第10話 奇病に花を 2
長く太いロープと、片手サイズのツルハシを持ち、数本の試験管と大きな瓶をカバンに押し込む。カバンの中でガラス同士がぶつかって不快な音を立てるが、イーラの頭にはカイナリの花のことしかなかった。
朝日が昇る。紫色の空に光の筋が飛んでいく。鳥は鳴き、朝を喜んで翼を広げた。
砦に光が入る頃、イーラは寝ぼけ眼のフィニを連れて森へと出た。重いロープとカバンを肩にかけ、フィニにツルハシを持たせて。
昨日聞いた崖を目指して森の中を勇んで歩く。フィニは高草や枝に服を引かれながらイーラの後ろをついて行く。
「わぁっ! イッ、イーラさぁん!」
「もう! だらしないわね!」
袖に引っかかった枝を切り落とし、イーラはナイフの切れ味に感心した。さすがドワーフ印のナイフはよく切れる。市場で高値で取引される理由に納得し、森の奥へと進んでいった。
「なんで明け方から採りに行くんですか? 花の採集なら別に昼でも·····」
枝を押しのけてフィニが聞いた。イーラは空を仰ぎ、方向と時間を確認した。
「植物だって朝の方が元気なのよ。それに茎から採れる蜜はすごく劣化しやすくて、最悪花ごとじゃなくて蜜だけ採れても日が落ちれば使い物にならなくなる。だから午前中に行きたいの」
「そんなに繊細な花なんですか?」
「花自体はもの凄く強いわよ。絶壁に咲いてんだから。花ごとなら問題ないわ。けど、場所よね。問題があるのは」
フィニは強ばった表情でツルハシを握った。
イーラは何度も方向を確認しながら崖を目指す。空を見上げて雲の流れ、太陽の位置を確認し、また足を進める。空が見えない時は方位磁石で位置を確認して歩く。
フィニと現在地を確かめながら
ケインから聞いたその崖は、ドワーフよりも大きいイーラたちでも時間がかかるほど遠く、着く頃には太陽は空の真上にあった。
イーラは呼吸を整え、額の汗を拭う。
崖に咲いていると聞いていた花はとても赤く、遠目から見ても上質だとすぐ分かる。イーラは満足そうに花を眺めた。
ただ、ひとつ予想外だったのは崖を登るのではなく、下る方だったというところか。
崖の下に広がる森と、緑の中に一点だけ赤い花。風になびく花弁はしなやかで陽の光に輝いていた。
フィニは崖の下を覗いてすぐに退く。イーラは太い木の幹にロープを括りつけて自分の体にもロープを結わえる。ツルハシを腰に差してロープの強度を再確認した。
「ちょっ、ちょっと! ほんとに行くんですか?!」
「当たり前でしょ! あの花がないと薬が出来ないんだから」
「でも危ないですよ!」
イーラはフィニを睨みつけ、ロープを強く引っ張った。
「私の危険よりもドワーフの危機の方が大事なくらい分かるでしょ」
そう言ってイーラは崖の下に身を投げた。フィニが唇を噛んでイーラを見送った。
イーラは崖の側面に足をかけながら慎重に花の咲いている位置まで降りていく。風は強く吹きつけてイーラの足元をさらい、顔の傷を抉って消える。イーラはチリチリと痛む傷に手を当てた。
花の元まで降りると、ちょうどロープの余りが無くなった。イーラは空いた両手で慎重に花の回りをツルハシで削っていく。
ロープが揺れ、足場が安定しない分作業は時間がかかる。その上強風に煽られ体が飛ばされないようにツルハシで崖に固定する必要もあった。風が止めばすぐ作業にかかり、また風が吹けば足とツルハシで耐え忍ぶ。
カイナリの花はイーラの奮闘を優雅な佇まいで眺めていた。
イーラは絶対に花を持って帰りたい一心でツルハシを振るう。
ようやく花の根が見えてきた。慎重に根を抜き、瓶に花を入れる。
「やった!」
喜んだのも束の間。頭上でフィニが叫んだ。
「イーラさん! 魔物です!」
顔をあげた時、視界に飛び込んできたのは女の顔をした大きな
「きゃあああ!」
怪鳥の足に掴まれ、イーラは空に連れ去られる。しかしロープのお陰で攫われるまでには至らなかった。
「イーラさん! 彼女たちは『ハーピー』です! 風を操る怪鳥で、三人···いや、三羽? 揃えば嵐を呼ぶこともあります!」
「あら凄いわね! 三人揃ったわよ!」
イーラを掴むハーピーの横に二人ハーピーが現れた。
イーラをじっと見つめると、ヨダレを垂らして足の力を強める。──食料だと思っているらしい。
「舐めんじゃないわよ!」
イーラはカイナリの花の入った瓶でハーピーの頭を殴った。ちょうど眉間の間に入ったらしく、ハーピーは白目を向いて地面に落ちた。
イーラは足の爪を自分から剥ぎ取ると地面に落ちていく体の上にカバンを避難させた。
フィニはイーラを受け止めようと両腕を伸ばす。だが子供の体でどうすることが出来ようか。
