第4話 タンパク質は大事
――そうして、翌朝。
いつの間にか寝入ってしまった少女を、起こす勇気がアヤカには無かった。なので、強引にベッドの端に追いやり、眠りについて……十数時間ほどの時が流れた。
どうやら、思っていた以上に疲れていたようだ。
そのことをアヤカが自覚したのは、窓から差し込む日差しを見やったから。そうして、すっきりするまで寝たおかげか……気分は落ち着いていた。
落ち着いたら、次はご飯だ。
そう思ったアヤカは、未だ大いびきを掻いて寝ていた少女を叩き起こし……そこで初めて、お互いに自己紹介をした。
「イノセント……それが、私の名です」
そう名乗った少女……いや、イノセントを伴って、アヤカは市場へと向かう。
どうしてかって、腹が減ったからだ。残念なことに、自宅にはパンの一欠けらも無い。悲しい事に、全く無い。
だから、買うのだ。無いから買う、ただ、それだけのことであった。
そうして、手早く市場から帰って来て、手早く調理をして……早30分後。その頃にはもう、アヤカたち……いや、アヤカは朝食に有り付い……貪っていた。
「――肉っ! 卵っ! パンっ!」
「……あの、分かったから、もう少し落ち着い……いや、いいです、もう」
恐る恐るといった様子で促したイノセントではあったが、それ以上言葉は続かなかった。というか、続けられなかった。
何故なら、血走った目で皿の上の料理を根こそぎ食らってゆくアヤカの姿に、言葉を失くしていたから。
……というのも、だ。
アヤカの反応も、仕方ないことである。何故なら、テーブルの上には、ここしばらく並ぶことがなかった料理が並べられているからだ。
ジャガイモと玉ねぎのポトフに、市場にて買ってきたパン。同じく市場で買ってきた野菜をカットして作ったサラダに……大皿にででんと乗せられた、ベーコンとスクランブルエッグ。
この世界では……いや、前の世界でも十二分な、立派な朝食である。
当然、相応な値段である。少なくとも、日課の草むしり(薬草採取)の際に希少な薬草を見付け、普段より報酬に色が付いた時ぐらいしか食べられない故に、アヤカの目は飢えた獣のソレであった。
……なまじ、飽食が出来た前世の記憶があるせいだろう。
腹が苦しくなるまで食うなんて、この世界では贅沢も贅沢。だから、この世界の一般的な考え方を考慮しても、アヤカの食に対する拘り……というか、考え方はだいたいの人が一歩引くぐらいに凄かった。
……ちなみに、この朝食を用意する金を出したのは、この黒髪の少女……つまり、イノセントである。
どうして精霊であるイノセントが金を用意出来たのかといえば、どうも……あの沼の周辺で(あるいは、沼に落ちてしまって)死亡した冒険者の金目のモノを、自らの懐に融通させていたとのことだ。
おまえ、それって泥棒……いやいや、違う。
何故なら、死して屍拾う者無し。それが、冒険者の世界であり、この世界における厳しい現実なのだ。
町中で死んだりすれば遺族などに連絡されるだろうが、森の奥深く……それも、モンスターがいる場所で死んだ者ともなれば、放置されるのが基本だ。
見つかっても、埋葬して貰えれば御の字。その埋葬ですら、何かしら金目のモノを持っているか、見付けた者が親切でなければ……なのだ。
それに、精霊に人の法律は関係ない。イノセントが行き倒れた遺体から金目のモノを奪取しても、何ら咎められる話ではないのである。
……ちなみに、精霊というのは伊達ではないらしく、基本的に食事を取る必要はない。
イノセントにとって、食事は気紛れに行う娯楽でしかない。どちらかといえば、食べるよりも作る方が好きらしい。
そんなわけで、久方ぶりに行う娯楽に満足したイノセントと、久方ぶりの肉に我を忘れているアヤカ。
二人(正確には、一人と一体なのだろうが)の利害は一致し、互いにwin―winの結果が……貪り食らうアヤカと、ドン引きするイノセントなのであった。
「……食った。もう、満足だ」
そうして、ほぼ二人分の食事を終えたアヤカは、げふっとため息を零した。その腹は傍目にも分かるぐらいに膨らんでいて、妊婦と見間違う程に大きくなっていた。
