第9話 奇病に花を

 職人の砦に来てから三日が経った。

 予想以上に立派な部屋を一室借り、三人で泊まりながら看病を続けた。イーラは部屋の一角に調薬の作業場を設け、薬草を並べて重さを量る。



「ミオロバ草の根を三グラム······、アリアイナの実を三つ。オトナキビワを二粒、あとは──海岸ザクラの花びらを五枚」



 新品の秤に重りと薬草を乗せ、細かく量を量っていく。量り終えると、同じく新品の薬研ですり潰しておく。


 準備したもの、他に必要な薬剤を呟きながら母の手帳を開いた。

 母は手帳に、自分が亡くなった後の予言の他に、薬の調剤法を記していた。日常で使う薬から奇病に使う薬まで、ありとあらゆる薬を名称、グラム、個数、切り方、煮方、擦り方と詳細に残していた。

 そこには『青タン病』の薬も載っていた。

 母はこうなる事を予想していたのでは、と思うほどに細かく書き残してあった。

 これも予言のうちなのか、自分の後学のためなのか、真相は本人にしか分からない。

 イーラは胸を痛めながら手帳を撫でた。そしてまた、どうして自分に魔力が無いのかと手帳に問うた。

 もちろん返事は帰ってこない。たかが紙の集まりに、話す口なぞついていない。そんなことくらい、知っていた。


 エミリアが部屋に戻ってきた。空になった薬の瓶を持っていた。

「イルヴァーナさん、熱を抑える薬が無くなりましたわ。後で調合の方、頼んでも良いですか?」

「代わりの薬は作ってあるわ。次はそっちを使ってちょうだい。量見て調合するから。様子はどうなの?」


 エミリアは辛そうに首を振った。

 投薬で多少楽になるらしいが、治るまでには至らないと嘆く。

 体力のないドワーフは薬の強さに耐えられず、副作用で嘔吐する者もいた。

 イーラが考えて薬を弱めても効きにくく、気休めにしかならなかった。

「早く薬を作らないといけないわね」

 エミリアは作業場を覗くと、イーラの揃えた薬材に一驚を喫する。

 許可を得て手に取っては感嘆を零した。

「これはしたり、なんと見事な薬草の数々······。よく集めましたね。特にオトナキビワは栽培が難しい植物ですのに」

「ドワーフの中に野草採りに詳しい人がいたのよ。オトナキビワは栽培が出来ない代わりに森に自生していて、その場所を知ってるって言うから教えてもらったの」

 手帳を見ながら必要な薬材を数え直し、足りないものを確認する。

 幸運にも、必要な薬材はあと二つだった。





「カイナリの花?」


 夕方、戻ってきたフィニがパンを食べながらその名を口にする。

 イーラは頷いてパンを置き、本にあるその花のスケッチを見せた。

 赤い花弁が五つ連なった綺麗な花だ。異世界物の本にあった『ツバキ』という花に似ている。

 イーラはその花の茎の部分を示した。

「カイナリの花の茎に蜜があるんだけど、その蜜が青タン病を治す薬の主成分を含んでいるの」

「じゃあ······ムグッ。それがあれば薬が出来るんですね!」

「そうよ。、ね」

 イーラが含みのある言い方をした。フィニはエミリアに目で聞いた。

 エミリアはスープを飲むと、フィニに説明をする。

「カイナリの花は、断崖絶壁に咲く花で、人工栽培が不可能な花です。そしてカイナリの花は数が圧倒的に少なく、絶壁に一輪あればいい方です」

「ということは······まさか」


「それが無かったら治らない」

「そんなぁ!」


 エミリアは本を手に取り、花をじっくりと眺める。

 イーラは夕食を終えるなり席を立ち、薬草採りのドワーフの元を訪ねた。

 砦は今だ働くドワーフが多く、皆汗を流しながらあくせく体を動かしていた。

 イーラは採掘した宝石を磨くドワーフに声をかけた。


「ねぇ、ケインさん」


