第6話 邪神を崇める里 2

 それは古き掟だった。


 それは避けられぬ神事だった。


 弱り続ける神の力を繋ぎ止めるための伝統。


 人と神が手を取り生きるための契り。


 数百年に一度、長老の家系から女を一人、神に捧げることで神魂を高め、里を守る力の礎となる。


 何代もの長老はその時が来ることを恐れていた。


 長老の家系に生まれる女はその運命さだめを嘆いていた。






 一人の女がいた。


 体は弱いが気は強く、とても面倒見のいい女だった。


 彼女は弟をとても可愛がっていた。


 弟も、姉である彼女を慕っていた。


 ある年、長老の家に黒い蛇がやってきた。


 守り神の魂を保つために女を一人捧げよと言った。


 親族で話し合った結果、祖母を差し出そうという話になった。


 病にかかっていた女はその話を聞くと、人目を忍んで守り神に会いに行った。


 弟は彼女の後をつけ、目にしたのだ。


 彼女が、大蛇に喰われる瞬間を。


 一飲みにされる刹那を。


 涙を浮かべた姉の姿を。


 大蛇は弟を見つけた。赤い瞳に弟を映し、こう告げた。



『百人。贄を捧げたなら、姉を返そう』



 * * *


「あと一人なのだ。わしの、姉を取り戻すまであと一人なのだ。手を出さないでくれ」

 長老は事のあらましを全て話すと地面に手をつき、惨めなくらい懇願した。

 ギルベルトは木の実を手放し、長老を無理やり立たせた。


「ざっけんじゃねーよジジイ!」


 耳元で叫び、長老を締め上げた。

 長老は抵抗せず、「手を出すな。姉を取り返すまでだ」と呟き続ける。

 イーラはフィニに小声で聞いた。

「あの頭の上にいた女の人、視えた?」

「はい。おそらく、長老さまの姉かと」

 イーラは少し考えた。

 長老は姉を取り戻せばそれでいいと言った。つまり、姉をどうにかして引き剥がせたならそれで解決するのだ。

 魂となってそこにいるのなら、救う方法は────


「······あの人のお姉さん、召喚出来ない?」


 フィニはぶんぶん首を振って拒否をする。


「出来ません! 神に正式に捧げられた魂は、神魂と融合してしまうんです。呼び出せないわけではないんですが、本人に未練か意思がなければ上級者でも出来ないんです。それに、あの大蛇はたくさんの魂を食べたので、下手に手を伸ばしたら他の魂も芋づる式に出てきちゃう·········」


 イーラは納得したものの、どうしてもあの人が気になった。

 逆光で顔は見えぬものの、風に髪をなびかせ、かざりっけのない白いワンピースが淡く光るあの姿。イーラには嘆くようには見えなかったのだ。

 祈りを捧げる女が何かを語れたなら、大蛇に囚われた魂を救い出せるのではないか。

 彼女がもし長老の姉だったなら、里の荒廃を食い止めることが出来るのではないか。

 イーラはフィニの肩を掴み、強く頼んだ。



「死霊召喚なさい。真相さえ掴めればあとは何とかするわ」



 フィニは夜でも分かるくらい顔を青くしてイーラの袖を掴んだ。

「無理です! 死霊魔術師デュラハンは一切の魔術を禁止されてるんです。通報されたら僕死んじゃいますよ!」

「通報しないしさせないわよ! とにかくやれるならやって! この里の明日がかかってんのよ!」

「僕まともに出来たことないですよ! ずっと、ずっと約立たずで、落ちこぼれで、白い目で見られて来たんです」

 フィニの泣き言に、イーラは腹を立てた。

 止血していた薬草を取り、傷を顕にした顔で怒鳴りつけた。



「やってみなさいよ! 力があるんでしょ! 魔力があるんでしょ! 私だって魔法が使えたら今こんな傷負ってないし、あんなデカいだけの蛇に負けたりなんかしないのよ! あんたなら出来るって思って言ったのよ! グズグズしてる暇があるなら一発二発試したらどうなの!?」



