華が咲くにはタネがある

くま蔵

第1話 ロックンロール

 ここが俺の新しい職場か。


 基本的な設備は揃っているし、パソコンも新しいものが用意されている。オフィス環境は悪くないな。


 しかしアイドルグループを新設するなんて、ウチの会社も今さら何をやってるんだか。かれこれ何年も続いてるこのアイドルブームが、この先どこまでも続いていくと思ってるのかね。


 それにしても、まさか俺がそんな訳の分からないところに出向になるとは・・・。


 別に何か悔やんでいることがあるわけじゃないが、ロックバンドを中心としたアーティストのプロモーションを生業としてきた身としては、少なからず戸惑う気持ちがあるのも事実だ。


 重ねて言うが、後悔はしていない。


 メジャーデビューの時から一緒に夢を見てきたバンドが、少し売れなくなったくらいで簡単に契約を打ち切るなんて、絶対に間違えてる。すぐ上の上司だけでなく、上司の上司にまで楯突いたのはやりすぎだったかもしれないが、言うことを言わないでそれを受け入れてしまったら俺は必死で頑張ってきたアイツらに顔向けが出来ない。


 もっとも俺ごときが騒いだところで結論が変わることはないのもわかっていたが、大事なのは結果じゃない。心意気だ。


 俺は最後までアイツらのために戦った自分を誇りに思うし、自分がその代償を払わされること自体も悪い気はしていない。


 所属するレコード会社を失い先々の展望も見通せなくなったヤツらに比べれば、給料も変わらずにこんな立派なオフィスで働くことのできる俺は幸せな方だ。


 アイツらも実力は確かなんだから、頑張っていればいつかまた一緒に仕事ができることもあるはずだ。そういう目標や夢を持っているからこそ、俺も次の仕事を頑張ることができる。何だったら、そんな奇跡を期待しながら過ごせることに喜びを感じるくらいだ。


 そんなこんなで周りの冷ややかな目線をものともせず、颯爽と、むしろ満足感すら漂わせて前の職場を後にしてきた俺だが、しかしアイドルの運営会社か・・・。


 いや、後悔はしていない。


 どこに居たってやることは同じだ。俺の仕事はアーティストが輝くためのお手伝いをすることで、縁の下の力持ちとして彼らを支えること。これからは彼女らか。


 それに最近はアイドルグループといってもロックの聖地とされる国営の武道場や、サッカーのワールドカップの決勝戦が行われる総合競技場でコンサートを開くっていうじゃないか。


 やるとなったら、そういう会場でコンサートが催せるくらいの、一番のグループを目指さないとな。


 何事にも前向きと友人からも評されることの多い俺は、気持ちを切り替えて午後の会議に備えることにした。


 しかし手元にある資料に目を移してはみたが、いまいち内容が頭に入ってこない。


 プロモーションの仕事についてはわかる。その次のイベントの企画、実施も。問題はその下だ。


 タレント及びタレントのマネジメントスタッフの管理。


 これはどういう意味だ。タレントのマネジメントスタッフって、要はマネージャーだろ。その管理って何だ。それにタレントの管理も俺の仕事なのか。つまり俺にもマネージャーの仕事をしろってことか。アイドルのマネージャーね・・・。


 あれ買ってこい、これ買ってこいっていう注文に応えたり、ダダ捏ねるのをなだめて仕事に向かわせたりって感じかな、きっと。そんなこと果たして俺にできるのだろうか・・・。


 とりあえずミーティングの場で社長に確認してみよう。文字面だけじゃ埒が明かない。


 異動初日の恒例行事であるパソコンのセットアップなどの庶務を終えた俺は、早めの昼食をとって指定されていた会議室に向かう。その手にはボールペンにノート、疑問と不安、それと少しばかりの期待や夢を携えていた。


「失礼します」


 あれ、まだ誰も来ていないのか。


 そう思った矢先に俺は後ろから低めの、落ち着いた声で呼び止められた。


「おっ、キミが柏木かしわぎくんだな。先日はメールで失礼したね。長瀬ながせです。これからヨロシク」


 振り返ったそこには、ナイスミドルという感じの渋く、品のありそうな紳士が立っている。


「あっ、はい。柏木賢治けんじです。よろしくお願いします」


 この人が長瀬さんか。俺とは違う畑の人だから顔も知らなかったけど、なんか良い人そうだな。


 しかし曲がりなりにも部長格だったのに、この新設会社の、それもまだ影も形も無い先行きも不透明なアイドルグループの運営会社に出向だなんて、この人も何かヤラかしたのかな。他人ひとの事を言える立場ではないけど。


「さて、さっそく始めるか」


 ちょっ、ちょっと待ってくれ。始めるって、まだ人が揃ってないぞ。俺だけじゃないか。


「長瀬さん、すみません。他のスタッフがまだ来てませんが。先に始めてしまうのですか?」


「他のスタッフ?ひょっとして総務とか経理とかのスタッフのことか。彼らは親会社との兼務だし、現場に直接関わるわけではないからな。今日は現場のスタッフだけのミーティングのつもりだったんだ。すまなかったね、言葉足らずで」


