第4話 そういうところ、いいなって思う
* * * *
別の大学に進学した木内くんと私だけれど、大学入学を期にということで、一人暮らしを始めるタイミングはほとんど一緒だった。
木内くんは、大学まで徒歩圏内のワンルーム。私は、大学まで電車で二駅あるけれどセキュリティのしっかりした1DK。
そうなると、当然ながら木内くんの家の周囲では木内くんの大学の人と遭遇する可能性が高い。
誰に隠しているわけでもないけれど、心の準備なしに彼氏の知人に顔を合わせるのはできれば避けたいというのが、人見知りな私の正直な気持ちだ。
なので、お家デートは基本的に私の家。単純に、ゆっくりするなら私の部屋のほうが広いということもある。
今日の紅茶は、私のお気に入りの花の香りのフレーバー。
濃いめのストレートに、お砂糖をちょっぴり。
お茶請けは、昨日焼いたアイスボックスクッキー。
多恵ちゃんや大学の友だちにも配るために大量生産できるレシピにしたけど、けっこうおいしく作れたと思う。
今取り組んでいるレポートや、お互いの大学のおもしろい先生。
他愛もない話をしていたら、ふとマグカップに目を落とした木内くんが小さく笑った。
「どうかした?」
「これ、新品みたいにきれいだなって思って」
そう言って木内くんは手に持っていたマグカップを軽く振った。
お揃いのマグカップは、付き合い始めてすぐ、私の一人暮らし記念にって木内くんが買ってくれたものだ。
初めてのデートで一緒に選ぼうってなったのに、私にはどれも素敵に見えてしまって、うんうんと長時間悩んでも候補すら決まらなかった。
結果、木内くんに三つまで絞ってもらって、その中からようやく選ぶことができた。優柔不断な自分が恨めしい。
「俺の家のマグカップ、中が少し茶色くなってる。同じ時期に買ったのに」
「食器用の漂白剤を使うと、頑固な茶渋もきれいに落ちるよ」
「ああ、あれ茶渋なのか」
「た、たぶんだけど……」
カップの内側の茶色い汚れとなると、その可能性が高いと思う。
木内くんはコーヒーが飲めないし、炭酸飲料なんかもあまり好んで飲まない。
付き合い始めの頃に私がティーバッグのアソートをプレゼントしてから、自分でも買うようになったと言っていた覚えがある。
「洗い方も悪いのかもしれない。最近、忙しくなったし」
「それは、しょうがないね……」
私だって、みっちり講義を受けた日は家事が適当になってしまう。
木内くんはバイトもしているし、最近は就活も始まった。木内くんのほうが大学のレベルも高いから、私の何倍も忙しいだろう。
「あ、いや、俺の家のはどうでもよくて」
「?」
「その……大事に、してくれてるんだな、って」
視線をそらしながら、木内くんは小さくつぶやく。
ああ、と私は遅れて彼の発言の意図に気づいた。じわじわと顔に熱が上っていく。
「だ、大事だよ。木内くんからもらったものだし」
元々慎重派のつもりだけれど、運ぶときも洗うときも、他の食器の何倍も気を使っている。
もし万が一、不注意で割ってしまったら絶対に立ち直れない。
木内くんから初めてもらったプレゼントだ。特別大事にしているのは当たり前のこと。
でも、それを他でもない木内くんに指摘されるのは、なんとも面映ゆいものがある。
『そんなに俺のことが好きなんだね』と、言われたようなものだから。
……それこそ、否定する理由はどこにもないんだけれども。
「ありがとう。うれしい」
「私こそ、あ、ありがとう……」
私を見つめる木内くんの瞳が甘くて、思わず手元のマグカップに視線を落とす。
内側は滑らかな白色。色のついた表面には小さな傷ひとつ見当たらない。カップの縁も欠けていない。
だって、まだ買って三年も経っていない。食器なんて割らない限りは十年でも二十年でも使えるものだ。
大事にしていたのはたしかだけれど、それをすごく特別なことのように言われてしまうと、少し言い訳したいような気持ちにもなってくる。
「じっ、実家にある私のマグカップは、小学生のときから現役なの。食器って、けっこう頑丈だよね」
