第5話 時効ついでに、教えてあげる

  * * * *



 お互いに午前しか講義のない日。

 どうせだから一緒に昼ご飯を食べようということになった。


 待ち合わせ場所は、この近辺で一番大きな駅の改札前。

 だんだんと夏が近づいているこの時期。今日はお天気もいいから、日陰で待っていてもじわりと汗がにじんでくる。

 生ぬるい風に肌を撫でられて、私は小さく息をつく。

 店内での待ち合わせにすればよかったかな、と今さらながらに思う。

 お互いの講義の終了時間と、大学からの距離的に、しばらく待つことになるのはわかっていたのに。


 元々、直前に世間話の流れで決まった約束だったから、段取りが悪いのは仕方ない。

 大事なのはご飯でもお店でもなく木内くんと会えることだから、多少の暑さは我慢できる。

 ただ、下ろしたての白いシャツに汗ジミができてしまったら嫌だなと思った。

 木内くんの前では汗ひとつかきたくない、なんて不可能なことを考えてしまって、私は笑みをこぼす。

 こんなことを多恵ちゃんに知られたら、きっと『ほんとベタ惚れなんだから』って呆れたような笑顔で言われてしまうだろう。


「あれ? みーさんじゃん」


 懐かしいあだ名を呼ばれて、私は反射的に振り返る。

 少し離れたところからひらひらと手を振る男性に、一瞬誰だっただろうかと小首を傾げた。

 私をそのあだ名で呼ぶということは、高校時代の知人のはず。

 大股で歩み寄ってくる男性の、ボールを追いかける大型犬のような表情に記憶が刺激されて、私は遅れて気がついた。

 木内くんの幼なじみ兼お友だちの、もり圭介けいすけくん。つい最近、話題に出てきた人だった。


「あ、オレのことわかる? ってこれナンパみたいだな。違うよ、違うからね! 涼に怒られるから!」


 目の前までやってきた森くんは、人懐っこい笑顔で話しかけてきたと思ったら今度は勝手に慌てだす。

 テンポの速さにぽかんとしてから、そういえばこんな人だったなと笑いがこみ上げてきた。

 二年生のとき、明るくて盛り上げ上手な森くんはクラスのムードメーカーだった。

 木内くんとは静と動という正反対のタイプに思えたけれど、それが逆に調和しているように見えたのは、付き合いの長い幼なじみだったからなのかもしれない。


「大丈夫、森くんだよね。背が伸びてて、一瞬わからなかったけど」

「そうそう、今もう涼の身長越したんだよ。軽く髪も染めたし、かっこよくなったでしょ?」

「そういうところ、変わってないね」


 懐かしくてくすくすと笑ってしまう。

 最後に顔を合わせたのは卒業式で、それも一言二言交わした程度だ。なのに、懐かしいと思えるくらい印象に残っている。

 森くんは高校のときから、普通にしていれば充分格好いい部類に入るのに、話すとどこか三枚目の雰囲気が漂う男子だった。

 だからこそ、人見知りな私でもそれほど緊張せずに話すことができるんだけれど。


 実を言うと『みーさん』というあだ名も森くんが発祥だ。

 二年になってすぐの頃、私を呼ぼうとして見事に噛んだ森くんが、失敗をごまかすように呼び出したのが最初だった。宮山みややまの発音のしにくさは、私も幼少時に散々思い知っている。

 気さくな森くんは誰にでもそんな感じだったから、そのあだ名が自然とクラスでも浸透していった。

 多恵ちゃんの『みぃ』という呼び方とも近いから、私も特に違和感を覚えなかった。


 そういえば、木内くんは付き合いはじめるまでずっと名字呼びだったなぁと思い出す。

 当時はあだ名で呼んでくれないことを密かに気にしていたりもした。

 けれど、だからこそ名前で呼んでくれるようになったときの衝撃と感動が大きかったのだと思えば、そのときの不安も報われるというものだ。


「誰かと待ち合わせ? って、あ、涼とデートか」


 森くんはすぐに一人で納得して茶化すように笑った。

 木内くんと森くんは同じ大学のはずだから、今日の予定を聞いていたりしたんだろうか。それとも、私の浮かれた気分を悟られたんだろうか。

 じわじわと頬に熱が集まっていくのがわかる。

 私は小さくうなずいたあと、地面に視線をさまよわせた。

 デートなんてもう数えきれないほどしているのに、第三者から言葉にされただけで、妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。