元々、アヤカの腹回り周辺に関しては、同性から嫉妬を一身に向けられる細さだ。
そのうえ、アヤカの衣服は肌に合うぴっちりとしている。二人分とはいえ、食べた分がしっかり収まっているのが分かって当然であった。
「見たら分かるのです……貴女、本当に女なのですか?」
心底呆れたと言わんばかりな態度を微塵も隠さないイノセントに、アヤカはふう、と鼻息を吹いた。
「見て分からんか? ちゃんと胸もあるし、入れる穴もあるぞ」
「見て分かってしまうから困惑しているのです……」
アヤカとしては聞かれた質問に答えただけなのだが、イノセントが期待していた答えとは違ったようだ。「ええ……今の女って、こんなの?」何かを考え込むかのように頭を抱えてしまった……のを見て、ふむ、とアヤカは頷いた。
「安心しろ、こんな女は私ぐらいだ。他のやつらはちゃんと女をやっている」
その言葉に、イノセントは顔を上げた。
「……ちょっと安心しました。しかし、どういう意味ですか?」
「そのまんまだ。口では説明し辛いが、私が特別だから……で、納得してくれ」
それは、アヤカが出来る精一杯の説明であった。事情を知る第三者が見たならば、面倒くさがるなと怒る所かもしれないが……それは、事前の知識があるという前提での話なのだ。
だって、そうだろう……考えても見てほしい。
『実は私、前世の記憶が有ってね。前世の私は、こことは違う世界で生まれて、その時は男で、教育もばっちり受けて、鋼鉄の機械に乗って大陸を渡って、身体を切り開いて傷やら病やらを治療できる世界にいたの』
……おお、怖い怖い。
少なくとも、アヤカですら前世の記憶が無かったら『こいつ、ガチでヤバい』認定して、即座に距離を置くところだ。
……まあ、そもそも前世の記憶が無かったら、アヤカは今頃ここにはいない。
この世界の大多数の女性と同じく、手頃な男性(あるいは、親からの紹介)の元に嫁ぎ(あるいは貰い)、子を産んで育て、そうして年老いて死んでいただろう。
それが、この世界の女性の普通なのだ。そして、それは男として生まれても同じだっただろう。手頃な女性を嫁に貰い(あるいは入り)、大黒柱として働き、年老いて死ぬ。
それが、この世界の普通なのだ。故に、アヤカはこの世界においては異端なのである。
それについては、アヤカ自身、特に思うところはない。男らしくだとか、女らしくだとか、この世界においては『くだらない事』でしかないことを身に染みて理解しているからだった。
……まあ、考えるだけ無駄な事だ。
(というか、どうせ話した所で信じてはくれんだろうしなあ)
それを分かっているからこそ、アヤカはあえてぼかした言い回しをした。それが、お互いに良いのだということも、分かっていたから……のだが。
……満腹感に大人しくしていると、無言のままにイノセントに手を握られた。
何だと思ってそちらを見やれば、何やらイノセントは目を瞑っている。もしかして怒らせてしまったのかと思っていると、イノセントは……そっと、目を開けた。
「――へえ、貴女、魂だけがこっちの世界に来たのですね」
と、同時に呟かれたその言葉に……アヤカは一瞬、思考を真っ白に染めた。あまりに驚き過ぎたせいだ。「……ほら、起きるのです」両頬に感じる痛みがなければ、そのまま小一時間ぐらいは思考を止めたままだっただろう。
「……どうして、分かったんだ?」
「こう見えて、伝説の精霊なのです。深くは読めませんが、表面ぐらいは読めます」
何とか動き始めた頭を使って絞り出した問い掛け。
アヤカからすれば、頭の中にある言葉を総動員させてようやく絞り出した一言だったのだが、返事は『伝説』の一言だけであった。
「……伝説?」
「伝説の、精霊なのです」
しかし、どうしてだろうか。根拠は全くないが、自信満々に『伝説だから』だと豪語されると、納得してしまう。
少なくとも、アヤカは納得した。
伝説だし、それぐらい出来ても不思議じゃないよねと、納得した。根拠は、全くないのだけれども。
