007
ある日。
春歌から、休日を使って南の町まで行こうと誘われた。断る理由はなかった。
秋生は用事があるとのことで、ふたりきりで行くことになった。
……春歌と初めて出会ったのは、中学の入学式のことだ。
彼は冬馬の前の席に座っていた。
プリントを回す彼の手を憶えている。新品の制服の袖から見える、痩せた手首。柔らかそうな掌。伸びやかな指先。丸く切った爪。
春歌は控えめな性格ながら、分け隔てのない愛想のよさから友だちがたくさんいた。
冬馬との関係もそのひとつ。
わざわざいっしょにいることはなく、昼食も試験勉強もともにしなかった。冬馬は、春歌がどんな素性だとか何が好きかとか少しも知らなかった。
ただ、3年とも同じクラスで、同じ高校、同じ文芸部に入ってしまった。
自然と会話をする機会は多く、様々な場面で彼の表情を見ている。
出かける当日は晴れていて、夏というにはまだ肌寒い日だった。
目的地へは電車を乗り継いで2時間ほどかかるらしい。冬馬のこれまでの人生で、電車に乗るという経験は数えるほどしかない。
少し高揚している。
窓際に座る。歩いたことのある景色が別の視点、違う速度で通り過ぎる。いつしか見たことのない街に入っていく。田んぼや住宅など、景色の構成要素はあまり変わらない。山が遠くなる。地形が平坦になり、景色が広々としてくる。
建物の合間に水面のきらめきが見えた。
海だね、と春歌が言う。
川じゃないの、と訊くと、タブレット型の端末で地図を見せてくれる。
「今いるのはここ。さっきA町を過ぎたじゃん」
「憶えてない」
名前を覚えるのは苦手だ。
地図上では、線路が海沿いに続いてる。進行方向とは逆方向へと紙面を辿り、おれたちが乗車した駅の名前を見つける。
おれたちは半島のつけ根に住んでいるのだ、と不意に思う。
そんなことは小学生のころから知っていたはずなのに。
車両はまた山間を抜け、また違う街へと出る。駅ごとに人々が出入りを繰り返す。目的地に近づくに従ってその数は減っていく。
「春歌。神様ってどう思う?」
「どう思う、とは」
「普通に、いると思うか、とか。信じてるか、とか」
「うーん。いてもいいんじゃないかな」
「いるといい、じゃなくて?」
「いてもあんまし関係ないと思う。神様ってまあ、すごいやつなんでしょ」
「ざっくりした定義だな」
「つけ加えれば、誰にとってもすごいやつ、なのかな。そうあるためには、世界中の人々に、個別で直接何かしてくれるわけにはいかないじゃん。だから、いてもわたしたちには何も影響ないよ」
「それじゃ、いないようなもんじゃない? 悪いことしてるやつのことも黙って見てるってことだよね。例えば、今にも殺されてる人たちがいて、何もしてくれないんだろ」
「何もできないんだよ。でも慌てたり、悲しんだりする。自分にはどうにもできない、悔しいって歯噛みしながら見守り続けてる。自分で作った世界だから、我が子のように見てるんだよ。もうだめだ、おまえなんか知らないって諦めて、でも心が痛んで、やっぱり何もできないって泣きもする。それをずっと繰り返してる」
「自分で作ったのに、何もできないんだ」
「最初は神様の意図だったかもしれないけどね。あとはぜんぶ私たちの勝手。自由。だからいいとか、悪いとかじゃないの。つらい目にも遭うし、報われないまま終わるかもしれない。それも神様にはどうしようもない」
「神様は、善悪とか判断しないんだ」
「していても、わたしたちとは関係ないよ。伝わらないんだもの。でもわたしたちがすることに対して何かしら思ってくれるなら、いるって考えてもいいんじゃないかな」
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