第1話 彼女なりに真面目にやってきた




 ……。


 ……。


 …………怒り心頭のダブディから有り難い(心情的には有難迷惑だが)お説教を受けたアヤカは、ギルドから逃げるように飛び出して、幾しばらく。


 特に行き先など定めていなかったアヤカの足は、自然と自宅へと向かい……気付いた時にはもう、家が確認出来る位置にまで来ていた。



 ……アヤカの家は、主要道路から幾らか路地に入った所にある。



 庶民の間では『引き出し家』と揶揄されることもある、『ローランド』においては中級よりも少し下……どちらかと言えば貧しい方に当たる人たちが暮らす三階建ての住居。


 真上から見れば、横線を幾つも重ねたかのように建ち並んでいるように見えただろう。

 

 それが数十メートルにも渡って、幾つも延々と連なっている……その横線の一つの、そのまた真中ぐらい。そこの3階が、アヤカの自宅であった。


 『引き出し家』の由来は、その住居の外観だ。


 建物の構造から真正面に大きな窓が付いているせいで、遠くから見れば、まるで三段の引き出しがドドンと置かれているように見えることから、である。


 ちなみに、各部屋への出入りは建物の横に取り付けられた階段からとなっている。


 アヤカが最初に『引き出し家』を見た時の感想は、『まるで、立てた消しゴムが連なっているみたいだ』、であった。まあ、今はそんなことはどうでもいいだろう。



 そうして、とぼとぼ……と。



 自宅へと続く階段を、アヤカは肩を落としたまま昇る。そのまま偶然にも誰にも見られることなく自宅へと戻ったアヤカを出迎えるのは、所々埃が積もった家具と、部屋の隅に纏められたゴミと、タライに浸けたままの食器が五つ。



 ……そろそろ、片付けしないと駄目だな。



 それらを横目で見やりながら、のそのそとブーツをはいたまま台所を通って、寝室へと向かう。寝室と言ってもアヤカの自宅(というか、引き出し家は)には部屋が二つしかなく、それも実質は兼用なのだが……まあ、いい。


 ガチャリと、寝室へと入ったアヤカは、今朝方から放置したままの皺くちゃのベッドにくるりと背を向けると、そのまま背中からベッドへ……ぼすん、と身体を預けた。



 ――はあぁぁぁぁぁ……。



 途端、アヤカの唇から、深々とため息が零れた。その拍子に、舞い上がった埃が、窓から差し込む日差しの中でくるくると回っているのが目に映ったが……アヤカは気にせず、もう一度ため息を零した。



「『本業』、か。それが出来たら、こんなに苦労はしないんだけどなあ……」



 ポツリと、誰に言うでもなくアヤカは呟いた。次いで、三度目となるため息を零すと。



「人の頭を平気で噛み砕くモンスター相手に立ち向かえって、そんな無茶はやめてくれよなあ……」



 そう言って、四度目となるため息を零した。そのまま、面倒くさげにぽいぽいとブーツを脱ぎ捨てる。「あー、スニーカーが欲しいぜえ」そして、ぐりんぐりんと足首を回して筋を伸ばし……ばたん、と力なくベッドに沈み。



「カップラーメン、一度でいいからまた食いてえなあ」



 そう言って、しばしの間ぼんやりと天井を見つめた後。徐々にこみ上げてきた眠気に促されるがまま、静かにアヤカは目を瞑って……寝息を立て始めたのであった。






 ……。


 ……。


 …………そう、実はアヤカには誰にも信じられていない、ある秘密……というか、真実があった。



 それは、アヤカがこれまで語って来た『妄言』の正体。



 つまり、アヤカには……アヤカ・フォーファン・ダネスには妄想でも何でもない、前世の記憶が本当にあったのだ。


 切っ掛けが何だったのかは、アヤカ自身覚えていない。もしかしたらこの世界に生まれ落ちたその時から兆候があったのかもしれないし、幼い頭で処理しきれないせいで、忘れていただけなのかもしれない。


 ただ、運命の日は、アヤカが7歳の誕生日を迎えた頃。何時ものように母親の手伝いを済ませ、何をするでもなくぼんやりと自室の窓から外を眺めていた……そんな、時であった。



 ――あっ。



 文字にすれば、まさしくこんな感じであった。


 その時のアヤカは分からなかったが、実はこの瞬間、アヤカの心臓は前触れもなく停止してしまった。痛みもなく、違和感もないまま、アヤカは7歳にして突然死を迎えてしまったのだ。


 本来は、そこでアヤカの人生は終わるところであった。だが、終わらなかった。


 『あっ』と何かが身体の中で起こった……その瞬間。


 アヤカは、それまでのアヤカではなくなっていた。違和感も何もなく、気付いた時にはもう、アヤカの心は『女の子』ではなくなっていたのだ。


 遠い、前世の記憶。『日本』という、文明の利器に囲まれた世界に住まう、何処にでもいそうな青年『純一郎』。その男の心が、アヤカの心と混ざり合い……『今のアヤカ』を形成してしまったのであった。



