第18話 囚われの火魔導師
地下の立ち飲み屋の更に地下は人の目もマグマからも逃れようとしているように暗く湿っていた。
しんとしたその空間は、この上をマグマが通っているのか確かめたくなるほどに冷たい。空のドラム缶と、壁の補強用の板にイーラ達は座らせられた。
ルッツは地上のカウンターからまばらなコップを持ってくると、強引にイーラ達の手に押し付ける。
「シュヴァルツペントは見ての通り、火山の国だ。ここの飲み物は暑さに対応出来るように
ルッツは手近なドラム缶を倒し、それにどっかりと座るとコップをすぐ空にした。エミリアはその様子を見て、おずおずとコップに口をつけた。
イーラもそれを口にする。それはコップの中でパチパチと弾けていた。
水だ。だが甘い。細かな空気の粒が舌や喉を刺激して体内に染み渡る。口の中に残るほのかな甘さと水の刺激が心地よい。
今の今まで感じていた暑さも、水を飲むと同時にどこかに消えた。
「··················ケプッ」
不意に小さな音がして、音の先を見やると、エミリアが口元を押さえていた。イーラやフィニに注目されて、エミリアの顔がみるみるうちに赤く染まる。エミリアは恥ずかしそうに顔を逸らした。
「『
「へぇ、甘くてゲップが出る水なんて初めてだわ。魔法道具の改造は禁止なんじゃないの?」
「本当はな。バレなきゃいいんだよ!」
ルッツは大口開けて笑っているが、これが知れたら国際問題なのではないか。
喉を潤したところで、本題を切り出す。
イーラが「さっきの件···」と口にすると、ルッツの表情も険しくなった。
「ギルベルトさんが、この国の王子ってどういうこと?」
ルッツはコップに目を落としたまま、口を固く結ぶ。
急かそうとするイーラをフィニがそっと止めると、ルッツはクシャッと困った笑みをフィニに返した。
コップから炭酸の音が消える。更に水がぬるくなり始めてようやく、ルッツは口を開いた。
「この国のルールにな、王族の名前を子供につけたらダメってのがあるんだよ。んで、数いる王族の中で『ギルベルト』って名前は、王族の特殊な名前と違って、市井によくある名前なんだ。間違える訳が無い」
「王族だってのに庶民じみた名前ねぇ。相当嫌われてんのかしら」
「そんなことない! 少なくとも、国民はみんな
「
鋭い質問に、ルッツはまた黙ってしまう。
エミリアが咳払いをしてイーラに目配せをするが、イーラはそっぽ向いて急ぐ理由をぼやいた。
「ある子供が言ってたのよ。『遠い遠い火の国で、
嵐の中で、雨風を恐る様子のなかった女の子。
あの何種類もの色が混じった瞳が、イーラをじっと見つめていた。
『王様はそれをよく思わない。王様はそれを嫌った。なら、嫌われた人はどこに行く?』
『ギルベルトが待ってるんでしょ』
エミリアも思うところはあるらしく、イーラを叱ることはしなかった。
フィニもその女の子が言っていた事が気になるらしく、歴史書を開いた。
痺れを切らしたイーラは一人で地下室を出ようとする。ルッツが出口に立ちはだかると、イーラは睨みを効かせて「どいて」と言った。
「どこに行くってんだよ」
「お城に直接会いに行くわ。ここで話してたって埒が明かないもの。アンタ喋りたくないんでしょ。はっきりしないのは嫌いなの」
「城に行ったって会えねーよ!」
「百も承知だわ。何なら衛兵とかいるでしょ。あの人たちに聞きゃあ良いんだもの」
「そもそも城にいねーんだよ!」
ルッツは悔しそうに拳を握った。うっすらと涙を浮かべて歯を食いしばる。偽っている様子はない。
エミリアに促され、イーラは再び座ると、ルッツは心底悔しそうに拳を壁に叩きつけた。
「お城にいないってどういうこと? 王子なんでしょ。ギルベルトさん」
ルッツはポケットから一枚の紙を出すと、イーラに突きつけるように渡す。やめればいいものを、イーラも奪い取るように受け取ると紙を開いた。
それは王様からの通達で、堅苦しい文がずらりと並んでいた。要約すると『窃盗の罪で王子ギルベルトを死刑にする』という内容だった。
「死刑!?」
フィニが思わず叫び、エミリアも辛そうに胸を押さえた。ルッツは泣きそうに「明後日に執行するって」と零した。
「でも、窃盗って! 本だと窃盗は五年間の穴掘りの刑でしょ? なんで死刑になるの!」
「それに正義感の強いギルベルトさんが盗みを働くとは思えませんわ」
フィニとエミリアの反論に、ルッツは唇を噛んだ。ただの窃盗じゃない、と。王の証を盗んだのだ、と。