「道理で、女らしくないと思ったのです。根っこが男であるなら、そうまでガサツなのも納得なのです」
うんうん、と一人頷いて納得するイノセントを見て……内心、アヤカは仏頂面であった。口には出さなかったが、正直、思うところがないわけではなかった。
この世界にて新たな自我を形成して、早十数年。
最初は余所者の気持ちを捨てきれなかったが、今ではすっかり溶け込んだ自覚はある。しかし、それでもなお、完全に受け入れられない部分もあった。
「……そういえば、俺に魔王並みの魔力がどうたらって話していたけど、あれってどういうこと?」
でも、それを表に出すようなことはしない。なので、あえてアヤカは意図的に話を逸らした。
幸いにも、それはアヤカ自身、気になっていたことで。「――ああ、そのことですか」イノセントも、話そうとは思っていたようだ。
「詳細は省きますが、貴女の世界の言葉であるなら……ほら、あれですよ、あれ、貴女の記憶の中にある言葉を拝借すれば、『転生の特典』だとか、そういうやつですよ」
「え、そんなのあるの? ていうか、あったの?」
「あったのです。まあ、正確には転生した特典ではなく、死した肉体に次元を超えて憑依した事に対する特典なのですが」
まさかの発言に、思わず、アヤカの満腹感も吹っ飛んだ。
堪らず席を立ったアヤカだが、イノセントから落ち着けと宥められて……しぶしぶ、腰を下ろした。
「――それで? 特典の内容を詳しく……!」
「分かったから、落ち着くのです……何でそんなに必死なのですか?」
「年収を上げる為だ……! 稼げば良いと口に出せるやつは、恵まれた立場に置かれているからこそ、そんな台詞を吐けるのだ……!」
「いや、貴女も大概恵まれた立場なのです。というか、貴女の場合は選り好みし過ぎなのです」
けれども、そこで大人しくはしなかった。対して、イノセントの方は呆れていた。
だが、それは落ち着きのない態度に対してであり、金を求めるその姿には何とも思わなかった。
……イノセントは、妖精だ。人間のように食わねば生きていけないわけではない。
食わなくても生きていけるというのは、ある意味では絶対的なアドバンテージなのだ。
加えて、明確な死こそ存在しているものの、子孫云々という考えすら妖精にはない。だから、イノセントにとって『金』はどこまでいっても他人事でしかないのであった。
「詳細は省くのですが、要は『膨大な魔力』と『素晴らしい肉体』なのです」
「つまり?」
「手入れらしい手入れも努力らしい努力もしていないのに、その美貌を維持出来ている。それすなわち、特典なのです」
「……え、これ、特典なの?」
「まあ、あくまで副産物みたいなものです。本命は、男にも匹敵する筋力やら何やらなのです」
「ええ……」
まさかの新事実。思わず己が顔やら胸やらをぺたぺたと触るアヤカだが……内心では、少なからずガッカリしていた。
何故かといえば、『男にも匹敵する』というのは、言い換えれば『男レベルで頭打ち』してしまうということ。
どれだけ頑張っても男と同レベルに立てるというだけで、男以上には上がれないということなのだ。
……そりゃあ、分野を変えれば男の上に立つのは可能だ。現に、男をこき使う女だって、探せばけっこういる、普通にいる。
――けれども、だ。
それは元々の家柄が有ったり、持ち家が有ったり、上流階級とコネが有ったりで、ごく普通の一般女性が上に立てるかといえば……そうでもない。
悲しい事に、この世界では、『男の仕事』と『女の仕事』が明確に分けられている。これは性差別でも何でもなく、そうしないと社会が維持できないのだ。
どれだけ望んでも、性別や身分によって定められた仕事にしか就けない。これは、男であれ女であれ、関係ない。
生まれの時点で、就ける仕事がほとんど決まっているのだ。よほどの覚悟がないと、目指すことすら周囲より咎められてしまうのだ。
法律なんかで決められているわけではないが、強固で絶対的な暗黙のルールが存在する。それは、曲がりなりにも成人を迎えて久しいアヤカも、身に沁みて理解させられていることであった。
