【2】Ace may cry : Morning of interlude(1)
「来ないだと?」
大沢一郎は盛岡市長、藤谷昭博に表情一つ変えずに聞き返した。
「ここは私の街です。私はこの街を守る責務が有ります。」
「ふん。」大沢はそんな彼を鼻で笑いながら、はあ、とニコチンまみれの溜息を藤谷に吹きかけた。
「こんな所を守って何になる。」
「それであっても、私は彼らからこの街を任されている存在です。」
「善人ぶりあがって……。」大沢は下品な笑いを浮かべると、目の前の男を笑い飛ばすことにした。
「なあ、藤谷、お前、市長選に初めて立った時に俺に壺を持って取り入ってきたことは覚えているよな。」
「ええ、覚えています。」毅然とした声で藤谷は岩手最大の権力者に堂々と言葉を告げた。
「私など、所詮は市民の後ろで私腹を貯め込む寄生虫です。だが、いや、だからこそ、宿主の危機とあればいの一番に闘う。そういうことにございます。」
「宿主ねぇ……。」
大沢は県庁前に集まる一団を指さした。
「全部女が悪いんだ!」
警察車両の中に引きずり込まれる男は抵抗しながら叫び続けた。
「フェミが悪い!あいつらだ!あんな連中を男より重んじるクソ野郎が中国に内通したんだ!そうに違いない!」
ボロボロの服を着た男たちはリアルに作られた等身大ドールの人形をタイヤと共に燃やしながら残った人形を「男に染める」為に己の卑小な一物をその穴に叩きこんでいた。
「俺の言っていることは経済的にも正しいぞ!」
その人物も警察車両群の奥に消えていった。
「生活保護者が悪い!」
デモの一団が叫ぶ。彼らの手にはぶくぶくと太った生活保護者が人の金で散財を繰り返している風刺画のプラカードが掲げられていた。
「朝鮮人だ!奴らがパチンコ代欲しさに国を売った!」
古びたアスキーアートの「朝鮮人」の看板に大きくバツを書いたそれを掲げた一団が通り過ぎた。
「アニメや漫画の愛好家は精神異常者だ!そんな連中でなければ敵に内通したりしない!」
「ミリオタが戦争を見たくて中国に内通したんだ!」
「右翼のせいだ!」
「左翼のせいだ!」
「宗教のせいだ!」
駅前広場を埋め尽くす関東からの難民や市民は思い思い、それぞれが想像する「悪」をやり玉に挙げ、ぼろ切れを繋いだ幟を立てて合同庁舎の前を横断する。
彼らの不満は際限がない。関東難民はかつて日本最高のインフラの中で生活し、満ち足りた生活を送っていた。そんな彼らは当然地震で街を失い、鬼が出るか蛇が出るかという田舎に着の身着のままで逃げてゆく生活がやってくるなど夢にも思っていなかった。
そんな彼らが亡命先でまだ寒さの残るテントの中で震えあがりながら、思った。
何故、自分たちがこんな目に合わなければいけないのか。
何故、避難先の人々は、日本を牽引していた自分たちをもっと敬わないのか。
何故、まともな日本語もしゃべれない連中に三食のたびに頭を下げなければならないのか。
関東からの難民には我慢も客観も無かった。だから、彼らはこの苦境を「悪」に託した。
誰か悪人がいるはずだ。彼らさえ倒せば再び自分たちはこんな田舎の手助けなど無しに眠らない都会で満ち足りた生活を手に入れる。そんな思いが渦巻いていた。盛岡に今なお集まり続ける関東難民は100万人を超える。当然、市民との軋轢も発生している。
市民の側も突如現れた「難民」に対して複雑な印象を持つ者も多かった。当初は人道的見地を優先していたものも多かったが、やがて、彼らの強欲に嫌気がさすもの、関東人の趣味、風俗が理解できないもの、「難民」にご都合主義的な「可哀想な人」を想像していた人などが次々脱落した。そして彼らもやり場のないストレスをぶつけるために、元凶たる「悪」を必死になって探し始めた。そして、関東難民達同様、抗議の列に加わっていった。
「見ろよ。こいつらの暴発も時間の問題だ。」
大沢はその人間たちの群れを指さした。
「どうせ宿主は内と外から憤怒に食われて死ぬ。なあ、俺と来ないか。もっと座り心地のいい椅子が待っているぞ。」
彼は少しだけ考えて小さくため息をつくと、大沢に面と向かって自分の決定を告げた。
