第5話 邪神を崇める里

 


わたくしはエミリアと申します。仰る通り土魔導師ノームで、巫女をしてますわ」


 エミリアは先程の温厚な態度から打って変わって、真剣に話し始めた。

「来る時にも言いました通り、わたくしたちは農業を生業としてますの。長老様が価格や取引を取り締まり、民はそれに従ってあらゆる所に野菜や薬草を売っておりますわ」

「へぇ、じゃああなたは何をしてるのよ」

「巫女の主な仕事は大地の恩恵を引き出すことと、神様のお世話ですわ」

 イーラは嫌な予感がした。

 頭では否定しつつも、本能が確信していた。


「カミサマって、まさかあの大蛇じゃないでしょうね」


 テーブルの下から見た一角蛇の頭。血のように赤い瞳がまだ焼き付いていた。

 エミリアは険しい顔で頷いた。ギルベルトは面倒くさそうにため息をついた。

「あれは我が里の大事な守り神様ですわ。あの神様がいるからこそ、わたくしたちは栄えていた。神様を崇める祭りも、神様への祈りも、全て伝統に従って重宝しておりましたのに」

「そういやぁ、民の姿が見えなかったな。あの神さん恐れて閉じこもってんのか?」




「いや、もっと酷いと思います」




 ここでずっと黙っていたフィニが口を開いた。

 青ざめた顔でぼそぼそと話す。

「エミリアさんが立ち上がった時、泣き叫ぶ人達の声が聞こえたんです。『痛い』『怖い』『助けて』って、みっ、皆血まみれで···。その、テーブルの下から神様の姿が見えた時、あの蛇の体から、無数の腕が見えたんです。外に出ようともがいている腕が······」

「え? 腕?」

「そんなもん見えなかったぞ。·······って、まさか」

 ギルベルトは怒りを露わにしてエミリアに掴みかかった。

 エミリアに顔をぐっと近づけて脅すように言った。





「───生贄を、差し出したのか?」





 エミリアは悔しそうな表情を浮かべ、「仕方がなかったんです」と言った。


「10年前から里が荒れ始め、何をしても無駄でした。当時わたくし以外にいた巫女が占ったところ、神様がお怒りであると告げたのです。それから年に一度、生贄を差し出す習慣が生まれました。神の怒りを鎮めるための、長老様の苦渋の決断でしたわ」

「しかし二年前からまた里は荒れ始め、半年に一度、月に一度、半月に一度、週に一度と生贄を差し出すようになりました」

「最初は民を差し出しておりましたが、神の怒りは収まらず、里一番の土魔導師ノーム を出したりもしましたの。ですがそれでも神様は一向に鎮まる気配はなく、今や毎日贄を出す羽目に。わたくしは里を守ることで精一杯で、畑を潤わせるまで首が回らないのです」


 ギルベルトはまた面倒くさそうにため息をつく。

「殺しちまえよ。そんなもん」

 苛立ったような口調で言うと、エミリアは首を横に振る。

「あれでも里の守り神ですわ。殺すなんて、そんなとても恐ろしい真似は出来ませんわ」

「そう言って人が死んでくのを見て見ぬふりか? お前馬鹿じゃねーの? 月一に贄を出すようになってから気づけ。あんなもん単なる人喰い蛇だろ」

「里の神様をそう仰らないで下さる? わたくしたちはあの恩恵を得ていたんですのよ」



「その結果が民の無駄死にか? 里を守るので精一杯っつったな。民を見殺しにしてるクセに里守ってるなんて言ってんじゃねーよ!」



 ギルベルトの耳の痛くなる一言に、エミリアは口を閉ざした。

 ギルベルトも苛立ってテーブルを殴った。

 イーラは張り詰めた空気の中で、1冊の本を取り出した。


「私が読んでる異世界物語もね、大昔から神様を祀っていたのよ。神を崇め、大事にすることで神が人間に恵みを与えるって考えてたの。でもその未来では災害が起きても神様に贄を出すことはしないわ。神様も、大事にしてくれる人たちから無闇に命を欲しいと思わないでしょ」


 そのページをめくり、エミリアの前に差し出した。

 エミリアは黙っていた文字を目で追った。

 ギルベルトはエミリアに目を合わせず、腕を組んで言った。



「国はその土地に由縁があって出来るもんじゃねぇよ。人がいるから国が出来る。人がいるから土地が栄える。お前が守ってんのは里じゃねぇ。底の抜けたコップ。薄汚れた空っぽの箱なんだよ」