……しかし、例外はある。その例外が、『冒険者』という仕事なのだ。
けれども、その『冒険者』は必然的に肉体労働……すなわち、男性の方がフィジカル的な意味で有利な職種なのだ。
だからこそ、女の身体で男並みというマイナスを0に持って行く程度(それでも、恵まれている事なのだが)の特典に、アヤカは堪らず溜息を……いや、待て。
「……そうだ。魔力の方は、どうなんだ?」
思い出した……そう言わんばかりに顔をあげたアヤカに、イノセントは「え、私にそれを聞くのですか?」不思議そうに小首を傾げた。
「貴女、もうその魔力を使って魔法を作っているのです。私に聞く意味が分からないのです」
「何それ初耳だぞ。魔法も何も、私はそんな大それた魔法なんて一つも――」
そこまで言い終えた瞬間……アヤカの言葉が止まった。いや、止まったのは言葉だけではない。
表情も唇も呼吸も、何もかもを静止させたアヤカは……果てしなく嫌な予感を覚えていた。
まさか……まさか、アレなのか?
嫌な予感は、半ば確信へと変わり始めている。合わせて、脳裏を過るこれまでの日々。
この街に初めて来た時、この街に来る前、まだ親の庇護下に居た時……そして、この世界に順応出来なかった、あの日々。
(どうか……ハズレていてくれ!)
何時の間にか身に着けていた魔法。何時の間にか編み出していた魔法。
てっきり、自分には才能があってソレが出来たのだと思っていたのだが……藁にも縋る思いで、アヤカはイノセントを見やった。
「……? 着ていたではありませんか。ほら、剣を抜くときに来ていた、あの――」
それをどう勘違いして受け取ったのか、イノセントは小首を傾げたまま告げた。
「――青色のぬめっとした恰好なのです」
「――んんんあああああああああ!!!!?????」
憐れ、精霊は無慈悲であった。分かってはいたが、無慈悲であった。
心のどこかで覚悟をしたつもりではあったが、所詮はしたつもりでしかなかった。
ぐさりと突き刺さった事実に耐えられなかったアヤカは、堪らずベッドへと飛んだ。「え、あ、あの――っ?」意味が分からず一歩身を引いているイノセントを他所に、アヤカは……ごろごろと、ベッドの上を転がった。
……いくら前世の記憶が有ったとはいえ、アヤカ自身は何ら珍しくもない家の生まれ。
世界自体が前世の記憶にあるソレとは根本から異なっているから、持ち越した知識が役立つなんて都合の良い展開はなかった。
……常識的に、考えてほしい。
教育といえば、村の教会でちょこちょこっと文字やら計算やらを教えられる程度。そんな環境の最中、いきなり大人(この世界においての)でも理解し得ない知識を披露したら、どうなるか。
――断言しよう。
十中八九、異端者扱いされて村を追い出されるのがオチだ。というか、実際に異端者扱いされて追い出された者を、アヤカは見たことが有った。
前世の知識が有るからこそ、アヤカはその者の話す内容を理解出来た。
だが、理解出来たからこそ、アヤカは己の知識が何の役にも立たないことを理解してしまった……させられてしまったのだ。
前世にて得た知識は、その知識に見合う文明と、それを受け入れられる豊かな下地が揃って、初めて有効活用出来るのだということを。
だから、その時のアヤカは固く口を閉ざした。
その代わりに、強く願ったのだ。何時ものようにベッドの中で眠りに就く前に、夜空に浮かぶ月へと……強く、願ったのだ。
――一生のお願いだから、自分の命が今後、危険に脅かされないようにしてほしい、と。
アヤカが青色ラバーのパワードスーツ的な魔法を手に入れたのは、その翌日であった。
目覚めたと同時に、息を吸って吐くかのように、ごく当たり前にその魔法が己の中にあって……話を戻そう。
当時は神様が願いを叶えてくれたとか、己に秘められた才能が開花したのだと有頂天になっていたが、蓋を開ければこんなもの。
まあ、その点についてはどうでもいい。とりあえず、現時点で有効活用出来なくとも、何かしらで利用は可能……ん?
