【4】Ace May cry : Kotone after


 地獄は、伝染を開始した。

 大震災に伴う戦争であったため政府は完全に民間向けの通信回線を閉鎖しなかった。そのせいで、盛岡の「事件」は参加者たちの手で日本各地に拡散した。

 中途半端な回線速度の低下はここで最悪の形で作用した。回線速度の出ない中で伝えられる不正確な情報は、受け取った各地の人間に思い思いの「悪」を思い描く隙を与えた。そして、断固として戦おうと訴える様々な思想の持ち主が簡潔な言葉……もっと正確な言い方を志すならば感情に訴えるキャッチ―な言葉を……を送信し始めた。不正確な情報と共にその決起を促す言葉は日本中を駆け巡り、その情報の空白地帯に無数のデマが飛び交いはじめた。。

 やがて、不満と不安の濁流は彼らの恐怖心を焚き付けた。

 敵は何処だ?

 敵は誰だ?

 疑心暗鬼に駆られた普通の日本人達は公共施設を次々と襲撃し、避難先の市町村の人間を犯し殺した。

 そして、それを見て、山形県はとうとう「ある決断」に至った。

 今こそ、日本を捨てるべきである。そう彼らに決断を促した。

 山形県は、東日本大震災の浜通り原発の悲劇の難民を奴隷同然に搾取、差別し、その勢いで朝鮮、台湾の難民を奴隷同然に搾取、差別してきた。これまで沖に湧き出たオイルから「取れる」札束でどうにか誤魔化してきたが、そろそろそれも限界であった。

 彼らにとっては助け船だった。県民総出で反省しなければならないと覚悟していたところに「無秩序状態となった日本の治安維持」を掲げた中国軍がやってくるのである。

 これで他の県に頭を下げる必要はない。

 いままでのやましい繁栄に文句を付けられ。プライドを気づ付けられる必要はない。

 欲に目がくらんだ県民全員がこの鞍替えに賛成した。

 彼らの転身は早かった。即日仙台占領中の人民解放軍に連絡を取り、5日中に彼らに水先案内人を寄越した。県警もこれに協力し、自衛隊の居場所をマークして人民解放軍に情報を提供した。こうして5日夜の闇に紛れて無数の戦車が蔵王の峠を日本海側に降りていった。敵の目を完全に欺いた彼らの整然と並んだ戦車の車列が庄内平野に到達しているという情報が自衛隊、J-フォースにもたらされたのは、翌日の昼頃を待たねばならない。

 そして、その報告がもたらされたとき、自衛隊の半数近くが新潟周辺にいた。北部への脱出路を失った彼らはそのまま新潟市内に市民と共に立て籠り、戦略的包囲の中で、佐渡ヶ島の要塞からの細々とした補給に頼り、仲間や市民を共食いしながら次の年を待つことになる。


翌朝、5月6日午前四時……。

 朝起きたら全てが夢であればとは何度も思った。しかし、そのようなことは無く、端末と部下からやって来る報告はいつも通り「絶望」を告げていた。敗北の瞬間は、刻一刻と迫っていた。


 昨日の戦いは最悪の結果に終わった。空母攻撃隊は補給艦一隻および駆逐艦一隻を大破させたものの、空母には数発のミサイルを当てたのみであり、航行、発着艦に支障をきたす損害を与えることは出来なかった。

 Tu-22Mは盛岡を空爆すると同時に大湊の艦隊に対艦ミサイルを発射、この攻撃は現代の戦艦「はりま」こそ無傷だったものの、その衝撃は大きかった。海上自衛隊と、その迎撃戦を見た日本人達はその身をもって、もう大湊が安全な場所ではないことを理解した。

そして政府、自衛隊、いや、J-フォース含む連合軍首脳部の意見が本州放棄プランに一気に傾いた。今後、戦局の維持が不可能と判断される場合、国土の全てのインフラを破壊して北海道に脱出することになるだろう。そしてその日は間近であることは誰の目にも明白だった。

 こんな時、今更のように北上山地のバイスティックレーダーが完成したと連絡が入る。だが、何の意味があろうか、と趙はその報告に皮肉を言った。

 先日、仙台空港にSu-25の飛来が確認された。早ければ今から彼等が低空から攻めてくる。ステルス機も、危険な低空を避け、高高度からこれを破壊してくるだろう。

 敗北は確定、あとは消化試合のみという地獄がここにあった。

(消化試合だって?まだ戦う気か?)

