【2】Ace may cry : Morning of interlude(2)

「つまり、敵が侵入しているという事ですか?」

 保守派テレビ局で女性コメンテイターはそう発言した。

「そうです。敵です」

 知識人風の男は確信を持った毛でそう発言した。

「いくら震災があったと言え、ここまで迅速な侵略が成されたということはですね。大量の情報提供者がいるとみて間違いないと思います。」

 なるほど、と女性キャスターが言い終わると、カメラは、知識人風の男の方を向き、知識人風の男はテレビの向こう側を睨んだ。その行動の意図を理解してカメラは更に彼に近寄る。

「皆さん、皆さんの周りに前からおかしいと思う人はいませんか?最近、妙に様子がおかしかったという隣人はいませんか?彼らが、もしかしたら敵の先兵かもしれません。」

 そうだ、とTVの前の男は頷いた。

「よく探してください。あなたの隣人、親、息子が様子は可笑しくありませんか?よく注意してみてください。交戦相手国に対して利敵行為を働いている人を見かけたら、是非「きずな」の外部情報窓口に……。」

 朝鮮人だ!とTVを見ながらボロを纏った男は怒鳴った。

「昔からそうだった。朝鮮半島から逃げてきた奴らも、最初から日本にいた奴らも、みんなそうだ!あいつらが……戦前の事をいつまでもあげつらって金を得ていたあいつらが、もう不要とばかりに日本を捨てに来ているんだ!」

 一か月洗濯も風呂も無い異臭漂うテントの中で彼は喚いた。

「やめろ、たかし、腹が減るだけだ。」

 一緒に避難してきた昔から大親友に悟られて彼は怒りに任せて怒鳴るのをやめた。

 彼らは、一か月前まで昼も夜も無く動き続ける町でネクタイを締め、スーツ姿で街の空気を切っていた。たかしが今それを思うと夢にような世界だった。

「それが、どうだ、今のこのみじめな暮らしは」

 今目の前で起こっていることをたかしは現実とは思いたくなかった。年収が半分もない人間たちに頭を下げ、やけに硬いミミズのような麺を郷土料理だと言って食わせられる(こんなの虐待だ!と彼は思っていた。)少なくとも、東証一部上場企業のサラリーマンの生活ではない、そう心の中で怒りを反芻していた。

 あの東京という町が生み出す無限大の資本があるなら、自分たちは金で出来た仮設住宅が与えられるはずだし。そうあるべきだ。しかし、今自分たちの目の前にある現状はそうではない。誰かが富を中抜きしているのだ。そう結論づけないほうが今の彼にはおかしく思えた。

 ああ、とたかしはため息をついた。社会悪は倒しておくべきだった。こんな酷い目に合っているのはきっと敵性外国人のせいだ。それは昔から分かっていた。心の中ではしなければならないことを分かっていた。だが、それを実行に移すにはハードルは無限大に高すぎた。心の奥にはこういう恐怖があったからだ。

 もしかしたら、行動するのは自分だけかもしれないぞ。

それは恐怖だった正義を成せないばかりか自分は馬鹿者として非難され、嗤われる恐怖はいつも彼の正義の戦士として戦いに参加しようとする心を阻んできた。

 諦めを持つのは早かった。直ぐに彼は怒りを鎮め、薄い毛布の生暖かい世界に戻ろうとした。

 難民キャンプの朝は暗い。


 その時だった。突然、テントの入り口が開いた。

「市役所へいくぞ!」

灯り一つない難民キャンプ……とは名ばかりなテントの暗がりにの一つに男が駆けこんできた。

「なんでさ?」

「市役所は今「敵」を囲っている。」

 がたっと、多くの男たちは音を立てて驚いた。

「間違いなく朝鮮人だった。朝鮮顔のエルフ女が子供を引き連れてバスに乗っていた。」

「あ、あいつら……。」

 このテントの住民は皆、自分の国家の立法から個人の恋愛までが全て朝鮮人の陰謀によって歪められていると信じている「普通の日本人」の一団である。怒りは直ぐに共有された。