「――ところで、その魔力とやらで新しく魔法を作ることは出来るのか?」
まだ、希望の全てが消え去ったわけではないことに、アヤカは気付いた、気付いてしまった。
ピタリと唐突に動きを止めたアヤカは、ふと、脳裏を過った考えを尋ねていた。
己に多大な魔力が眠っているのは分かった。この際、その半分でもいい。
重要なのは、残った魔力で如何にして楽に小金を稼ぎ、老後を見据えた貯蓄を蓄えられるか……だ。
……そんなアヤカの内心は、ある意味幸運にも、イノセントには伝わっていなかった。
それよりも、あまりに落ち着きのない(意味深)挙動に、「ま、まあ、出来なくはないのです……」三歩ほど物理的に身を引いているイノセントは……促されるがまま、言葉を続けた。
「ですが、貴女の場合は青色のアレに魔力のほとんどを費やしているようなので、他の魔法を習得できる余裕はないのです」
…………何を言われたのか、アヤカは理解出来なかった。
「Hahaha……why?」
だから、素直に聞き返していた。「……ほ、ほわい?」小首を傾げたイノセントではあったが、言わんとしている事は伝わったようだ。
一つ頷いたイノセントは、はっきりと告げた。
「覚えられる魔法は、その人の魔力量によって決まります。そして、一度習得した魔法は、その魔法に見合う分の魔力を常に術者から確保しているのです」
「……と、いうと?」
「つまり、貴女が持つ魔力のほとんどは、あの青色の恰好になる為に使われてしまっていて、余力が無いということなのです」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「覚えた魔法を――」
「無意味です。そうすると、魔力だけ確保されたまま、魔法が使えない状態になるのです。あ、ちなみに、私を抜く条件は魔力の有無であって、どれぐらい使えるか否かは関係ないのです」
「…………」
「…………」
「……でも、あれって防御一辺倒なんだけど?」
「何がどう『でも』なのかは分かりませんが、良いではありませんか。ドラゴンどころか、魔王の渾身の破壊魔法を浴びても無傷で済むのですから」
「…………」
「…………」
「……残った魔力で、何が出来る?」
「指先に小さい炎を灯すぐらいなら、何とか……まあ、火種に困ることは無くなるのです」
期待と不安を込めて恐る恐る問い掛けた質問に、ズバッと返されたアヤカは……再び、ベッドの枕へと顔を埋めると。
「――んんんんあああああああ!!!!????」
再び、胸中より溢れた激情を声に変えて、叫んだのであった。
……。
……。
…………それから、二時間後。ひとしきり叫んで、疲れてひと眠りし、目覚めたアヤカは……食器を片づけ終えて大人しくしていたイノセントの呆れ眼を一身に浴びながら、宣言した。
「金が欲しい……! 年収を上げる方法を考えるぞ……!」
「分かったから、まずは寝癖を梳いて、涎を拭くのです。女云々以前に、子供じゃないのですから……」
けれども、その熱意は欠片もイノセントには伝わらなかった。
とりあえず座れと促され、椅子に腰を下ろす。次いで、棚より取り出したタオルで口元を拭われ、「貴女、もう少し見た目に気を使うべきなのです」櫛で寝癖を整えられたアヤカは……改めて、宣言した。
「金が欲しい……! 年収を上げる方法を考えるぞ……!」
アヤカは、見た目だけはスタイル抜群の美人である。そんな美女がきりりと表情を引き締めれば、見た目だけは格好良さが跳ね上がる。
「それは分かったのです。で、何でそれを私に?」
「剣を抜いたのは俺だ……すなわち、お前の所有権は俺だ。ちゃんと週休二日にするから、協力して老後を考えよう……!」