受け止めることは出来たものの、支えることが出来ずにフィニも地面に叩きつけられる。
イーラは悲鳴をあげる背中を無理やり起こし、フィニの腕を診察した。
フィニの背後をハーピーが襲い、フィニを空へと連れ去ろうとする。イーラはフィニの足を掴み、ハーピーに必死に抵抗した。
フィニも体を激しく揺らすが、ハーピーはニタニタと笑顔で翼を羽ばたかせる。イーラはその表情に苛立ちを募らせた。
「フィニに触んじゃないわよ!」
そう叫んだ瞬間、ハーピーの背後から岩がせり出し、鋭い槍となってハーピーの胸を貫いた。
イーラは力の緩んだところでフィニを引き離し、自分に結わえたロープを切ると、残りの一羽に見られないように森へと駆け込んだ。
元来た道かも分からないまま森を駆け、大きな岩の影に身を潜める。
そしてもう一度フィニの腕を診た。
「······両方とも折れてるわね。でも綺麗だわ。添え木になるもの、何かないかしら。固定する布も持ってきてないのよね」
イーラは少し離れて木の枝を探す。
だが使える枝で落ちているものは無く、生えている枝を一本折って長さを調節した。フィニの腕に当て、自分の服の裾を破いて固定する。
「いって······!!」
「我慢して。砦に戻るまでは」
物陰から音がした。
イーラは反射的にそちらを向く。フィニを庇うように立ち、ナイフを持った。耳を澄ませ、音の方向を探った。
「······ハーピーが来たかも。早く帰らないと」
フィニを立たせて方位磁石を頼りに砦を目指す。草をかき分け石を飛び越え、捕まらないよう気をつけるが奔走虚しく、ハーピーに先回りされた。
イーラがナイフを振り回してもかすりもしない。ハーピーは嘲笑うように森を飛び回った。
フィニは小石を蹴りあげてハーピーの気を引くとローブを羽織り、砦とは別方向へと走り出した。
「フィニ!?」
「僕が気を引きます! その間にイーラさんは砦に行って薬を!」
「馬鹿じゃないの!? 一人じゃ危ないわ!」
「禁忌魔術師とドワーフの命、どちらが大事かくらい分かるでしょ!」
イーラは自分のセリフを返されて狼狽えた。ハーピーはフィニの背中を追いかけていく。フィニはローブを翻し、ハーピーを引きつけながら遠ざかる。
フィニを見捨てる訳にはいかない。だが、薬を早く作らねばドワーフも危ない。しかし、フィニをおいて砦に帰り、助けを呼んでもフィニの居場所も安否は不明だ。でも早く帰らねば薬を待つドワーフにも危機が──
───どうにでもなれっ!
イーラはハーピーを追いかけた。ハーピーが立てる翼の音と鳴き声がイーラに居場所を教えてくれる。イーラはカバンから薬の瓶を出し、ナイフにたっぷりとかけると近くの木を切りつけた。薬のかかったナイフはみるみるうちに青くなり、滴る液は草に付着すると根まで枯らす毒となった。
ハーピーの背中が見えた。その手前にはフィニも居る。
フィニは酷く息を切らせていて、その足はめちゃくちゃに動かしているだけだった。ハーピーは鋭い爪をフィニのローブに引っ掛けた。フィニは後ろに転び、ローブの結び目を解こうとする。
もがくフィニに夢中になるハーピーに狙いを定め、イーラはナイフを投げつけた。ナイフはイーラに気づいたハーピーに弾かれ刺さりはしなかった。だが弾く刹那、ナイフの刃が翼に小さな切り傷を作った。
ハーピーはイーラに首を伸ばしたが、イーラの目の前で泡を吹いて倒れた。イーラはフィニを救出するとナイフを拾い、別の薬をかけて毒を解く。
フィニは咳き込みながらイーラに肩を担がれてその場を離れた。
「どうして助けたんですか」
とうとう砦に帰れなかった。日が落ち獣の遠吠えが聞こえる森で、二人は薄暗い洞窟を見つけた。
火を起こし、拾って来た木の実で腹を満たし、月の高さで時間を測っていると、フィニが聞いてきた。変色しつつある腕を投げ出し、膝に顔を埋めて。
イーラは沈黙を貫いた。
「僕を助けず砦に戻れば助かる命は多かったじゃないですか。イーラさんなら、一人で帰れたでしょう」
イーラは答えなかった。まだ時間を測っている振りをして。持っている答えを出し惜しみした。
「······
イーラは堪えた。胸の内から溢れる苛立ちを。頭を巡る罵倒を。
大事な花の入ったカバンを握りしめて。歯を食いしばった。
「命を天秤にかけた時、どっちが重要かくらいイーラさんなら分かって」
「バッカじゃないの!? いい加減にしなさいよ! ウジウジウジウジうっさいわね!」
結局怒りは爆発した。それに共鳴するようにフィニも言い返す。
「あなたが言ったことでしょ! 一人と八人! 禁忌魔術師と希少職人! その重さの違いはすぐ分かる!」