「ははっ、みーさんかわいいなぁ。あいつが見せたくないのもわかるよ」

「み、見せたくないって……」


 どういうことだろうかと気になって、おずおず顔を上げる。

 木内くんは、お友だちに私のことをどんなふうにお話ししているんだろう。

 私が多恵ちゃんに木内くんの話をするときは、相談か弱音か……惚気。

 もっとも、相談も弱音も結局は惚気話にしか聞こえないとは当の多恵ちゃん談だ。


「オレ何度か誘ってるんだよね、ダブルデートに。みーさんとも知らない仲じゃないしさ。でもあいつ絶対首振らないんだよなぁ」


 うーむ、と森くんはわざとらしいしかめっ面で首をひねる。

 ダブルデート、と言うからには森くんには現在彼女さんがいるんだろう。

 高校時代、男女問わず人気者だった森くんは、私の知っている限りで二回彼女が変わっている。別に森くんが不誠実というわけではなさそうだったけれど、詳しくは知らない。

 ただ、森くんの彼女さんはいつも森くんと同じような明るいタイプだ。

 ダブルデートなんかになれば、森くんと彼女さんにぐいぐい引っ張っていかれる私と木内くんが容易に想像できる。


「それは、私があの、人見知りだから……私のため、だと思う」

「まあそうだろうけど。ちょっと寂しいよなぁ」

「……そんなに、ダブルデートがしたいの?」


 正直なところ、私はダブルデートというものにあまり心惹かれなかった。

 森くんの親しみやすさと、木内くんという共通項のおかげで今は和やかに話せているけれど、元々高校時代にそれほど交流はなかった。

 連絡先も交換していなかったし、最後に顔を合わせたのはもう二年以上も前。

 そこに初対面の彼女さんまで加わって一緒にお出かけだなんて、緊張するに決まっている。楽しめる自信がない。


「ダブルデートがしたいっていうより、みーさんと一緒にいる涼を見てみたい」

「どういうこと?」

「涼とは付き合い長いけど、みーさんが初カノだし、オレが知ってるのって付き合う前の二人だし。彼女にデレデレしてる涼を見たい! でもって思いっきりからかいたい!」

「……そんな理由だから断られるんじゃないかな?」

「まあね!」


 思わず入れてしまったツッコミに、森くんはさわやかに笑い飛ばした。

 失礼な物言いをしてしまったかもしれないと気にするのも阿呆らしくなるような朗らかさに、毒気を抜かれる。

 押しが強いのに、相手に不快感を与えない絶妙な距離感は、どこか多恵ちゃんに似ている気がした。

 それとも、明るく社交的な人はみんな自然とできることなんだろうか。私には絶対に真似できそうにない。

 木内くんは私にデレデレなんてしないから、期待に応えられないことだけは少し心苦しい。


「ってのは半分冗談で。オレ、ずっと早くくっつけばいいのにって勝手にヤキモキしてたからさ」

「……ずっと?」


 きょとん、と私は小首をかしげる。

 もしかして、森くんは私の片思いに気づいていたんだろうか。

 けれど、木内くんの気持ちを無視して『早くくっつけばいいのに』なんて、どことなく違和感がある。


「そー、高二のときから。涼とみーさんを応援し隊隊員なのオレ」

「なにそれ?」

「ちなみに小川さんも隊員です」

「いつのまに……!?」

「高三のとき同じクラスだったからねー、その縁で」

「知らなかった……」

「本人たちに知られちゃったら活動内容の意味がないしね。ま、もう時効だけど」


 私と木内くんの預かり知らないところで、幼なじみ同士が妙な隊を作っていたなんて。まさかそれを今になって暴露されるなんて。

 理解が追いつかなくて、頭の中でいくつもハテナマークが踊っている。

 活動内容って何するの? とか、多恵ちゃんも教えてくれればよかったのに、とか、言いたいことは山ほどあった。


「時効ついでに、教えてあげる。あいつずっと片思いしてたんだよ」

「……え?」


 私は大きく目を見開く。あいつ、とはこの話の流れだと木内くんのはずだ。

 片思い、って。

 いつ、誰に……?