「市役所が敵に騙されたのか?」

「グルなのか?」

「知らない。」

 テントの中の小さな声はやがて熱と異常な高揚感を持ったものに変わっていった。いつのまにか、彼らは議論ではなく行動を良くしていた。

「どちらでもいい!」

 まるで振って振りまくった炭酸の入ったペットボトルの様相を呈していたテントの栓を弾き飛ばしたのはさっきこのテントに入って来た男だった。

「殺せ!殺すんだ!敵を殺せ!」

 次の瞬間、狭い出口を勢いよく彼らの怒りが駆け抜け、世界に溢れていった。ペットボトルが破裂するような勢いの怒りの濁流はもはや論理ではなく一つの力場であり、エネルギーだった。

「奴らを許すな!」

「闘え!」

「殺せ!」

 熱狂の中、「普通の日本人」たちの群れは一路合同庁舎を目指してテントを飛び出した。


 彼らが外に出ると、多くの人々が活気を帯びていた。

「敵を殺せ!敵を倒せ!敵を許すな!」

 そんなリズムに乗った歌がどこからともなく聞こえて来た。なんだなんだと彼等は見えてきた集団に近づいていった。

「国民達よ立て!日本は反日左翼と亡命外国人を装う工作員という病に冒されている!」

「……まじか……。」

 彼らは驚愕した。夢にまで見た光景だった。テントから這い出てきた彼等はその集団に駆け寄った。

「良き市民達よ!岩手県は市民を裏切り、敵側に付いた!力を合わせて悪を倒せ!」

 駆け寄ろうと近づくほどその声は大きくなり、その力強さ、燃える正義感と使命の白熱ぶりが露わになった。男も女も、若者も母親も年寄りもいた。

「貴方たちは?」

 集団の前に立ってテントから出てきた一人の男が聞く。それに列の中の一人はこう答えた。

「普通の日本人です。」

 彼らはその問いに感動した。それは慣れらが長年待ちわびていたあるべき同士の姿に他ならなかった。ついに戦いが始まったのだ。日本人が正義に目覚め、「敵」を手を合わせて撃破する日が来たのだ。

「君たちも社会悪と戦うのかね?」

「そうです。この日を待っていました。共に市役所に籠る悪を倒しましょう!」

 テントから出てきた男たちは感動の涙を流した。そして彼等は列に加わった。彼等は知らなかったが、後方の列からは更にこんな声が叫ばれていた。

「勇敢なる革命同士諸君!私は見た。有産階級が我々より優先して本州を脱出しようとしている。彼らは先んじて北海道に渡り我々を搾取する構造を作る予定なのは火を見るより明らかだ!」

 そういって革命に全力で邁進することを誓った。

「いいの?みんな?見たの!女の人はごまかすためのごく一部で、殆どは男よ!こんな時まで男の特権を振り回している!許しちゃダメ!今回警察に同調した裏切り女も同罪よ。」

 女性の権利向上を目指す一団は、殺せーと集団は声を一つにして絶叫していた。

「バスを見た!女が今かとばかりに女の特権を利用しようとしている!女利権を許すな!」

 男性たちの集団も殺せ!と叫んだ。言うまでもなくこの集団も市役所での「悪」の殲滅を唱えた。

「邪神を殺せ!役人は悪魔の手先である!」

 教会の神父と近くの寺の僧侶は手を取り合って宗教的な殲滅のメロディーを奏でる。

 思想の異なる彼らだが、揺るぎない正義と偏狭な自我はこの時互いを敵視せず、盲目的に同じ行動をしようとする者たちを仲間と認識した。やがてそれはばらばらでありながら一つの流れを作り、一つのベクトルを生み、一つの禍々しい目的を目指して動き始めた。

 やがて自然と彼らは歌い出した。最初はばらばらな主張の歌が歌われていたが、合同庁舎に近づくころには一つのリズム、一つの歌詞、一つの合唱となっていった。

 歌の津波が陸に向かって蠢き始めた。

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