第17話 火魔導師の国

 ドワーフの病を治して船を手に入れた。

 人魚の手伝いをして海図を手に入れた。



 人助けと相応の対価。それらを得ることが、それほど罪深いことなのか。




「帆を閉じて! 風で転覆するわよ!」




 耳元で唸る風、爆音と共に降る雷、船を沈めようと手を伸ばす波。

 先も見えない嵐の中でイーラは舵を取った。

 エミリアとフィニが急いで帆を閉じ、荒波に耐えながらイーラをサポートする。エミリアは手すりに掴まりながらフィニを動力室に避難させた。

「イルヴァーナさんも! 船室に入って下さい!」

「私が部屋に戻ったら誰が舵取りすんのよ!」

わたくしが代わりますわ!」

「エミリアさんが入ってちょうだい! フィニ一人での動力は任せるの怖いから! あと魔力でどうにか進めてくれる!? 石炭が足りないのよ!」

「分かりました! どうか無事で! 土の加護があなたをお守りしますように!」


 エミリアは杖先をイーラに向け、簡略化した祈りを捧げると動力室に向かった。イーラは雨風でぐしょぐしょになった顔を拭き、進行方向を睨みつけた。

 高波で甲板は水浸しになり、バケツやら樽やらが端から端を行ったり来たり。舵を強く握り、出来る限り体勢を整えるが、船は危なっかしく揺れながらのろのろと進んでいく。

「ああもう! しっかりしなさいよ!」

 イーラも苛立ちが募り、舵に八つ当たりをする。


 海底の古城トラグレスから海上に戻った時、既に風は強く、雨もちらほらと降っていた。

 段々と雲行きが怪しくなり、それが今や嵐となってイーラたちに襲いかかっていた。

 人を助けて対価を得ることが悪いことなのか。それとも交換条件を突きつけて人助けしたのが悪いのか。

 どちらも関係ないと分かっていても、イーラの怒りは収まらない。



「無償の慈善活動がそんなに偉いのかぁぁ!」




『風の戯れ 精霊の気まぐれ』




 聞いたことのある声が聞こえた。

 反射的に見上げると、帆の上に人狼から助けてくれた女の子が座っていた。体を打ちつけるような風だというのに、彼女は微動だにしない。むしろ、風浴かぜあみをしているかのように微笑んでいた。