 それでもフィニは俯いたままだった。イーラはフィニの煮え切らない態度に舌打ちをする。

「私だって、白い目で見られてきたのよ。それでも前を向いてたの。逃げないできてんのよ」

 フィニから手を離し、イーラは岩陰から出て行った。

 フィニは自分の服を強く握りしめた。

 イーラは鼻息を荒くし、ギルベルトに近づくと力づくで長老を離した。

 長老に向かい合うと、イーラはありったけの力で長老の頬を殴り飛ばした。拳がめり込み大蛇の足元に投げ出された長老は呆然としてイーラを見つめた。


「ばっかじゃないの!?」


 イーラは肩を震わせて長老に吐き捨てた。

 エミリアがイーラを止めようと駆け出したが、ギルベルトがエミリアを足止めした。


「あんたの姉ひとりの為に何人死んだと思ってんのよ! あんたのそんな願いの為に何が犠牲になってると思ってんのよ! あんた長老でしょ! 里を治める偉い人なんでしょ! 悲しむなって言わないけどもう少し考えたらどうなのよ! どうしてお姉さんが犠牲になったのか! どうしてお姉さんがそういう行動をとったのか! そんなことも考えないで自己満足のために人を殺すな!」


 長老は歯を食いしばり、イーラの言葉を受け止めた。

 爪に食い込むほど土を握り、全身を震わせて「黙れ!」と声を荒らげた!


「お前には分かるまい! 愛しい人の最期をみた! 慕っていた人を犠牲にした辛さ! 心臓が抉れるような痛みをずっと抱えて生きてきたんだ! わしは姉を救ってようやく許されるのだ!」

「はぁ!? 愛しい人に死なれるなんて誰にでもあるわよ! まさか一人だけだとでと思ってたの!? 悲劇の主人公気取ってるけどあんたのやってる事は許されることじゃないのよ! 許されたいなら姉の意志を尊重しなさいよ!!」

