一夏の思い出なんかじゃ終わらせない

とらたぬ

一夏の思い出なんかじゃ終わらせない

 夏休み。

 これと言ってすることもなく、部屋でごろごろしていると、スマートフォンがリズミカルな音を奏で始める。画面を見ると、『先輩』と書いてある。

 わざわざ専用の着信音にしているのに、名前を見るまで忘れていた、というより、それが現実のことであるとは思えなかった。

 これは夢。夢じゃない……?

 自分のほっぺたを抓って、痛い。つまり、夢じゃない。

 そこまでやって、ようやくまだ先輩からの電話に出ていないことを思い出した。

 慌ててフリックして、通話を始める。

『あ、もしもし、紗倉さくら?』

 穏やかで、何時間でも聞いていられそうな柔らかい声。

 私は脊髄で返事しそうになるところをぐっと堪え、一呼吸入れる。

 落ち着け、先輩の前で恥ずかしいことはするな。落ち着いて、いつも通りに。

「もしもーし。可愛い後輩の紗倉ですよー? こんな時間にどうしたんですかー?」

 テンパってしまって、何でかウザい感じになってしまう。いつもそうだ。先輩と接すると、どうしても冷静ではいられなくなる。

 ある意味いつも通りと言えば、まあ、実際その通りなんだけど、理想とするところはこんなのではないのです……。

 客観的に見た私は、嫌われていないのが不思議なくらい、ウザいと思う。

 でも先輩は優しいから、こんな私に付き合ってくれる。

『おー? 可愛い可愛い。ま、それは置いといて、今日の夜、暇? 夏祭り一緒に行こうぜ』

「ふむふむ、つまりはデートのお誘いですね? ふーむ、一人寂しい夏休みを過ごしているであろう先輩のことです、当然の如く一緒に行く相手がいなかったんですね? まったくもう。仕方ないですねー。特別に、付き合ってあげましょうとも!」

 あーーーーー!!

 脊髄で! 返事を! するな!!

 自分の体なのにコントロールが利かない。

 考えるよりも先にウザい言葉が口から転がり出る。何でだよ。意味がわかんない。

 別にこれっぽっちも先輩をバカにするつもりとか、ないんです! と、声を大にして言いたい。

『うん、そうそう。一人で屋台を回るは寂しいからな、やっぱ友達と一緒の方が楽しいし。ま、そういうことだから。集合時間と場所は、メッセージ送るな』

 先輩の対応は慣れたもので、いちいちウザ絡みする私を軽く流して話を進める。

 これは本当にありがたい。

 いちいち取り合っていたら日が暮れてしまうだろうから、適度に乗って、適度に流してくれる先輩には感謝しかない。

 ただちょっと楽しんでそうなのが困りもの。それは本当の私じゃないんです、と言いたい。

 通話を終えると、すぐに先輩からメッセージが送られてきた。

『18時に駅の東口近くにある古い神社。これで大丈夫そう?』

 古い神社、というと、ここらへんに住む人がよく待ち合わせに使う場所だ。時間も問題ない。

 そんな旨の文章を送信して、早速準備に取り掛かった。

 現在時刻は16時。急がなくては。

 急いでシャワーを浴びて、髪を乾かし、浴衣を着ること前提に、ふとした拍子にうなじが目に入るよう髪を結わえる。男の人は浴衣を着た女の子のうなじが好きだと聞いたので。

 それから二軒隣にあるお婆ちゃんの家に行って、可愛い浴衣を借りる。

 家に帰って、お財布やスマートフォンを持ったら、お気に入りの香水を手首につける。

 昔先輩にいい匂いだって、言ってもらえて以来、ずっと使っているやつだ。

 スマートフォンで時間を確認すると、ちょうどいい時間になっていた。

 慣れない下駄を履いて、神社に向かう。カラコロと鳴る音が、耳に心地いい。

 神社に着くと、もう先輩は来ていて、誰かと談笑していた。

 なんだか声をかけるのが躊躇われて、所在なく突っ立っていると、先輩の方から私を見つけてくれた。

「よう、紗倉」

「こんばんは、先輩」

 流石に人前だと、暴走癖も鳴りを潜め、これでようやく普通に会話ができる。だから先輩、そんなちょっと残念そうな顔をしないでください!