「老後って、そんな何十年も先の事を今から? ていうか、伝説の剣の精霊を相手に、老後の相談って、貴女……」
「魔王とか、そういうのはどうでも良いのだ……! 重要なのは、今後……せめて、十年……いや、五年は余裕を持てる暮らしを……!」
「……まあ、過程は何であれ、剣を抜いたのは貴女です。魔王云々も、はるか昔の話……貴女がそう望むのであれば、それで良いと思うのです」
「ありがとう……! ありがとう……!」
「その妙に溜めた口調、いいかげんに鬱陶しいのです。それで、何か候補はあるのですか?」
しかし、その前の阿呆な部分を嫌というほど見せつけられたイノセントには、欠片も通じなかった。
まあ、それ以前に精霊である彼女には、人間の色香など無意味なのだが……まあ、それはいい。
――とりあえず、イノセントは己に出来る事と出来ない事を率直に伝えた。
例えば、イノセントは剣を抜いた者から半径十数メートルを超えて離れることは出来ない。また、精霊とはいえ、そもそもが武器の精霊だから、治癒などの魔法は一切使えない等……思いつく限りは先に伝えた。
いくら『伝説』だとしても、出来ない事は出来ない。人間も出来ないことは出来ないのだが、妖精はそれが明確で絶対に覆せないからだ。
「『草取り姉妹』として、二人力を合わせて頑張ろう……!」
そうした結果、アヤカからの返事が、それであった。
「……何ですか、それ?」
アヤカの記憶を覗いたとはいえ、表面をさらりと撫でた程度にしか読んでいない。当然、現在の常識に疎いイノセントは、意味が分からずに小首を傾げた。
「大丈夫だ、給料は安いが比較的安全だ。離れられない以上、そこまで効率良くはならないが、それでも一人でやるよりもずっと儲かるぞ」
「はあ、そうなのですか。よく分かりませんが、貴女がそこまで仰るのであれば頑張るのです」
「よく言った、それでこそ伝説だ……さあ、行くぞ!」
時刻は、昼の少し前。今から薬草採取に向かうには遅い時間帯(夜になると、町への唯一の出入り口である門が閉められてしまう)だが、二人掛りならば……そう決断したアヤカの行動は、速かった。
習うよりも慣れろが信条(考えるのが苦手というわけではない)のアヤカだ。
教材なんて無いから実地で教えるしかないのだが、それを知る由もないイノセントは、家を出て、颯爽とギルドへと向かうアヤカの後を追い掛けた。
……。
……。
…………それは、何ともちぐはぐな二人であった。
前世の記憶を持つだけでなく、魔王にも匹敵する魔力を持っていた(過去形)、誰もが振り返る美貌が眩しい、金髪のアヤカ。
数百年以上の時を重ね、その魔王にも通用するという力を秘めた伝説の剣の精霊である、黒髪のイノセント。
何の因果か分からないが、何とも阿呆らしい経緯から一緒になった二人の前に、どんな道が開かれているのか……それはまだ、この二人にも分からないことであった。
……。
……。
…………まあ、とりあえずは、だ。
「――おらあ、てめえアヤカ! こんな年頃の子を裸で歩かせるとは、見損なったぞ!!」
「ち、違うのだ、聞いてくれダブディ! うっかり、うっかりしていただけなんだ! この子は精霊で、あんまり自然体だったから俺もうっかり――」
「話は詰所で聞いてやる! ほら、きりきり歩け! 手間取らせるな!」
「や、止めろお! 話を聞け、俺の話を聞けえ! 俺は無実だああああ!!」
詰所(要は、交番所兼留置所)へと連れて行かれるアヤカと、「――ちょ、ええ、どうしたの!?」状況が呑み込めず右往左往するしか出来ないイノセントの前には。
……まだ、それらしい道は何一つ開かれていないのは、確かな事であった。
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