イーラはヴォイシュでのことを思い出していた。
邪神とはいえ、神に抗うことの出来なかったエミリアに「お前は里を守ってない」と言い切ったギルベルトの表情は、怒りに満ちていた。
その場にいた誰よりも悔しがり、里を救うことを考えていた。
ぬるくなった
(あれは、上に立つ者としての責任と使命感だったのね)
ルッツはギルベルトを哀れんで涙を流す。
八つ当たりするようにエミリア達に吐き出した。
「ギル兄はおいら達に優しくしてくれたんだ。貧しい民に富を与え、王様に何度も政策提言して、毎日のように不満はないか、困り事はないかって街を歩いてくれたんだ。遊んでくれたり仕事も手伝ってくれて、魔法道具の改造もギル兄がやってくれたんだ」
「それって······」
「いけませんわ。フィニ」
「ギル兄が盗みをしたなんて嘘だ! そんなことするはずない! なのに、どうして死刑なんかに······。くそっ、ギル兄はずっとおいら達のために頑張ってたのに、おいら達はギル兄に何にも出来ない!」
「おいら達に出来ることなんかないんだ!」
イーラはその一言に、無意識に反応していた。
「──黙って見てるわけ?」
ルッツは泣くのをやめ、イーラに注目する。エミリアはイーラの苛立ちを察知すると、フィニの腕を引いてルッツの前を空けた。
イーラは眉間にこれでもかとシワを寄せ、ルッツを言葉で威圧した。
「ギルベルトさんが死刑になるって書いてあんのに、アンタたちは黙って見てるわけ?」
ルッツは涙を堪えて顔を背けた。イーラは余計に腹を立て、追い討ちをかけるように言い放った。
「遊んでもらって仕事手伝ってもらって? 民の言葉に耳を傾け、民に平等に利益が回るように努力を重ねた庶民派王子様を? アンタ達は王様の命令だからって、黙って指くわえて見てるわけ?」
「仕方ないだろ! 王様に刃向かったらおいら達死んじまうんだ! ギル兄には世話になったけど、おいら達にはどうしようも──」
「言い訳してんじゃないわよ! このクズ!」
イーラはルッツの胸ぐらを掴むと、耳元で怒鳴り散らした。
フィニが止めに入ろうとするが、エミリアがそれを強く引き止める。エミリアは激昂するイーラを真剣な眼差しで見守った。
「散々世話になった恩人でしょ! アンタ達を一番に考える人なんでしょ! 助けてもらうだけ助けてもらって、いざその人がピンチになったら見て見ぬふり!? 情けないったらありゃしないわよ! 恩を仇で返す気なの!? お礼もせず、なんなら見殺しにする気なの!? ふざけんのも大概にしなさいよ! ギルベルトさんの命がかかってんのに、なんでアンタ達が命かけないで死刑待ちしてんのよ!」
イーラは息が切れるまで怒鳴りつけた。
ルッツを壁に突き飛ばし、「なんか言い返しなさい!」とルッツを激しく追い詰めた。
ルッツは大粒を涙を流し、イーラに何も言い返せなかった。
地下室が揺れるくらい怒鳴ったイーラを、エミリアがやんわりと止めた。
「落ち着いてください。彼らは非力な民、王族に抗えない存在です」
「私が怒ってんのは、恩人を見捨てて、のうのうと生きる選択肢を潜在意識で選んでることよ!」
「ええ、イルヴァーナさんの怒りは最もですわ。しかし、全ての人があなたのような勇気が、行動力があるわけではありません。行動を起こした後のリスクを考えると、どうしても
地下室にルッツのしゃくりあげる音が響く。
イーラはどうしても納得が出来なかった。
ギルベルトの窃盗も、死刑も、反抗しない民も、その苦しみも。
人の命がかかっているその話に、どうしても民の苦しみが表面的にしか思えず、イーラは泣きじゃくるルッツを睨み下ろしていた。
フィニがイーラの手を握った。イーラがフィニを睨むように見るが、フィニは柔らかい笑みをイーラに向けた。
「イーラの気持ちも分かるよ。イーラは命の重さをよく知ってる。だから、自分の周りで誰かが傷つくのも、死ぬのも嫌なんでしょ。命が関わると、イーラには他のしがらみなんて関係ないもんね」
「············そうよ。窃盗も身分も二の次よ。大事なのは、今生きてることだわ」
フィニの諭すような共感に、イーラはポロッと本音を零した。
エミリアはコップの
「行きましょう。事の真相は全て本人に聞いた方が早いですわ」
エミリアはイーラとフィニに耳打ちすると、ニコッと微笑んで階段を登った。イーラはエミリアの作戦に腹を括る。
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