 内心軽く頭を抱え、ちらりと先輩の隣を見た。

「あの、先輩、隣の方は……?」

 先輩は自分の隣を一瞥すると、すごくどうでも良さそうに言った。

「ああ、これ? 気にしなくていいよ。途中まで一緒に行くだけのやつ」

 そういう風な扱いはいつものことなのか、隣の人も苦笑いしているだけで、怒ったりはしない。

 しばらくして、ちょうど18時になった頃に来た浴衣姿の女の子を加えた私たちは、夏祭りの会場に移動した。

 前を先輩の友人二人が歩き、その数メートル後ろを、先輩と私が行く。

 祭囃子の音が次第に大きくなっていく。

 前を行く二人は恋人同士だったらしく、私たちの目を気にせず、手を繋ぎ始めた。

 ちらっと隣を見上げると、先輩は苦笑いを浮かべ、ぽりぽりと頬を掻いていた。

「そういえば、紗倉。浴衣似合ってるな」

 話題を逸らすように言われた言葉だったけれど、先輩に褒められるというのは嬉しくて、嬉しくて。つい、悪い癖が顔を出す。

「そうでしょう、そうでしょう。もっと褒めてもいいんですよ? 可愛いでしょう? 大いに褒めてください」

 テンパって調子に乗り始めたウザい私に、先輩は楽しげに笑みを浮かべる。

「そうだな、可愛い可愛い。可愛いついでに腹が減ったな」

 違うんですこんなの私じゃないんです、と言いたい気持ちはあるものの、このリズム感が楽しいと感じてしまっている自分がいるのもまた事実。

 先輩とはいつもこんな感じで、この緩い雰囲気が結構気に入っている。

 そんなことを独り言ちて、気がつくと先輩は私をほっぽり出してたこ焼きの列に並んでいた。

 なので私は、焼きそばの列に並ぶ。

 もちろん、先輩に私の分のたこ焼きを買っておいてもらうのも忘れない。

「せんぱーい! 私の分もよろしくお願いしますね! ちょっと焼きそば買ってくるので!」

「おっけー! じゃあ俺の分の焼きそばもよろしく!」

「りょーかいです!」

 食欲に忠実に動いている間は、テンパらずにいられるから不思議だ。

 私は焼きそばのパックを二つ持って、先輩を探す。先輩は背が高いから、人混みの中でもすぐに見つけられる。

 いた。何やら、女の子に絡まれているようだった。

 女の子は先輩のクラスメイトらしく、先輩は微妙に対応に困っている風だった。

 ちょっと気に食わないような気もするけど、これはこれで面白いなと思って見ていたのだけど、限界だ。

 先輩が知らない女の人に困らされるのは、もやもやする。

 我慢できなくなった私は、何食わぬ顔で先輩の後ろに近づいて、

「わっ!!」

「ぅぇあ!?」

 先輩は軽く飛び上がるくらいには驚いているのに、両手に持ったたこ焼きのパックはまったく離す気配がない。

「にししし、びっくりしました?」

 先輩の体の陰からひょこっと顔を出し、ニヤリと見上げる。

 先輩を困らせるクラスメイトらしき人たちは無視だ。

「びびったぁ……、急に脅かすなよなー」

 口を尖らせる先輩の声は、表情とは裏腹にどこか楽しげだ。

 やっぱり先輩はこうじゃないと。

 私は先輩のクラスメイトらしき人たちを一瞬睨みつける。もちろん、先輩からは見えない角度で。

 今は私と先輩の時間だ、邪魔をするな、と。

 それから、先輩の手を引いてその場を離れる。

 その背に、「何だよ浮気かー!? これは七瀬に教えてやらないとなー!」とかって、冷やかすような声が投げつけられる。

 知らない人の名前だ。

 でも、文脈から判断するに、先輩の彼女さんとか、そんなだろう。

 神社に集合したときにいた二人を思い出して、今日はダブルデートの予定だったのだろうとアタリをつける。

 ちらりと見上げると、先輩は微妙に気まずそうな顔をしているので、ほぼ間違いないだろう。

 とどのつまり、私は代わりで、一人で舞い上がっていた道化だったというわけだ。なんてことは、思わない。

 先輩に彼女がいる? だから何だ。構うものか。

 私は先輩が好きだ。だったら何も迷うことはない。先輩に彼女がいようがいなかろうが、やることは変わらない。

 彼女さんのことなんか忘れてしまうくらい、私に夢中にさせてしまえばいいだけのこと。

 だから私はとびっきりの笑顔で先輩に笑いかける。

「せーんぱい、お祭りはまだまだ始まったばかりですよ! とことんまで楽しんでやりましょう!」

 そんな私に、先輩はぎこちなく笑う。

「そうだな、さんきゅ」

 きっと、私が彼女さんのことについて一切触れてこないから、そんな顔をするのだろう。

 先輩が私を異性として見ていないことなんて本当は最初から気づいていた。だから今更そんなことは気にしない。

 とりあえず、今夜の目標は決まった。私を異性として認識させ、更に先輩の笑顔を心からのものに変えてみせよう。

 祭囃子はまだうるさい。

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