「そこを降りなさい! 危ないわよ!」

 イーラが注意を呼びかけるが、女の子は風に耳を傾け、満足そうに目を細める。


 女の子はイーラを見下ろすと、風車をイーラの足元に落とした。

 イーラは女の子を見上げ、足元の風車に目を落とす。それを拾ってまた、女の子を見上げた。

 女の子はもう一つ、同じ風車を手に持つと、嵐の風にクルクルと回す。


『遠い遠い火の国で、新たな火魔導師サラマンダーが生まれたよ』


 イーラは濡れた顔を重い服で拭う。

 女の子は遠い空を見つめて独り言を呟いた。


『王様はそれをよく思わない。王様はそれを嫌った。なら、王様に嫌われた人はどこに行く?』


 イーラは女の子から目を離せなかった。

 脳裏をよぎった一人の男。それが本当なんて、誰も言っていない。

 それでも不安になる。

 雨風が弱まるその刹那、女の子は聞こえるか聞こえないかの声で言った。



『ギルベルトが待ってるんでしょ』



「なんでアンタが────!!」



 イーラの声は風に消えた。

 突風が吹き付け、イーラは船尾に飛ばされた。柱を支えに起き上がると、女の子はいなかった。

 風の音にエミリアが駆けつけ、イーラを引きずって船室に避難させた。

「せめて風が止むまでここにいましょう。誤って海に投げ出されては助けようがありませんわ」

「でも誰かが舵を取らなきゃ船はひっくり返るわよ」

わたくしが代わります。時間を決めて交代しながら舵を取りましょう。それなら転覆の心配は少ないのでは?」

 エミリアの提案に、イーラは不満げに頷いた。

 フィニは着替えを持ってくると、一緒に小さな瓶を差し出した。


「体温が上がるんでしょ? これ」


 以前イーラが出した薬だった。フィニはニコニコ笑いながら「あれすっごく美味しくなかった」と言った。

 イーラは苦々しい笑みで受け取った。

 ──仕返しか。


 ***


 嵐は止み、何事も無かったかのように日が昇る。

 イーラは船室で目を覚ますと、窓から差す光に微睡んだ。

 疲れた体を起こし、着替えを済ませて甲板に出た。


「··················え?」


 岸に停まった船の先。肌が焼けるほど熱い熱と、息ができないような風が吹く。

 黒い大地を灼熱の川が流れ、その先を辿ると首が痛くなってしまうほどに高い火山がボコボコと噴火していた。

 エミリアも起きてくると、目の前の光景に唖然とした。

「あらぁ······?」


 イーラはエミリアを睨みつけたが、エミリアは頬に手を当てて首を振った。どうやらエミリアではないらしく、起きてきたフィニに目を向けた。

 フィニも目の前の光景に首を傾げた。

「どういうこと?」

「ち、ちがっ! 違うんだよ! いや違うっていうか! そのっ······」

 イーラの威圧にフィニは慌てて弁解した。


「ご、ごめん。その、船を進めてたら先方が明るくなって、僕···灯台だと思ってたから」


 申し訳なさそうに言うフィニを怒る気にもならず、イーラは船を降りた。

 エミリアはフィニにフードを被せ、船を降りると、土を握ってじっと観察した。

「どうやら、火山の影響で出来た土ですわ。なら、ここはきっと、火魔導師サラマンダーの国でしょう」

「どうしよう。僕達、水魔導師ウンディーネの都に行きたかったのに」


 海図を確認すると、目的地とは全く違う方向に進んでいた。

 イーラは海図をしまうと、街に向かって歩き出した。フィニは文句を言わないイーラに驚いていた。


『ギルベルトが待ってるんでしょ』


 イーラはずっと、あの女の子の言葉を反芻していた。




 火魔導師サラマンダーの国──シュヴァルツペント

 見慣れない光景がそこにあった。

 蒸気で動く鉄の塊に人が乗り、歯車の箱が動いたかと思えば勝手にドアが開く。異世界の『近代ヨーロッパ』にも、似たような記述の世界があった。精肉店では店先に大きな天秤があり、それで肉の塊を量ると重さ別に金額が変わる。魚屋では水槽の水の循環器がついている。


 肉は最初からグラムが決まっているのが『当たり前』、魚は加工された物を買うのが『当たり前』。鉄の塊は自発的に動かないし、ドアは金属で出来ないもの。建物だって空高く建つわけがない。

 イーラの固定されていた常識が、この国に来て全て砕かれた。

 フィニは自分の小銭で本屋に入ると、一冊の歴史書を買って戻ってきた。


火魔導師サラマンダーの国は、科学が発達した国みたいですね」

「······科学が?」





 居酒屋を見つけ、食事を取りながら三人は歴史書を読み耽る。

 火魔導師サラマンダーというのは、四大魔導師の中でも最も少なく、更にシュヴァルツペントはその国土の過酷さゆえにその出生率も著しく低いという。

 ゆえに王は魔法に頼らず生きられるよう、国民とともに科学を発展させ、繁栄をもたらした。


「へぇ、科学ねぇ······」

 イーラはグラスの飲み物を飲むと、歯車と蒸気の街を眺めた。

「魔法が偉いような世界で、科学って異端ね」

「ええ。魔導師からしても不思議です」

「どうしても魔法が主流ですから。でもイーラは科学に馴染みがあるんじゃない?」

 フィニの投げかけに、イーラは口を濁す。

 全くない訳では無い。事実、薬の調合なんて化学反応の合わせ技だ。だがその薬の材料は? と問われると、解明されていない成分や魔法を含んだものがあるため、一種魔法だと思われる。

 食事を進めていると、いきなり居酒屋のドアが蹴り飛ばされた。

 入口を見ると、銀の鎧の兵隊が店内を険しい顔で見渡す。


「このシュヴァルツペントに死霊魔術師デュラハンが入国した可能性があると議会から連絡が入った! 全員帽子やフードを脱げ! 黒のローブと白い髪が死霊魔術師デュラハンだ!」


 イーラは慌ててフィニのローブに目をやった。

 死霊魔術師デュラハンの黒いローブ。フィニは青い顔で震えていた。エミリアは咄嗟に自分のつけていた首飾りをフィニのローブ越しにつけると、フードをとった。

「すみません、上手くいくかどうか······」


 兵隊がイーラたちのテーブルに近づいた。

 エミリアがフィニを抱き寄せ、グラスの水を口に含む。

 一人の兵士がフィニをじっと見つめた。


「ん〜? こいつ······」


 フィニはエミリアの手を掴んだ。



「いたぞ! 死霊魔術師デュラハンだ!」

「砂塵よ! 刹那の時を惑わす歌を!」



 兵士と同時に叫ぶと、首飾りが崩れて砂に変わる。

 兵士の目を覆うように飛ぶと、イーラたちは机を蹴って店の外に逃げた。

 店から兵士が笛を吹くと、どこからともなく応援が駆けつける。

 エミリアは杖で地面を引っ掻くと、また砂を巻き上げ追っ手を撹乱する。

 しかし、土地勘もない所を逃げるのは不利であることに変わりはない。フィニが前方を指さすと、兵隊がイーラに向かって走ってきていた。



「こっち!」



 イーラは腕を引かれ、細い路地に連れ込まれる。エミリアもイーラの後ろを追った。

 イーラは顔も見えない相手に引っ張られ、路地の奥へと進む。兵士の声も遠ざかり、ようやく手を離してもらう頃にはすっかり息が切れていた。

「追っ手は来ないな······」

 少し高いが男のような声にイーラは警戒心を持つ。

 彼は、イーラの警戒を笑い飛ばした。


「あっはっはっ。そんなに睨むなよ。おいらはルッツ。よろしくな」

「イルヴァーナよ。······助けてくれてありがとう。でも私たちを役人に突き出したら刺すわよ」

「感謝と脅迫両方出すなって。突き出す気は無いよ。おいら達もワケありだから。で、なんでシュヴァルツペントに来たんだい?」


 イーラはふとギルベルトの事が頭に浮かんだ。

 エミリアとフィニはお互いに杖を手前に出して警戒を続ける。

 イーラはルッツに聞いてみることにした。


「ねぇ、ギルベルトって人知ってる?」


 すると、ルッツは食い気味にギルベルトの人相や服装を聞いてきた。

 髪の色、目の色、顔立ちから身長、その当時の服装。記憶にある分は全て教えた。するとルッツは目を見開いたまま、イーラに告げた。



「あんたの言うギルベルトは、この国の王子だよ」


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