「残念ですが私は今の椅子が気に入っているんですよ。これよりいい椅子は寡聞にして聞きません。」
その言葉を最後まで聞くと大沢は力なく勝手にしろ。と一言言ってその場を立ち去った。
すぐそこに民間払い下げの自衛隊の高機動車が待っていた。その車内に入るともう一度だけ藤谷に視線を合わせて「ばーか。」と一言言うと、そのまま立ち去った。
大沢の車を見送った藤谷は早速合同庁舎の中に入る。東日本大震災後に出来た県庁との30階建ての合庁の、ピカピカの階段を駆け上がると知事不在の災害対策室に飛び込んだ。
「治安が悪化している社会的弱者を旧市役所と現合庁、警察署に一時収容するという県警の話、直ちに開始しなさい。」
待ってました、とばかりに県庁、市役所の職員たちは効率的な機械として稼働を開始した。
事前連絡で待機していたバス会社に連絡し、自衛隊物資を輸送した帰りの列車の空きについてアクセスする。そして決断を伝えるべく各分庁舎に残された回線を使って連絡を入れて行った。若手や窓際族も、これから起こることに備えて各階の広間の片付けに駆け始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
琴はその日の朝を自分の店で迎えていた。
鍋に火をかける。闇物資や賞味期限切れで捨てられていた食材の様子を見る。まだいけそうだと判断したそれを慎重に洗おうとペットボトルを取りに行こうとした時だった。
こんこん、とドアを叩く音がする。
はい、と声をかけて開けると、馴染みの顔。近くの交番からよく昼休みを食べに来ていた若い警官だ。
「琴姉さん。ちょっといいですか。」
と尋ねる警官の真剣な表情に、なんとなく事情を察した琴は不安になった。
「今街が危険なことは知っていますよね。」
「ええ、だから今日もみんなのために炊き出しの準備をしているのよ。」
「……姉さん!」
若い警官のその強い言葉にひるんだ。いや、自分を守ろうとする彼の、その背後に見えた正体不明の恐るべき事態の影に恐怖した。
「もう、町は駄目なんです。いつ暴動が起こるかわからない。今、県の避難プログラムの計画が変更されて狙われやすいマイノリティーや女性を優先で逃がしています。分かりますよね。エルフへの偏見は一見消えましたが寿命や容貌への恨み、妬みは姿を隠しているだけです。それが噴出して、姉さんの元に行くかもしれない。」
彼は一気にそれを言い切った。優しく、情け深く、自己の主張と覚悟が強い彼女を動かすには、これしかないと覚悟を決めたようだ。
「逃げろ……ってこと?」
そうです、と返答する警官に琴は毅然と反論した。
「そんなこと、出来ますか!ここは私の街です!」
「強情張る気持ちはわかります。でも、本当なんです。もう、時間がないんです。」
琴はその警官の真剣に自分を助けようとする顔を数秒眺めたのち、今まで見せたことがないような真剣な表情で一つ、質問を投げかけた。
「この子、この子を連れていけるの?!」
いつの間にか傍にいた小学生の男の子に警官はやっと気づいた。琴の孫、まだ自分の人生の苦楽の百分の一も知らない無垢な少年が、そこにいた。
「勿論、席は開けれます……必ず開けます。僕の恩返しです。」
即答だった。それを聞いてようやく覚悟を固めた琴は、決断の内容を表明した。
「分かりました。避難の準備は出来ています。ここの部屋と食材はどうか避難民のために使ってあげてください。みんなお腹がすいているから気が短くなっているんです。」
「分かりました。」
琴はすぐさま避難のための避難用の鞄を取りに行き、即座に避難準備を完了する。警官は、警察が借りているバスの運行について確認していた。
バスが来るまでの間、売り物の中で一番賞味期限が迫っているコーラを引き出し、孫と警官とで飲んでいると、不意にジーという音が遠くから聞こえてくる。
慌てて空を見ると、MiG-29の編隊が街の上で死体の上に集まるハゲタカのように死を告げる弧を空に書き残していた。
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