第7話 小さな職人

 世界樹の聖堂は魔導師にしか開けられない。

 そう聞いていたはずだった。


「世界樹の聖堂は四大魔導師、土魔導師ノーム火魔導師サラマンダー水魔導師ウンディーネ風魔導師シルフの魔力を鍵とするこの世界の聖地ですわ。魔導師一人では開きません。つまり、聖堂へ向かうのならば残り三人の魔導師が必要です」


 晴れた空の下、枝葉の揺れる音に踊る風を浴び、イーラたちはエミリアの話に耳を傾ける。

 ギルベルトはつまらなさそうに欠伸をし、フィニは感心して聞き入った。しかし、イーラはチカチカと点滅する足元を呆然と見つめていた。


 聞いていた話と違う──それがずっと脳内を巡っていた。

 魔導師一人さえいればいいと思っていた上に、その情報がまさか二十年も前のことだとは知らなかった。

 更に畳み掛けるエミリアの一言。


「ところで、船はどうしますか?」


 そう。船だ。

 あとイーラたちが行くべき場所は火魔導師サラマンダーの国、水魔導師ウンディーネの都、風魔導師シルフの集落の三つ。

 その内火魔導師サラマンダーの国と水魔導師ウンディーネの都は船が無ければ近づくことさえ不可能だ。

 それぞれ外交もしなければ魔導師としての活躍も聞かない。表舞台に立つことのない国に行くなど、全裸で魔王戦もいいところだ。

 乗合の船は運行していないし、行くのであれば自分の船を持つしかない。作るにしても持ってる金なんて三日分の食料を買えば尽きるくらいだ。金稼ぎに商いをするにしても許可証が必要だし······───



「じゃあ俺こっちだから」



 ギルベルトの声で前を向くと、朽ちた看板が分かれ道の真ん中に立っていた。矢印の横に薄らと字が見えるが、何が書かれているかまでは分からない。だが、ギルベルトは右の道を真っ直ぐに進んでいく。

 イーラは引き留めようとしたが、ギルベルトが一言、

「俺ァ火魔導師サラマンダーの国に用があっから、いい魔導師に会ったら手紙寄越すわ。旅頑張れよ」

と協力の約束を取り付けたため、エミリアとフィニを連れて左の道を歩いて行った。正直、その約束がなくとも、意味もなく同行させて危険に晒すよりも良いと考えていた。

 エミリアはイーラを「賢明な判断です」と褒め、森の小道を進んだ。


 イーラは次にどの魔導師を仲間にするかで頭を悩ませる。

 誰だって知っている魔導師の性格と特性。それがどうにも邪魔になる。

 怒りっぽい火魔導師サラマンダーか高潔な水魔導師ウンディーネか。風魔導師シルフに至っては自由すぎる性格だ。故に同じ場所に留まらないし、そもそも何処にいるかさえ分からない。