 趙は自分自身を笑った。もう、守るべき人も、守るに値する世界も無いというのに、まだ戦う。部下だとか、人種だとか、いままで価値ある理由だったものは、既に彼には取って付けた空疎な理由のように思えていた。


「本日の任務はこの山田町のレーダー基地の防衛だ。」

 趙は相変わらず高速道路を改造した基地のじめじめしたトンネルの中で昨日と変わらない様子でブリーフィングに臨んていた。

「事実上、直上の哨戒飛行になる。この基地が現在日本の所有する最南端のレーダーサイトになる以上、敵の攻撃は相当激しいものと思われる。」

 フライトスーツを着込んだ趙は部下たちを前に昨日と変わらない様子を取り繕いながら、スクリーンの資料を指さしながらそう説明した。

「また、昨晩、仙台空港にSu-25が飛来、攻撃の主導権は敵にある。しかも、変幻自在、自由自在に策を取れる状況にある。気を引き締めてやってくれ。」

それから趙は、今日の二番機のほうを向いた。

「一番隊は私が飛ぶ。2番機、ついてこい。」

 了解、と敬礼した二番機を一瞥した後、本日の割り当てを発表し、質問が無いことを確認した趙は何も言わず、愛機を目指して歩き始めた。

 昨日から3分の2近くまで減ったパイロットたちも深海のような光のない真っ暗な瞳を向け敬礼すると、本日の割り当ての機体へと足を向けた。


 「指令!もうおやめください。」

彼の部隊の参謀長が老兵をいたわるように駆けつける。無理もない。誰から見ても趙は消耗しきっていた。目に光がない。その姿は生ける屍の様で、誰でも、昨日まで彼を支えていた「何か」が失われてしまったのは一目瞭然である。

「指揮官たる貴方がこれ以上損耗してしまったならば、全南北朝鮮からの同胞の士気の低下は避けられません。」

「私が損耗しているように見えるかい?」

 参謀長はその一言を言われたとき、趙の瞳を見ていた、光のない、ブラックホールのような瞳を。

 彼は狂っていた。

 そして暴走していた。

「大丈夫だよ。それに、僕が飛ばなければだれが前線の指揮を保つんだい?」

 そうやって趙は正論で参謀長の忠告をやんわりと、そして同時に強く断った。

「予定通り、私は私の空を担当するよ。」

 参謀長は彼を止める術は持っていなかった。趙はさながら壊れた機械のようだった。無数のエラーを出しながらも動き続けようとする壊れた機械。あるいは守るべきものを失ってなお強固に開封を拒む金庫の扉。その彼最後の強靭さを支えているのは底なしの悲しみであった。

 その心理を言い表す言葉を参謀長は見つけられなかった。だが、推測できるものはある。

 恐らくは、彼には自分たち朝鮮人の将来、連合軍を指揮する責務、といったもののほかに、情熱的にこの戦略を支える個人的な理由があったのだろう。そして、それを通じて、70年ぶりに身を寄せた「もう一つの祖国」への愛国心に似た根を下ろしていたのではないか。そして、昨日の戦いでそれが枯れてしまったのではないか?参謀長はそこまで考えを巡らせ、その憶測をそっと心の奥にしまった。もしそれが当たっていたとすれば、それに対して自分のできることは無い。下手な言葉は却って彼を追い詰めるだけだと思ったからだ。

「参謀長。任せた。」

 参謀長が推察を巡らせる中、既に趙は機体に乗り込んでいた。

「閣下も、お気をつけて。」

 うん。と首肯すると、彼は機体のキャノピーを閉じた。参謀長は、その透明なキャノピーがゆっくり閉まる様を黙ってみていた。それは、彼と「何か」を切り離されて行くように見えて仕方がなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 彼女は居なくなった。もう、守ることは出来ない。

 彼女の棲む街は無くなった。灰色の残骸だけが、栄華の幻影の中を漂っている。

 彼女を受け入れた国は無くなった。憤怒に飲まれた人々から、慎み深さも、優しさも、見つけることが出来なかった。

 鋼の燕に手をかける。だが、その翼についたミサイルや機関砲は存在する理由を喪失していた。

 その手綱を握る騎手が、戦う理由を失った。

 戦う理由を失った趙の手には一人の男の姿を描いた絵画があった。

 男の名はジル・ド・レ、神の悪辣さと無慈悲に狂い切った男だ。

 そしてそれは幾度となく琴の写真を貼った位置に貼り付けられた。

(もう私には、神様の姿が見えない。いずれ僕もこうなるだろう。)

 計器電源を一つ一つ入れながら彼はそう、神を呪った。

(たが、それが何だ!彼女が罰せられるのが正しい世界だというのか?)

 エンジンを起動し、各種システムの作動をチェックしながら、彼は運命に呪詛を吐いた。

(彼女が悪だというなら僕も悪に落ちよう。私なりの方法で。)

 墓地の下のトンネルから滑走路へ引き出される中、彼は心の中で自らの未来を予見した。

 まもなく戦争は終わる。そして、その時か、その後に自分が裁かれる日が来るだろう。その日に正義の鉄槌を食らって罰せられ、苦悶のうちに死ぬ。その姿がありありと想像できた。

 そして、心からそうありたいと願った。この列島の大地に守るに値するものは、もう無いのだから。

『コラギ1、ウェルズアップ……グッドラック。』

 機体は高速道路から飛び出した。幸運なんてあるものか、と管制塔からの通信に呪詛を吐きながらこの国の神の未だ姿を現さぬ水平線の輝きを趙は凝視していた。







      【終劇  妖精の従者・本編に続く。】

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