お前だけは、絶対に駄目だろ
その瞬間、二人(片方は精霊だけれども)を除くギルド内の心が一致していた。あまり嬉しくはない心の一致ではあったが、ある意味、人々の心が一致団結した瞬間でもあった。
――あの子も、アヤカと同類なのか……。
と、同時に、ギルド内における暗黙の了解に、『イノセントという名の少女も、アヤカと同程度に頭がヤバい』という一文が付け加えられた瞬間でもあった。
……不幸中の幸いというべきか、何時もならギルド内にある店の店主であるダブディは、この場にいない。所用で店を離れているから、店は朝から閉まっているからだ。
仮に、ダブディがこの場にいたら一言二言はツッコミが入っただろう。
そして、イノセントに間違った知識が植えつけられるのを防ぐ……ことは、出来なかっただろうが、待ったを掛けることは出来ただろう。
けれども、それは仮定の話でしかない。
現実にはダブディはこの場におらず、また、ダブディ以外の、アヤカに対して明確に注意を入れる事が出来る親切で奇特なやつもこの場にはいないのであった。
(……いえ、ダブディさんが言いたいのはそこでは――いえ、止めましょう。下手に話を広げると、こっちに面倒臭いのが向かって来ますし……)
辛うじて……けして嬉しくはないが、アヤカとの応対で耐性が出来ているフェロンは、そう己に言い訳を施すと。
「薬草採取ですね、直ちに書類を作成致しますので、少々お待ちください」
何時ものように事務的な態度と口調のままに、何時もと変わりない業務を再開するのであった。
……。
……。
…………作業自体は、5分と掛からない。黙々と、静まり返ったギルド内に溶ける様に響く作業音の中で。
「薬草採取……それ自体は構わないのですが、私は素人なのです。慣れるまでは、しばらくお力添えにはなれませんです」
「構わないさ、いざとなればお前のパンツを売る」
「……売るのは構いませんが、本当に売れるのですか? 言うのもなんですけど、私にとってはただの布きれなのです」
「ふふふ、安心しろ……私の手に掛かれば、一枚の布きれを金貨に替えることも容易いのだ……!」
二人の会話が、嫌でもフェロンの耳に届いたのであった。
……神よ、どうして貴方は、目の前の女性をまともな女としてこの世に産み落とさなかったのでしょうか。
その儚い願いは、果たしてフェロンが信仰する神に届いているのだろうか。
それを知る術など持つわけもないフェロンは、それでも。それでも……堪らず目元を解し、覚え始めた頭痛に顔をしかめながらも、祈らずにはいられなかった。
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