 火魔導師サラマンダーをギルベルトが連れてくると言うのなら、行くべき場所は──


水魔導師ウンディーネの都ね······」


 行き先を決めた直後だった。




「あっち行きやがれコンチクショー!」




 誰かの叫び声が聞こえた。

 フィニが「あっちからです!」と小道の先を指さした。

 エミリアは杖を握り一人で先に駆け出した。遅れまいとイーラたちも後を追いかける。

 穏やかな森の小道を風を切って走った。

 小石を蹴り飛ばし、砂煙をあげ、ガラの悪い叫び声を目指す。

 エミリアの姿が見えた。だが、エミリアは手をイーラたちに突き出して制止をかけた。

「いけません!あれは魔物ですわ!」

 フィニを庇うように手を広げ、恐る恐るのぞき込んだ。

 エミリアと対峙する魔物はとても黒く、炎のような赤い瞳をしていた。大型犬よりひと回り大きい体で、千切れた鎖を首にぶら下げていた。

 フィニはイーラの服を掴み、か細い声で言った。

「あれは『ヘルハウンド』です。道端に突然現れては消える異界の獣で、人を襲う凶暴な犬です」

「へぇ、じゃあ早くしないとあの子死んじゃうわよ」


 イーラはヘルハウンドの口元を見つめていた。

 立派な角の生えた十歳にも満たない男の子が脂汗をかいて座っていた。左腕はヘルハウンドにがっぷりと噛みつかれていてぼたぼたと鮮やかな赤い血を流している。

 鎧のような服を避け、露出した腕を噛むとはそれなりの知性があるようだ。エミリアが一歩近づくとヘルハウンドは顎の力を強め、男の子を苦しめる。

 そして二歩分、男の子を引きずって後ろに下がる。

 エミリアが杖を振ろうとすれば、あからさまに骨の軋む音を立てて腕を喰い千切ろうとする。

 男の子が悲鳴をあげればエミリアは攻撃を止め、ヘルハウンドは男の子を小道の向こうへと引きずった。

「どうすればいいんでしょう。わたくしが動けば彼は······」


「ビビってらんないわ。所詮は犬よ」


 イーラはその辺の木から枝をもぎ取ると、ヘルハウンドの前で振って見せた。ヘルハウンドは目を三角にしてイーラを睨んだ。

 唸り声を上げ、吠えて脅す。だが、口を開けた瞬間に、男の子が地面に落とされた。

 その隙を、エミリアは見逃さなかった。



「土よ、命への慈愛を示し、彼を魔物から守り給え!」



 地面を突き刺した杖から放射線上に伸びた亀裂が土を砕き、ドーム型の囲いを生み出して男の子を包んだ。

 ヘルハウンドは怒り狂って雄叫びを上げると、涎を垂らして脇目も振らずにイーラに突進した。

「危ない!」とフィニが叫んですぐに、イーラはポケットの薬草をヘルハウンドの口に放り込んだ。

 エミリアが咄嗟にイーラを抱きかかえ、茂みに転がりヘルハウンドの突進から身を守った。

 ヘルハウンドは口に入った草の包みを咀嚼そしゃくすると、「キャインッ!!」と悲鳴を上げて逃げ出した。

 炎に包まれ消えたその後ろ姿は、先程までの恐ろしさが嘘みたいに哀れだった。フィニは茂みに転がったイーラとエミリアに手を貸し、オロオロと落ち着きなく動き回った。

「けっ、ケガはないですか?」

「ないわ。それよりあの子の傷を治さなくちゃ」

 エミリアが土のドームを軽く小突くと、ドームは砂のようにパラパラと崩れた。中ではだらんと下がった左腕を押さえる男の子が荒い息遣いで倒れていた。

 エミリアが男の子の体を起こすとイーラは顔を観察し、傷口を見た。

「毒はないわね。でもショックが強かったかしら。出血で傷口がわかんないわ。フィニ、水をちょうだい」

 フィニから獣皮の水筒を受け取ると、左腕に容赦なく水をかけた。

 痛みに顔を歪める彼は「痛てぇなブス!」と行き場のない怒りをイーラにぶつけたが、頬を強く引っぱたかれて大人しくなった。

 イーラはテキパキとカバンから薬を出して治療を続ける。

「傷が深いわね。骨はヒビが入ってる程度かな。治癒力を高めるティギン草と止血効果のあるミオロバ草の根っこ、あとは化膿止めにナチュべの葉をすり潰して塗るか···」

 薬草を出し、その辺の石を洗って薬研の代用にする。

 天秤も無いのにイーラは手のひらの僅かな重みで薬をはかり、石を足で押さえてすり潰した。出来た傷薬を清潔な布に塗り、傷口に貼りつけた。




「あ、言っとくけどめちゃくちゃ痛いわよ」

「いだだだだだ! 先に言いいやがれボケェ!」




 森に張り手の音が木霊する。


 ***


 彼はリムバという鍛冶師らしい。

 食料集めに森に出たところを襲われたらしく、驚いたことに成人男性だった。

 フィニに背負われたリムバの案内で森の小道から外れた茂みを歩く。草の生い茂る道無き道を歩いて行くと、けもの道に出た。


「その道を歩いてけ。その先に洞窟があるからそこに行け」

「偉っそうねチビ。もっかい叩けば治る?」

「そういう口調でい!」


 リムバとイーラが口喧嘩し、エミリアが仲裁する。フィニはオロオロするだけで口を挟めない。それを数回繰り返し、リムバのいう洞窟に着いた。

 岩が奇跡的な形で乗っかった洞窟に足を踏み入れた。

 ひんやりとした空気が首を撫でる。土とは違う岩の道がこつりと音を立て洞窟に反響させる。

 どこかで滴る水の音と靴の音を聞きながら、奥から照らす光を目指した。




「ここが、職人ドワーフの砦でい」




 洞窟を抜けると、小さな職人たちが忙しなく動く活気に充ちた岩の筒のような砦に出た。一見壁のように見える所にも道を作り、木の歯車を動かして水を運び、宝石の乗ったトロッコを走らせる。

 見たことも無い世界が目の前に広がり、イーラは目を遊ばせた。

 リムバはフィニから降りると、イーラたちを連れて砦の向こうへと連れて行った。

 岩壁に木のドアという違和感のある造りの家にリムバは入っていった。イーラもかがんでドアをくぐると、広い部屋の真ん中に、筋肉質なドワーフの老人が座っていた。

「親方、戻りました」

 リムバが一礼すると、親方と呼ばれたドワーフはリムバの傷を鷲掴みにした。フィニが止めようとすると、親方は滝のように涙を流し始めた。


「リムバァァァ!どうしたんじゃこの傷はぁぁぁ!なんと痛々しい!なんと可哀想なことか!リムバァァァ!」

「ま、魔物に襲われてイテテテ······あの、離してぁくれやせんか」

「魔物!魔物に襲われたのか!あああワシの大事な民が危険な目に遭うとは!あああああよう帰ってきた!リムバよ、仇はワシがうっちゃるでな」

「勝手に殺さないでくれ!」

「いい加減離しなさいよ!傷が開いちゃうじゃない!」

 親方のぞんざいな傷の触れ方にイーラが怒鳴ると、親方はイーラたちを指さしてリムバに目配せをした。

 リムバは困り顔で「恩人です」と短く紹介した。

 親方は目を光らせ、イーラと固く握手を交わした。その直後に親方は外に出てほら貝を吹いた。その音にドワーフたちは歓喜する。

 リムバは頭を抱え、イーラはリムバの肩を揺すった。

「何が始まるのよ。ねぇちょっと」

「·········腹ァ括っときなせぇ」

 親方が満面の笑みで戻ってきた時、イーラたちは親方と対照的に青ざめた。

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