子どものときに好きだった、パンダのキャラクターものだ。
今もかわいいとは思うものの、さすがに大学生になってまでという気持ちがあって、一人暮らしの際に持ってくるのはやめた。
少しだけ柄が剥げてしまっているけれど、実家に帰ったときは変わらず使っている。
だから、このマグカップだって、十年先まで使っていてもおかしくない……はず。
「未涼はものを大事にするから。そういうところ、いいなって思う」
今度こそ、私は完全に顔をあげられなくなった。ぶわぁっと全身に熱が広がっていく。
そういうところ、いいなって思う。
木内くんの声が頭の中で何度も何度も再生される。
好きだとか、愛してるだとか、木内くんはわかりやすい愛の言葉は使わない。
だから、こんな何気ない一言がとんでもない威力になったりする。
「た、多恵ちゃんにもよく言われる。物持ちいいって。自分では、そんなつもりないんだけど……でも、う、うれしい……」
もごもごと話しつつ、真っ赤に染まっているだろう頬を手で隠す。
付き合ってもう三年目にもなるのに、いまだに好意を示されることに慣れない。
もし、はっきりと『好き』だなんて言われた日には、心臓が壊れてしまうんじゃないだろうか。
私がこんな調子だからこそ、木内くんもそういう言葉を使わないのかもしれない。
「……本当に仲がいいよね、小川さんと」
普段と変わらない、静かで穏やかな声だった。
そのはずなのに、どことなく違和感を覚えて、私はゆっくり顔を上げる。
感情の読み取りづらい、涼やかな表情。けれど、不思議と威圧感を感じさせない、凪いだ眼差し。
いつもどおりの彼だ。いつもどおり、私の好きな木内くんだ。
気のせいだったかと目をまたたかせてから、私はハッと思い至った。
「あ、ごめん、気づくと多恵ちゃんの話になっちゃうね……」
木内くんと多恵ちゃんは高校時代に何度か話したことがある程度の関係でしかない。
最後に顔を合わせたのは、たぶん二年以上も前の卒業式の日。
知り合いとも言いにくい人の話を延々と聞かされても、どう反応すればいいか困ってしまうだろう。
当たり前のことなのに、木内くんはどんな話も聞いてくれたから、つい甘えてしまっていた。
「別に、それだけ小川さんと一緒にいる時間が長いってことだろうし。幼なじみなら普通だよ」
「……木内くんも幼なじみがいたよね。森くんだっけ」
「ああ、幼なじみって言っても、未涼と小川さんほど仲がいいわけじゃないよ」
「そうなの? 森くんと話してる木内くんって、いつもより砕けてる感じがしたけど」
私と木内くんと森くんは、二年生のときに同じクラスだった。
学校ではなかなか木内くんに話しかけられなかった私は、休み時間に楽しそうに話している二人をよくこっそり眺めていた。
正直、とても、とってもうらやましかった。
男友だちに嫉妬するなんて情けない話だけれど、それだけ二人が仲良しに見えたということだ。
「まあ……子どもの頃からの付き合いだと、今さら取り繕うこともないし」
「それはわかるなぁ。恥ずかしい思い出とかも知られちゃってるし。自然体でいられるから、ついなんでも話しちゃったり」
私と一緒にするのは失礼かもしれないけれど、木内くんもあまり人付き合いが得意なタイプには見えない。
人と仲良くなるのにきっかけと時間を必要とする私たちにとって、幼なじみは最初から両方揃っているありがたい存在だ。
たとえば、私には話せなくても、森くんになら話せるようなことだってあったりするんだろう。
……やっぱり、うらやましくなってしまうのは、しょうがないと思う。
「なんでも……では、ないかな」
「そうなんだ」
「男女の違いかもしれないけどね」
木内くんはそう言って、かすかに苦笑を浮かべる。
あまり見たことのない表情に、私はぱちぱちと目をまたたかせる。
木内くんが友だちにも言えないことって、なんだろう。
……それは、彼女の私にも言えないことだったり、するんだろうか。
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