 あぁ、そういうことか。たしかに、しばらくの間はそんなに規模も大きくならないだろうし、コーポレート業務のスタッフを専属で抱える必要はない。そうなると必要なのは、実際のビジネスの現場に関わる部門だけか。


「少なくとも最初のうちは最大限、親会社のリソースを活用するってことですね。理解しました。そうすると仰った現場のスタッフというのは・・・」


「とりあえずはキミと、総てに関わることになる私。今のところ二人だ。なに、安心してくれ。メンバーの募集に併せて、並行してマネージャーの募集もかける予定だから」


 ・・・俺だけなのか。


 後悔は・・・していない。よな。うん。


 まぁ、今の時点では現場は何も無いし、会社としての箱組だけあればいいってことかな。そのうちに仕事が増えてきたら人も増えるのだろう。


 とりあえず俺が頷くのを確認して、長瀬さんが話を始めた。


「さっそく本題に入らせてもらうよ。ここまでに伝わっている話と重複するところもあるだろうが、そこのところは聞き流してくれて構わない。あと質問も適宜してくれていいから」


 しかし穏やかな話し方をする人だな。それでいて自信というか、余裕のようなものも感じるし。ホント、何でこんな人がここにいるんだろう。


「まず、我々は今はまだ社内の一つのプロジェクトという位置付けだが、近いうちに別会社として切り出される。私とキミはそこの会社の所属になるっていうわけだ。要は出向ってやつだな」


 プロジェクトって聞くとカッコ良く感じるが、出向となると急に都落ち感が出てくるな。まぁ、どっちでもいいのだが。


「その会社は、新たに結成されるアイドルグループの運営を主たる業務とするわけだが、そうは言っても会社形態である以上、必要最低限の機能は備えておく必要がある。その部分については先ほど話した通り、ウチの会社の関係各部から兼務者を出してもらって対応することになる」


 オフィスも親会社のビルの間借りだし、本当に現場を除けば今までと何も変わらないな。しかし、問題は現場だ。


「そして近々、一期生メンバーのオーディションを実施することになっている。そこで我々と一緒に活動するメンバーが決まるというわけだ。仕事が本格化するのはそれからだな。その前に柏木くんに動いてもらいたいのは運営会社の直接雇用となるマネジメントスタッフの確保と、メンバーの公私にわたるマネジメント計画を立てる部分だ」


 要はマネージャーの採用活動をしろと。もう一つのメンバーに関する方は何をすればいいんだ。


「採用の方は了解しました。さっそく人事部に相談してみます。もう一方のメンバーをどうのというのは、具体的には何をすればいいのでしょうか」


「難しく考えなくていいさ。アイドルとしてのプロデュースについては外部のプロに任せるから、それ以外の部分について考えてみてくれってことだ。スケジュール管理や現場への同行の段取り。それに住む場所のことや私生活に関するルール作り、まだ学生のメンバーに対しては学業との両立のサポートなんかもだな。他のグループのやり方なんかを参考にしてみるといいんじゃないか」


 つまり、華やかな部分以外は全部担当ということか。


「想像していた裏方の、更に裏みたいな仕事ばかりだと思っただろう。あながち違わないが、心配しなくていい。活動が軌道に乗ってきてマネジメントスタッフも充実してきた暁には、キミにも企画やプロモーションに現場の代表として関わってもらうつもりだ。そっちがキミの本業だしな」


 長瀬さんが言ったことは、まさに今、俺が思ったことそのままだ。この人、俺の心が読めるのか。それとも顔に出てしまっていたのかな。


「お話を伺って色々と合点がいきました。とりあえず出来ることからやってみます。まずはメンバーが決まるまでに着手できることに取り掛かります」


「慣れないことも多いだろうが、ヨロシク頼む。どんな内容でも気軽に相談してくれて構わないからな。一緒に最高のグループを作り上げよう!」


 そうだ。俺はこのグループを最高の、この国で一番のアイドルグループにするって目標を、夢を持ってここに来たんだ。わからないことだらけだが、そんなことを言っている場合ではない。


 やってやろう。やるしかない。後悔している暇なんてどこにもないぞ。


 決意を新たにし前を向いた俺だったが、一呼吸置いたところで肝心なことを確認し忘れていることに気付いた。これだけは訊いておかなくては。


「すみません、最後に一つだけいいですか」


 長瀬さんが黙って頷く。


「ウチのグループの名前をまだ聞いていないのですが、もう決まっているのでしょうか」


 長瀬さんが笑って頷きながら窓際のホワイトボードに向かい、話しながらペンを走らせる。


「そういえばキミには知らせてなかったな。一応、オープンになるのはまだ先だから取り扱いには気をつけて欲しいが、キミが知っている分には問題ないだろう。運営会社の本店所在地となったこの場所と、このグループが永久に続きますようにという願いを込めて付けられた名前だ。悪くないだろう?」


 そこに並べられた文字を、俺は頭のなかで何度も読み上げてみる。


麹町こうじまちA9えーないん


 その名前は、なぜだか俺には成功を約束されたような、そんな字面と響きに思えた。

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