 エミリアは頭を抱え、困惑していた。

「どうしたらいいの? わたくしは、どうしたら───」



「さっき言ったろ。殺しちまえって」



 ギルベルトはそう言って立ちあがった。フィニもギルベルトの後ろをついて行った。

 エミリアはまだためらっていたが、イーラは本を袋に戻すとギルベルトの後ろをついて行った。



「本気で里を守るなら、何を失ってもいいって覚悟持ちなさいよ。アンタは神を崇めてないわ。恐れてるだけ」



 イーラは突き放すようなひと言を残した。

 人を喰うだけの蛇をまだ神だなどと言うエミリアに腹が立っていた。

 しかしその一言はエミリアの背中を押した。

 エミリアは立ち上がり、杖を持つとイーラと家を出た。

「もし本当に里を守れるなら、行きましょう。わたくしは慈愛を冠する土魔導師ノーム、ヴォイシュの巫女ですわ」

 決意を固めた瞳は夕日に当たってキラキラと輝く。イーラはエミリアの横顔にフッと笑いかけた。


 * * *


 夜になり、冷たい風が吹く。

 ざわめく木は葉を散らし、邪神の祠を目指すイーラたちに警鐘を鳴らした。

 祠に近づくにつれて風は強まり、近づく者を遠ざけようとしているようだ。

 エミリアは祠の前に立つと杖をつき、祠に傅いた。


「この地を守りし我らが神よ。長きに渡るお務めを果たしましたことをお慶び申し上げます。これより、守り神の重責より解き放たん」


 そう祈り、杖で地面を撫でた。土が命を受けたように動き出し、両のかいなとなると祠を握りつぶした。

 壊れた祠からは黄色く光る石が転がり落ちた。エミリアはそれを拾うと、愛おしそうに抱きしめてから踏みつけた。

 石は存外脆く砕け散り、風に乗って森へと消えた。


 イーラは不思議に思った。夕方に見たあの蛇はやたらと大きかった。あの神を退治するのがこんなに簡単なわけがない。

「ねぇ、フィニ······」

 フィニに話しかけると、青い顔で震えていた。

 ギルベルトもフィニの異変に気づくと「大丈夫か?」と背中をさする。

 フィニは「やめてください! もう言わないで!」と一人錯乱した。エミリアがイーラたちに振り向いた時、祠の裏からあの大蛇が姿を現した。


 赤い双眸がちっぽけな人間を睨む。月に照らされた角はより鋭さが際立つ。

 フィニは悲鳴をあげて腰を抜かした。ギルベルトはエミリアを押しのけ、近くの枝をもぎ取り大蛇に突き刺した。

 大蛇はギルベルトをちらっと見ると、長い尾でギルベルトを弾き飛ばした。

 エミリアは小さく悲鳴をあげてギルベルトの元へ行こうとしたが、大蛇が動き出したため応戦した。

 杖を振り、土の茨を呼び出すが大蛇の力の方が強く、あえなく崩れ去った。エミリアはすぐに大地の腕を創り、大蛇を足止めする。

 イーラはフィニを引っ張ってその場から離れた。草陰にフィニを投げ、「じっとしてて」と言い聞かせた。


 大蛇が威嚇した。その声だけでも鼓膜が破れそうなほど大きな音だった。エミリアがたまらず耳を塞ぐと、大蛇は巨体を引きずって里を目指した。


「行かせるか!」


 ギルベルトは走り出し、大蛇の前に立ちはだかった。

「おい! その草の実よこせ!」

 イーラは手をついて草むらを探し、固い実を見つけた。数個もぎ取り、ギルベルトに投げて渡した。ギルベルトはそれを受け取ると、火打石で火をつけた。燃え盛るその実を握り、熱を溜め込む。

 エミリアはギルベルトの後ろに回り、土の茨を空高く築き上げた。

「当たんねぇように気をつけろよ!」



 バァン!



 ギルベルトの注意の直後、飛び出した草の実が大蛇の腹を突き破った。

 大蛇が金切り声を上げて身をよじらせた。

 ギルベルトは狙いを定めて燃える草の実の高さを調節した。



 バァン!バァン!



 破裂音を残して草の実は大蛇に穴を開けていく。

 大蛇が大きく頭を振った。鋭い角がギルベルトを狙った。


「危ない!」


 イーラは咄嗟に飛び出した。ギルベルトを突き飛ばし、大蛇の角が顔を掠った。

 ゴリゴリッと骨を削る音がして、その直後に温かい液体が顔を流れた。




「キャアアア!」




 脳にまで響く耐え難い痛みと熱を帯びた傷。流れる血はぼたぼたと地面に水たまりを作り始めた。

 エミリアがイーラを抱え、草陰に隠した。

「大丈夫ですか? 薬は······」

 イーラのカバンを漁り、傷薬を探す。だが暗くてよく見えない。

 いくつか薬の瓶を見つけても、どれも傷薬には見えなかった。イーラはエミリアの手から瓶をひとつ受け取り、カバンの中の薬草を手探りで掴みだす。薬草を手でもみ、薬をかけ、傷に塗りつける。

「どうやって傷薬を見分けたんですの?」

「見分けてないわ。どっちも消炎作用しかないもの。でも薬草はすり潰せば止血剤にもなるの。傷薬より効果はないけど、痛いよりはマシ」

 エミリアはイーラに感心し、再び大蛇の前に立った。

 ギルベルトが軋む体にむち打って、最後の実を放とうとする。



「待て! 待ってくれ!」



 茨の隙間から枯れた腕が伸びた。エミリアが声の主に気がつくと、杖をひと振りして茨を解いた。

「長老様! 何故ここにいらっしゃったのです?!」

 エミリアを押しのけ、身を拗らせて痛みに耐える大蛇を哀れみ、長老はそっと大蛇を撫でた。

 すまない、と呟き、長老は大蛇を庇うように手を広げて立った。


「どうか殺さないでくれ。守り神は、この里には······大切な存在なのだ」


 イーラは傷を押さえて立ちあがった。

 毎日贄を捧げなくてはならない神が、里を荒廃させるだけの神が、どうして大事なのか理解できない。危機に陥ってもなお、崇める理由がどこにあるのか。どうしても理解出来なかった。


 雲に隠れた月が顔を出した。開けた視界に皆の顔が映る。

 その時、大蛇の頭の上に、祈りを捧げる少女が見えた。

 フィニは少女を見ると耳から手を離し、「あなたが······!!」と意味深なことを言った。

 長老は唇を震わせ、イーラたちに懇願する。



「この地を守りし神は、私の姉なのだ」



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