 神の御業か、それとも悪魔の仕業か、あるいは運命の悪戯か。



 人でしかない『アヤカ』と『純一郎』の二人には分からないことであったが、とにかくアヤカは以前のアヤカではなくなったが、生き長らえることが出来た。


 だが、生き長らえることは出来たが、それからの日々は大変であった。


 何せ、元々のアヤカがまだ7歳であったのもそうだが、この世界は『純一郎』としての基準から考えれば、文明のレベルが低い……というか、文明としての方向性が違い過ぎたのだ。


 頭ではそういうものだと分かっていても、心がそれに追いつかないのだ。今でこそ慣れたものだが、初めの頃は上手く適応できずに戸惑うばかりで、幾度となく周囲に首を傾げられた。


 おまけに、この世界は『純一郎』として生きた世界よりも、ずっと死が近い。ここに比べれば平穏すぎる前世界の中でも、特に平和な地域で生きた『純一郎』にとって、この世界はあまりに過酷過ぎた。



 何せ、この世界では5人の子供の内3人が成人まで生きられれば御の字なのである。



 成人するまでに友人が2,3人ぐらい命を落としているというのが珍しい話ではなく、これが地方になると半分が大人になれれば……なのである。


 そんな世界で、アヤカは生きることを余儀なくされた。しかも、性別が男から女へと変わり、それまで『純一郎』が培ってきた全ての常識は、無に帰してしまった。


 その時のアヤカの内心の狂乱たるや、言葉では到底言い表せられるものではなかったことだろう。


 加えて、この世界には、だ。


 文字通り町一つを滅ぼす怪物が存在し、町の外へ出れば野盗が当たり前のように存在し、流行病やら栄養失調やら何やらでバンバン人が死ぬ……そんな世界なのである。


 だからこそ、アヤカはこの世界においては臆病過ぎる程に臆病な性格となってしまっていた。


 いくら『魔法』というファンタジーそのものな超能力があるとはいえ、だ。先天的素養が全てを左右するらしい魔法を扱う才能を、アヤカが持っていたとはいえ、だ。



 ――この世界のやつら、マジで度胸があり過ぎて困る。



 それが、アヤカが抱くこの世界の人々に対する認識であった。故に、『草むしりのアヤカ』と馬鹿にされても、臆病なアヤカにとっては、それが精いっぱいなのであった







 ――とはいえ、金がないのは無視できない由々しき問題だ。



 そんなわけで、翌日。若干の寝癖と寝跡を残したまま、ガタガタと微妙に高さの合わない椅子に腰を下ろしたアヤカは、固くパサつくパンをかじりながら、ぼんやりした頭で悩みを続けていた。


 実際の所……ダブディの言う事は最もである。


 記憶だけとはいえ『男』が混じっているが故の弊害だ。様々な要因が重なった果てに冒険者という危険な肉体労働に付かざるを得なかったアヤカが取れる手段は、そう多くはない。


 何故なら、この世界における労働の大半は男が担っており、そこに女が入り込む余地がないからだ。そこに、肉体&頭脳の区別はない。


 悲しいかな、この世界において今のアヤカがやれる仕事は『冒険者』を始めとした危険な仕事か、春を売るか、あるいは何処かの下働きになるかの三つぐらいしかないのである。



 言っておくが、これは男女差別云々の話ではない。純粋に、この世界における社会システムと、男と女との間に存在する筋力や体力云々の話なのである。



 ぶっちゃけてしまうのであれば、まず、ギルドを始めとした役所関係の仕事に就くことは出来ない。そこに付くには相応な家柄と学歴が必要であり、アヤカはそのどちらも持っていないからだ。


