言い聞かせ

「僕がノックしたら窓を開ける事。いいね?」

 男が言う。佐藤は特に何も考えずに、自動で口が動くままに「はい」、と即答した。その後も男はいくつか自分に言い聞かせるようにして命令をするからその度、二つ返事で返していった。どうやら今の自分はこの男が言う事には逆らえないらしい。そして逆らおうというつもりも毛頭ない。まるで機械的に、作業のように返事だけをしている。依然意識ははっきりとはしていないが、それでも言い聞かせの内容はしっかり覚えている。

 男は言い聞かせを終えると、さっさと出て行ってしまった。久々の来客、久々の話し相手が居なくなってなんだか物足りなくなった。佐藤はその後、なんとなく寝転がりたい気分を抑えて、座ったままで固まっていた。

 今佐藤は、何が起こるか分からないが、何かが起こるかも知れないという期待が出来ていた。損するだけだから期待なんてしたくないのに、今回ばかりはそうはいかない。さっき目の前にいたのは吸血鬼だ。そして自分は血を吸われた。

 よくある物語の設定をなぞれば恐らく、自分も吸血鬼になるのではないだろうか。あるいは血が足りなくなってそのまま死んでしまうという場合もあるかもしれない。どちらでもいい。佐藤はずっとこれがほしかった。

 役目が欲しかったのだ。存在しているかも分からない自分のままでいるのは御免だ。世界に住んでいるのに、通行人にすらなれないような自分でいるのはもううんざりしていた。これが日常で平常という事に辟易としていた。だから何だっていいから役目が欲しかったのだ。主人公でなくても、通行人A、通行人Dでも何でもよかった。本当に役割さえあればなんでも良かったのだ。決して高望みなどしたことは無かった。なのに自分には今までその役割が、役名が無かったのだ。

 それがようやく手に入る。それだけで佐藤は少しだけ喜ぶことができた。血を吸われて、襲われたというのに。今の自分は「吸血鬼に襲われた人間」、被害者だ。そしておそらく次は、「元人間の吸血鬼」と言う事になる。

 仮に吸血鬼になれずに死んでしまったとしても、それはそれでいい。死ねるなら死にたいだろう、誰でも。佐藤にとってのそこは、ゴールなのだ。自害ではリタイア扱いされるが、それ以外の死に方なら、死んだ後のそこはゴール。これが佐藤の考え方だったから、死ぬ事への恐怖はほとんどなかった。死ぬまでの生きている間の事に苦痛が伴うのが怖いくらいだった。

 …もう限界だ。これ以上意識を保っていられそうにない。佐藤は眠りにつく前に、アラームの設定画面を開き、全ての設定を消去した。

 明日は朝からバイトだ。でも、もう関係ないのだ。中途半端に存在しているのはもううんざりで、二度と味わいたくなかった。ただ身体が怠いって事も今に限ってあるのだろうが、どちらにせよもうどこにも行きたくなかったし、何もしたくなかった。

 これで良いのだ。僕の空っぽだった日々がようやく終わる。















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吸血鬼と偽物 @negerobom

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る