 ケインと呼ばれたドワーフはイーラを見ると、作業する手を止めた。

「ああ、イルヴァーナか。どうした。何か聞きたいことがあるのか?」

「ええ。どこかでカイナリの花を見たりしてない?」

「······カイナリの花?なんだそれ」

「えぇと、そうね。崖に咲く花なんだけれど。赤い花弁の···」



「ああ!あれ『カイナリの花』っていうんか!」



 ケインは腑に落ちたように膝を叩いた。感嘆を吐き、「あれがか」と何度も呟いた。

「いやぁ良かった良かった。花の名前が分かって。昔から時々見てたんだ。一昨日も見たんだぞ。ずっと花の名前が分からなくて困ってたんだ。いやぁスッキリした」

「その花、どこにあったの?」

「砦を出て右にずっと行った崖だ。あの辺でよくキノコが採れっからな。崖の上に赤い花が一輪だけ咲いてんだ。何の花だろうな〜って思ってたからよ」

「砦を出てずっと右に······ありがとう!これで薬が作れるわ!」


 イーラは走って部屋に戻る。

 ちょうど食事を終えたエミリアが皿洗いの手伝いをしていた。

 エミリアはイーラを見ると、手に泡をつけたままイーラの話を聞いた。

「どうしましたの?すごい汗ですよ」

「エミリアさん、カイナリの花が咲いてる場所を教えてもらったわ。明日早速行くから留守番お願い」

「カイナリの花の花は崖に咲いているのでしょう。ならば一人で行くのは危険ですわ」

「でもここに薬を飲ませる人がいなきゃ。エミリアさんは薬を薄めるのも飲ませるのも上手いじゃない。それに採り方間違えたらやり直しがきかないわ。一輪しか咲いてないんですもの」

 エミリアはイーラの説得を受け入れなかった。

 イーラは何度も説明したが、エミリアが頷くことはない。自分の身を案じていることは分かっていた。正直、嬉しい。だが自分の代わりに行ってもらう訳にもいかない。


 薬草の栽培に慣れたエミリアと、薬草の採集に慣れたイーラ。


 同じ領分でも勝手が違うのだ。

 エミリアの後ろでドアの開く音がした。

 フィニがオドオドして覗いていた。二人がフィニに気づくと、フィニは肩を竦めて「すみません」と謝った。

「あの、僕もついて行くのでそうケンカしないで下さい······」

「子供二人で行かせる訳にはいきませんわ。外は危険です」

「あんたがついてきてどうすんのよ。魔物退治に向かないでしょうに」

「ですが、イーラさんだけで行くのがダメなら、僕がついて行けば問題ないかと」

「問題だらけですわ」

「一人でいいわ。足でまといだし」

 フィニがオロオロしていると、リムバが薬草の入った鍋をかき回す。

 イーラが目を向けた時には鍋は吹きこぼれ、火を消しかけていた。リムバは怪我を負った腕に新しい薬草を乗せ、グズグズに煮溶けた薬草を濾過ろか装置そうちに流し込む。

「良いじゃねぇか。二人でも。不安だってんならおれっちも行くぜ」



「え、要らない。余計に邪魔よ」

「人の気遣い無駄にしやがってコンチクショー。嘘でも頼もしいって言いやがれ」



 イーラはリムバの好意をドブに捨て、親方から崖登りに使う道具を借りると明日に備えて薬を多めに作り始めた。

 薬研と秤を自分の腕のように使いこなし、看病用の薬の他に傷薬やら化膿止めやら、作れるだけ作り上げた。

 それらの内の傷薬をカバンに詰め、ドワーフに飲ませる薬の予備を机に並べた。エミリアはイーラの作業の速さに感心し、フィニは胸元で拍手をする。

 イーラはリムバの包帯を取り替え、夜の診察のために部屋を出た。


 エミリアは杖を抱き、イーラの背中に祈った。

 胸の内で祝詞を捧げ、フィニに「気をつけてくださいね」と声をかけた。

 フィニは「はい!」と強く返事をした。

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