 また、どこそこの下働きに潜り込める女性(これは、男性も同じである)なんていうのも、同じ理由。まともな下働きに入るには、一定以上の家柄を持っているのが前提なのだ。


 もちろん、全部が全部、そうというわけではない。


 しかし、給金が高い、あるいは、職場環境の良いところは、例外なく家柄も見られる。間違っても、田舎育ちのアヤカが採用されることはないだろう。


 ならば、飲食店などの下働きならば……残念だが、それも無理だ。


 何故なら、町中にて見られる求職者募集に関してはその9割近くが以前から町に住んでいる者が前提にあり、田舎から出てきたアヤカはここで弾かれてしまうからだ。


 はっきり言えば、上澄みの職場に行けるのは何処ぞの貴族か豪商の四女か五女以降だけ。中間の清濁交じり合う職場に行けるのは、ここに住まう町娘(男も同様)だけなのだ。


 そう、いくら顔立ち等が良くても、だ。


 田舎から出てきた得体の知れない余所者は警戒されて当然であり、それなりに名が知られているアヤカとて、それはそれ、これはこれで、例外ではないのであった。


 ……前世の機械技術が発達した時代であったならばまだしも、この世界は男女の区別なく、非力な者には厳しい。


 先述した通り、この世界は実に『ファンタジーちっく』であり、『純一郎』が生きていた世界には当たり前にあった機械等はない。


 全く無いわけではないが、それらのほとんどは前世のものと比べて明らかに大きく重く、用途も補助的な意味合いが大きい。


 つまり、全自動ではなく、一部のみ自動なのだ。


 その自動部分以外は全て手作業が余儀なくされており、その手作業とは詰まる所は……力仕事。そう、ここで筋力などが出てくるわけである。



 ……そりゃあ、前世の女たちと比べたら、今のアヤカは力持ちだ。



 ジャムの蓋だって開けられるし、前世での男子平均よりも腕力はある。体力だって、申し分はないだろう。前世なら、国体にも出られるだろう。


 けれども、それでもこの世界においては平均より上という程度なのだ。


 アヤカ自身、鍛えてはいる。だが、この世界の男と比べたら、か弱い。どう頑張っても、一定以上の男には勝てない。一段二段は非力になってしまうのは、もう、どうしようもないのだ。


 1時間で100の力仕事をこなせるのが男なら、アヤカはせいぜいが70ぐらい。


 そこに魔法のアシストを入れれば100を超えられはするが……それは結局の所、無理を重ねているに過ぎない。とてもではないが、そんな無理は半年とて続きはしない。


 そんな男たちですらあっさり命を落とす危険な仕事、それが『冒険者』だ。


 そして、その冒険者の命を奪うモンスターを返り討ちにして、その血肉で糧を得るのも冒険者だ。『危険は大きいが、その分だけ実入りも大きい』というのは事実であり、アヤカが何時までも草むしりに奔走するのは、そこらへんも理由の一つなのであった。



「……何時までも、こんな生活を続けられるわけもないしなあ」



 だがしかし、何時までもそれでいられるわけもない。今はまだ身体が元気で無茶が利くけど、それも有限だ。


 医療なんて有って無いようなこの世界、30半ばで命を落とすということすら、少ないが、そう珍しい話ではない。


 なので、この世界では男女共に一緒になるのが早い。


 都市部と田舎とでは多少なり事情が異なりはするものの、だいたい18か19で嫁入りなり婿入りなりをするのが一般的だ。早い者だと、16ぐらいで一緒になる者もいる。


 なので、だいたい男女共に25歳までにはほぼ結婚していて、子供がいる。子供がいなくとも結婚していて当然の風潮であり、25歳を過ぎて独り身だと……内面に問題がある人と敬遠され、さらに仕事に就けなくなる。


 そんな世界に住まうアヤカは、今年で21歳。


 『行き遅れ』と言われるほどの年齢ではないが、全体からみれば少数派であるのは事実。とりあえず、お節介な近所の人から何人か男を紹介されるぐらいの危機的状況である、というわけだ。



「……やっぱり、モンスターを狙うしかないよなあ」



 何気なく呟いた、その言葉が切っ掛けでアヤカの目は覚めた。


 ごくりと、最後のひとかけらを呑み込んだアヤカは、寝ぼけた頭を覚ます為に、事前に汲んでおいた水で顔を洗う。歯も軽く磨いてすっきりした後は、息を吐いて精神を集中させる……すると、だ。


 前触れもなく、青を基調とした装飾煌びやかな薄手のプレートがアヤカの全身を包んだ。いや、それはプレートというには薄くなめらかで、極薄のボディスーツといっても過言ではない姿であった。


 頭の先から、足の先まで。身体のラインに沿って隙間なく張り付いたかのようなソレは、何とも怪しい。妖しいのではなく、怪しい。率直にいえば、不気味であった。


 その姿を例えるなら……視界を確保する為に取り付けられた両目のガラス穴以外は全て、ラバーに覆われたダイバーもどきと言ったところだろうか。スタイルの良さが、ものの見事に逆効果にしかなっていなかった。



 ――だが、不気味な見た目に反して、その性能は世の鍛冶屋の脳血管を2,3本ぐらい切ってしまう程に優秀であった。



 ……まず、この不気味極まるラバーボディ。



 実はアヤカが独自に開発した魔法によって生み出した鎧には見えない鎧なのだが、とにかく頑丈なことに加え……装着者の身体能力を底上げしてくれるのだ。


 つまり、見た目は悪いがパワードスーツである。


 弱点としては、身体能力底上げ機能を始めとして、スーツに何らかの攻撃を受けると、それに応じてアヤカの魔力が消耗してゆくので、常に身に纏うことが出来ないというものだが……まあ、それはいい。



(――こういうのは勢いが大事! そう、大事!)



 阿呆と言われはするが人並みに考えはするアヤカも他所様と同じく、己の今後について思いを馳せる。その脳裏を過るのは、これまで幾度となく考えた……『本業』の二文字であった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る