「一年のときにさ、なんかぼーっとすること増えたなーって思って、いつもの調子で突っついてみたわけ。『恋わずらい?』って。そしたら、今まで恋とかキョーミありませんって顔してたあいつが露骨に反応するんだもんな。まあ、からかいすぎて友情にヒビ入れたくなかったから相手は聞き出せなかったんだけど」


 私の知らない、過去の木内くんの話。

 胸の鼓動は勝手にドキドキと早鐘を打ち始める。


「それで、どんな子だろーって密かに気になってたら、二年でみーさんと同じクラスになったじゃん。たまに教室の隅で話してるのとか見てたら、二人とも和やかなのにちょっとたどたどしくて、なんだこいつらかわいいなってニヤニヤしちゃったよね」


 そのときのことを思い出しているのか、森くんは言葉通りニヤニヤと楽しそうな顔をする。

 おもしろがっている、というには、どこか優しい表情に見えた。

 仲がいいわけじゃない、なんて嘘じゃないか。と私は先日の木内くんの発言に物申したくなった。

 そんなふうに気をそらしていないと、馬鹿みたいに自惚れてしまいそうだった。


「ああ、この子かーって納得して。二人のタイプ的にお節介焼いたら逆にギクシャクしそうだと思って見守ってたら、見事に卒業式まで何もないんだもんね。まったく焦らしプレイが得意なんだから」

「じ、じら……っ」


 思いも寄らない単語が飛び出してきて、私は金魚みたいに口をぱくぱくとさせた。

 多恵ちゃんにもよく初々しいと言われてしまうくらい、その手の耐性がない自覚はある。

 ただの冗談だとわかっているのに、脈絡なく出てきた単語ひとつできっと顔は真っ赤だろう。

 それでなくても暑い日に、森くんのせいで全身が茹だりそうだ。


「だからね、オレはずっと二人の味方なの。お祝いさせてほしいし、色々聞いてみたいし、すぐ近くで観察させてほしいのに、涼ったらガードが固くて固くて」


 あはは、と冗談めかして笑う森くんに、笑い返す余裕なんてどこにもなかった。

 とんでもないことを聞いてしまった、という気持ちでいっぱいだ。


「片思いの相手が、私とは限らないんじゃ……」

「涼ってあの通り愛想ないし、みーさん以外に仲いい女子なんていなかったよ」

「それは、知ってるけど……」

「二人が知り合ったのって高校上がってすぐでしょ? 時期的にもぴったりじゃん」

「で、でも……」


 全部、あくまで森くん視点での話で、森くんの憶測だ。木内くんの口から直接語られたわけじゃない。

 けれど彼は木内くんの幼なじみで、長い付き合いで、私よりもずっと木内くんのことを知っているはずで。

 私にも、多恵ちゃんという一番の理解者がいるからこそ。

 森くんの言葉を、信じたくなってしまう。


 ずっと、ずっと、私のほうばかり好きなんだと思っていた。

 別にそのことに不満なんてどこにもなかった。

 木内くんは私を大事にしてくれる。私を彼女扱いしてくれる。

 アクセサリーをもらわなくても、あまり言葉にしてくれなくても、全然かまわなかった。

 木内くんの気持ちが、私の十分の一、百分の一だったとしても。


 ただ、一緒にいられれば。

 ただ、好きでいさせてくれれば。


「じゃあ本人に聞いてみなよ。きっとおもしろい話が聞けるよ」


 ほら、と森くんが指さした先には、こちらに向かってくる木内くんの姿があった。


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