第6話 ……いやじゃ、ない
* * * *
告白したのは、私からだった。
卒業式の日。心臓がひっくり返るほど緊張したけれど、これで最後になると思ったら、言わずにはいられなかった。
当たって砕けるつもりで告げた、なんのおもしろみのない『好きです』の四文字。
驚きをあらわにしていた木内くんは、少しの沈黙ののち、『ありがとう』と言ってくれて。
本当に、私はそれだけで、充分だったんだ。
早歩きで私たちの目の前までやってきた木内くんは、森くんに怪訝そうな視線を投げかける。
「圭介……なんでここに」
「買い物に来たら偶然みーさんと会ったから、親睦深めてた」
「親睦……」
「怖い顔すんなよー、冗談だって」
森くんはカラカラと笑いながら木内くんの肩を叩く。
余計に木内くんの眉間のしわが深まっても、森くんに気にした様子はない。
そういえば、高校生のときもこんなやりとりは日常茶飯事だったような覚えがある。私はほとんど盗み聞いていただけだったけれど。
数年前を思い浮かべていたら、気づけば木内くんがこちらを向いていた。
私を見つめる瞳は、森くんに対するものとは違い優しいもので、ドキッと鼓動が大きく跳ねた。
「ごめん、遅くなった」
「う、ううん、だいじょうぶ」
元々、待ち合わせ時間は『何時頃』とあいまいに設定していた。講義が延びる可能性もあったから。
適当に時間を潰していればよかったのを、早くから待ち合わせ場所にいたのは私の勝手だ。
少しでも早く会いたくて、気持ちがそわそわとしていて。適当に駅ナカを見て回るほどの余裕が私になかっただけの話。
だから、特に遅刻という感覚もなかった。
「……何、話してたんだ?」
木内くんに問いかけられて、私と森くんは思わず顔を見合わせる。
それから、森くんはにんまりとそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべてみせた。
「別にー? なーんにもー?」
「圭介、その顔はやめろ。無性に腹が立つ」
「みーさん、君の彼氏が辛辣すぎるんだけど、どうにかならない?」
「え、えっと……」
「未涼を巻き込むな」
また不機嫌顔に戻ってしまった木内くんに、あわあわと慌てる私とは裏腹に、森くんは変わらずにこやかなままだ。
私と森くんでは木内くんと一緒にいた年月が違う。修行が足りないのかもしれない。
とはいえ、私の前ではいつも優しく穏やかな態度を崩さないから、こんな木内くんに慣れる機会はなかなかなさそうだ。
「はいはい、オジャマ虫はさっさと退散しますね。みーさんもまたね。じゃ、ごゆっくりー」
「なんだそれ……」
ひらひらと手を振りながら去っていく森くんに、木内くんは呆れたようにため息をつく。
相変わらず、真夏の太陽みたいな、いっそ嵐みたいな人だった。
図らずも、私と一緒にいるときの木内くんを見てみたいという森くんの望みは、短時間とはいえ叶ったことになる。デレデレはしていなかったけれど。
私にとってはいつも通りの優しく穏やかな木内くんだ。
でも、森くんから見て、私と一緒にいる木内くんはいつもと違っていたりしたんだろうか。
「変なこと、言われてない?」
「あっ、その、だ、だいじょうぶ……です」
思わず敬語になってしまった私に、木内くんは不思議そうに首を傾げる。
変なこと、ではなかったはず。
この上なく困ること、ではあるけれど。
「圭介は遠慮を知らないから、嫌なことはちゃんと言ったほうがいい」
「別に、嫌ではなかったよ」
「……そう?」
「うん、ありがとう」
笑顔で告げれば、木内くんも納得してくれたのか表情を和らげた。
木内くんは私の人見知りっぷりを知っている。
元クラスメイトではあっても、森くんがぐいぐい来るタイプということもあって、余計に心配してくれているんだろう。
そう、たぶん。本当にそれだけのこと。
「未涼」
私の名前を呼ぶ、涼やかで穏やかな、いつも通りの声。
高校時代、決して私をあだ名で呼ばなかった声が、今は名前で呼んでくれる。
やっぱり、こっちのほうが何倍もうれしい。
「お腹、すいただろ。行こう」
木内くんは私の手を取って、歩き出して。
それから、少し迷うように、ゆっくりと指が絡んでくる。
はっとして顔を上げても、もう木内くんはこちらを見てはいなかった。
でも、見上げた横顔がほんのり赤らんでいる気がしたのは、私の願望ではないと思いたい。
「あ、あのっ」
「……嫌?」
小さな声での問いかけは、どこか不安げに響いた。
ぎゅうっと心臓が強く握られているみたいに苦しくなる。
私も木内くんも、人目のあるところで恋人らしい触れ合い……いわゆる『いちゃいちゃ』するのはあまり得意じゃない。
手をつないだり腕を組んだりは、はぐれそうな人混みのとき限定だった。
しかも、こんな親密な恋人つなぎは本当に数えられるくらいしかしたことがない。
今は平日のお昼時。駅周辺の人通りは多いものの、一緒にいる人を見失うほどじゃない。
確認もなくつながれたこの手には、いったいどんな意味があるんだろう。
「……いやじゃ、ない」
情けなく声は震えていたけれど、なんとか答えることができた。
緊張と恥ずかしさで、手に汗がにじむのを感じる。
どうか木内くんが気づきませんように、と心の中で必死に祈ることしかできない。
ぐるぐると、先ほどの森くんとの会話が頭を回る。
木内くんが私に相談することもなくダブルデートを断っていたのは、単なる優しさだと思う。
私の人見知りを知っているから。本当に、それだけのことの、はずで。
でも、もし……もしも、森くんの言うように。
見せたくない、という気持ちがあったんだとしたら。
『あいつずっと片思いしてたんだよ』
一緒にいさせてくれるだけでよかった。その気持ちには少しも嘘はない。
私は木内くんが好きで、木内くんは私を大事にしてくれて。
それだけで、本当の本当にしあわせだった。
なのに、唐突にぽんと放り込まれた可能性を目の前にして、私の気持ちはぐらぐらと揺れる。
期待、してしまいそうになる。
木内くんは、やきもちを焼いてくれたのかもしれない、とか。
木内くんは、私が思っていたよりもずっと、私のことを好きでいてくれているのかもしれない、とか。
初夏の熱が、そうしてじわじわと私の胸まで焦がしていくのだ。
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