「ぐっ·········!!」


 長老の悲痛な叫びさえ怒鳴り返し、イーラは尖った石を手に取った。

 大蛇に狙いを定め、思いっきり投げつけた。

 だが大蛇に大してダメージを与えられなかったばかりか尻尾に全身を叩きつけられる倍返しを受けた。

 空気の塊を吐き出し、声にならない悲鳴をあげて地面に倒れた。

 それでも軋む体を起こし、また近くの石を探す。

 ギルベルトがイーラの腕を引いたが、イーラは振り払って立ち向かおうとした。



「──冥府を統べる我らが神よ。契りを結びし人魂を、我が元に現し給え」



 聞き慣れない呪詛が聞こえた。

 皆が振り返ると、黒いローブが風にはためいていた。

 地面に描いた魔法陣の真ん中で、杖をつきひざまくのはフィニだった。

「嵐を彷徨う哀れな御霊みたま、深海に溺れる悲しき御霊、千切れた鎖を汝の力で結び直し給え」

 描かれた魔法陣は中心から淡い光を広げていく。

 フィニは汗を垂らしながら呪詛を紡いでいく。

 エミリアもギルベルトも、息を飲んだ。

 イーラはフィニの姿に胸を熱くした。


「我が血肉を以て神との契りを解き放たん!」


 魔法陣の光がいっそう強まった。

 大蛇は苦しそうにもがき出す。長老はオロオロとフィニと大蛇に交互に目をやった。


「────『神霊解離』!」


 フィニは杖で魔法陣を叩いた。

 大蛇は大きな悲鳴をあげると、炎のようなオーラを放ち、ひとつの光を切り離した。

 大蛇から離れたそれは魔法陣に入ると、人の形を成していく。

 白いワンピースに黒い髪。祈るように握られた両手を解き、女は辺りを見回した。


『······あれ? 私は──』


 女は大蛇の足元にいる長老を見ると、嬉しそうに微笑んだ。

『カイル! カイルじゃない!』

「ああ······姉さん」

 長老は目に涙をためて駆け寄った。

 女の透けた手を握り、ボロボロと泣き出した。

『あらあら、カイルったらおじいちゃんになっちゃって』

「姉さん、わしは、わしは姉さんを助けたくて」

『ええ知ってるわ。でも私はね、自分の意志で身を捧げたのよ』


 女は言った。

 あの時自分は長く生きられなかったのだと。

 祖母が身を捧げても、そのあとを追う形で亡くなっただろうと。

 それよりだったら自分が身を捧ぐ方がよっぽど幸せだと思っていたのだと。


 女は言った。

『皆に生きてて欲しかった。私より長生きして欲しかった』

 長老はその場に崩れて嗚咽をこぼす。

 エミリアは杖を抱いて頭を下げた。


「あなた様のおかげでわたくし達は今を生きられました。そのこころざし、その勇気、私達も見習いとうございますわ」


 女は笑ってエミリアの頭を撫でた。

 エミリアは一筋涙を流し、膝をついて尊敬の意を示した。

『私はもう用済みかな。カイル、元気に生きてちょうだいね』

「ね、姉さん! わしは姉さんと······」


『カイル、いつかまた逢えたならその時また遊びましょ。いつかまた命が巡り、また生を受けたならその時こそ、一緒に歳を重ねましょ』


 女はそう言って消えた。

 小さな光の粒は蛍のようで美しかった。

 エミリアは光の粒が月に届くまで見守った。

 ギルベルトは深くため息をつくと、大蛇を睨みつける。

 感動タイムはここで終わり。

 見ると、大蛇が奇声をあげて起き上がっていた。

 赤い瞳がこちらをじっと見つめていた。

 ギルベルトは再び草の実に火を灯し、大蛇に狙いを定めた。

 イーラは何が出来るでもないがカバンからひとつの薬瓶を出し、エミリアは杖を構え直した。


「神が里に仇なすならば、巫女の名を以て楽にしてあげますわ」


 エミリアは覚悟を口にし、月に大地に祈りを捧ぐ。

 大蛇は地面を削って襲いかかってきた。

 ギルベルトが草の実を放った。大蛇を貫き、破裂音が遅れて聞こえた。身を打ち砕かれた大蛇は失速し、血を垂れ流す。

 それでも首を伸ばした。鋭い歯牙をエミリアに突き立てようと。

「土よ、慈悲深き命の母よ、我が魔力を糧に恵みをもたらせ!悪しき神を屠る刃となれ!」

 エミリアは喉が裂けるのではと思うほど大きな声で詠唱した。

 杖を振り上げ、大地のエネルギーを最大限まで引き出した。

 砂が集まり圧縮される。硬い土から岩へと変わる。

 大蛇の口がすぐそこに迫った。



大地の鉄矛スピアー・オブ・ノーム!!」



 * * *





 鉄サビの匂いが鼻に入り、肺腑の奥まで染み込む。

 赤黒い粘り気のある液体が吐き気を起こさせる。

 全て終わったその光景は、視覚的に暴力を振るってきた。

 大蛇は岩に貫かれて息絶え、その目の前では頭から血を被ったエミリアが杖を抱いて祝詞を呟く。

 フィニは気絶し、ギルベルトは訳が分からず硬直していた。

 イーラは瓶を手にしたまま、呆然としていた。

 長老は泣き崩れて大蛇に土下座し、誰も何も理解出来ぬままに混沌とした時間が過ぎた。

 エミリアが静かに立ちあがり、血にまみれた姿のままで杖をひと振りした。


「母なる大地、恵みの土よ、枯れゆく命に温情を。消えゆく魂に慈しみを。失われた時を埋めるが如く、里に繁栄をもたらし給え」


 最後まで巫女の務めを果たし、彼女は力尽きてそのまま倒れた。

 慌てて駆け寄りエミリアを診察したが、ただ眠っただけだったのでイーラは安心した。

 ギルベルトがようやく動き出し状況を飲み込むと、長老の腕を掴み、エミリアを担いで里まで戻った。イーラもフィニを背負ってギルベルトの後ろを歩く。

 夜風がどこまでも吹き、窓を鳴らして消えていく。

 皆が寝静まった家の廊下でイーラは眠れぬままに時間を潰した。

 呼吸をするように月明かりが差し込んではまた暗くなる。寒くなっては暖かくなる。

 雲が流れる様子も草木が揺れる音もイーラを寝かせてはくれなかった。

 とても長い夜だった。





 日が昇った。井戸水で血を洗い、朝食を分けてもらって里を出た。

 まだ一日も経っていないのに、里は守り神が死んだ話で持ち切りだった。

 長老のエゴだった。神の暴走の果ての苦肉の策だった。旅人の八つ当たりだの巫女の乱心だのとある事無い事が囁かれる。

 結局イーラ達は『死霊魔術師デュラハンを連れた犯罪者』でエミリアは『神殺しの巫女』として囁かれていた。


「聖堂への旅は楽しそうですね。わたくし、少々ワクワクしてますわ」


 エミリアは落ち込んでいるかと思いきや、晴れ晴れとした表情で旅に同行していた。

「エミリアさん、そんなに元気になんなくていいわよ。そんなに大した旅じゃないもの」

「あら、そうですか?でも楽しんだ者勝ちとはよく言いますわ。せっかく巫女の務めから解放されたのだから楽しみたいんです」

「楽しいことは良いんだけどよォ、俺いつまで付き合わされんの?」

「すみません。僕のせいで下手に別行動出来なくなっちゃって······」

 土魔導師ノームが加わり、あとは聖堂に向かうだけ。イーラの旅はこれで終了かと思われた。だがエミリアの何気ない一言がイーラを凍りつかせた。



「ところで、あとの魔導師方はどうするつもりですの?」



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