「だからって自分が死んでもいい理由になると思ってんの!?」
「良かれと思って身を投げたんです!」
「何一つ良くないわよ! お陰であんたは危ない目に遭うし、道に迷って日が暮れるし!」
「僕だけのせいですか!? イーラさんが方位磁石を壊さなかったら砦に戻れたかもしれないのに!」
洞窟の入口には壊れた方位磁石が転がっていた。ガラスカバーは粉々で、針はグルグル回って止まることを知らない。
フィニは深いため息をついた。
「······いっそハーピーに殺させて欲しかった」
イーラはその言葉が耳に入るや否や、フィニの胸ぐらを掴み、頭突きをかました。地面に倒れたフィニを見下ろし、「二度と言うな」と脅しをかける。
イーラは火を絶やさぬように小枝を足しながらフィニの額に薬をつけた。
「私が言ったのは、命を天秤にかけることじゃない。自分のケガとドワーフの病を比べた時、助かるのならケガの一つや二つは惜しくないってだけ」
薬の瓶を焚き木の傍らに置き、温めながら話を続けた。
「あんたは私を心配してくれた。けど、いざ自分がってなった時、あんたは自分を犠牲にしようとしたでしょ。気持ちはありがたかった。けど、私は人を見捨てられない」
イーラは膝を抱えた。飛んでくる火の粉が蛍のように見えた。
「······命に優劣はないの。どちらが大事だとか、どちらが尊いとかそんなの言うも愚かなことなのよ」
フィニは温まった薬を受け取ると、痛む腕で薬を飲んだ。そして瓶をイーラのそばに置く。
「······すみません。カッとなってしまって」
「いいわよ。私も悪かったんだもの」
フィニはイーラのナイフを見つめると、そういえば、と口を開く。
「ハーピーを倒した時、ナイフに何を塗ってたんです?イーラさん、薬しか作ってませんでしたよね?」
「ああ、本当は傷薬なんだけどね。使っているのがエンユトウって木から採れる薬草なの。乾燥させた葉からエキスを抽出しただけで出来るわ。普通に使えばすぐ傷が治る優れものなんだけど、別の植物に触れるとたちまち厄介な毒になる。小さな傷でも死に至るくらいにね」
「それでハーピーが······。でも、毒を解いたのって······」
「それは───」
イーラはカバンから薬の瓶を出した。エンユトウのエキスだ。それに薪の小枝を入れると、小枝は脆く朽ちていく。
そして、毒となったエンユトウエキスにもう1つ、薬の瓶を出した。
フィニは目を丸くする。
「それ、エンユトウですか!?」
そうだ。イーラが出したのは毒になる前のエンユトウエキスだった。
試験管に少し毒を入れ、フィニに見せる。濁った青い毒は、エンユトウエキスが入ると、透明なエキスに戻った。
「えっ、えっ!? 何で!?」
「エンユトウには変な特性があるの。エンユトウは日陰の多い森を生息地とするんだけど、寄生植物のスイヤラナもそこによく生えてるの。エンユトウはそのスイヤラナから身を守るために体を毒にするのよ」
「でも、何で同じエンユトウエキスで解毒出来るんですか!?」
「それはエンユトウが群生するからよ」
イーラは小枝を立てて説明した。
エンユトウはひとつの生息地に詰め込むように生え、その根は他のエンユトウと絡まるようになっている。
ひとつのエンユトウが寄生され、体を毒に変えると他のエンユトウは自分も毒に侵されないように解毒作用のある成分を分泌し、毒に変わった木に根伝いで送り込むのだ。
その解毒作用が毒よりも強いため、毒になった木も無毒に変わる。それが葉でも同じことが言えるのだ。
フィニは面白そうに、無毒になったエンユトウエキスに目を輝かせる。
「これって飲んでも問題ないんですか?」
「平気よ。無毒になったし、傷を塞ぐ薬に戻ってるし」
「へぇー! すごく面白い! ねぇ、他に似たような薬ってあるの!?」
フィニはそこまで言うと、「あっ」と思い出したように呟き、顔を赤くして縮こまる。
「すっ、すみません。つい夢中で──」
イーラは堪えきれずに笑うと、薬瓶をフィニの前に並べた。
「良いじゃないタメ口でも。そっちの方が気が楽だわ。興味があるならもう少し教えてあげる。ただし、月が洞窟の入口のてっぺんに来たら終わるわよ」
「はい! ───いや、うん! もっと知りたい!」
イーラはフィニの笑顔に応え、薬草の知識を教えた。
フィニの聞き入るその姿勢は、かつてイーラが母より教わった薬学に向かう姿と重なった。母はこんな気持ちだったのか。イーラは
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