第3話 初っ端つまづく

 一晩が経った。

 イーラが起きると丸い窓の外は、葉についた雨粒が光を反射して幻想的な景色を生み出していた。

 ベッドから降り、そっとフィニの様子を見に行った。

 母の部屋を覗くと、ベッドの脇に座って眠っていた。首がカクカクと動いて安定しない。それでもバランスを取って眠っていた。──眠っているのか?


 イーラはそっとドアを閉めて旅支度を始めた。

 麻袋にお気に入りの本を一冊、実用薬学の本を二冊。必要そうな薬草を詰め、最後に母の手帳を入れた。

 荷造りが終わったところで部屋をノックされた。

「おはようございます······ふぁ〜、フィニアンれす」

 ドアを開けるとフィニが目を擦っていた。

「おはよう。よく眠れた?」

「はひ。ぐっすりと」

 ──嘘つけ。


「寝起きに悪いんだけど、世界樹の聖堂ってどうやっていくのかしら?」

 イーラは彼に聞くと、彼は眠そうに頭を振って答えた。

「えぇと、世界樹の聖堂というのは、魔導師のみが入ることの出来る聖堂で、正直僕とイルヴァーナさんでは入れません。死霊魔術師は『魔術』を使う者であって『魔法』ではありませんし。なにより禁忌魔術ですから」

「行けないのに行けっての?」

「僕もそう言ったんです。そしたら黙って消えました」

「じゃあどうやって行けばいいのよ」

 旅が始まる前に終わりそうな予感。だらだらと時間を使うわけにもいかず、お互いに思考を巡らせる。

 フィニが「あっ!」と手を叩いた。



「魔導師に頼ればいいんです!」



 確かに、魔導師しか入れないのなら魔導師を連れていけばいい。だがそれには問題がある。

 魔導師は世界を牛耳る存在で、気性も荒ければプライドも高いと聞く。弱者を守る立場である以上、話は聞くだろうが人の足元を見て決めるだろう。

「頼るにしても、どこに行けばいいのよ」

 イーラがため息をつくと、フィニが肩に手を置いた。


土魔導師ノームに頼りましょう。彼らは穏やかで優しいと聞きますから、きっと助けてくれますよ」


 フィニの提案に、イーラは少し考えてから頷いた。

 行き先が決まったところでフィニが荷造りをした。厚手の袋に黒いローブを詰め、イーラから薬局の薬を数種類もらって袋を閉めた。

 薬局の戸締りを確認し、休業のお知らせをドアに貼りつけた。

「よし、行きましょう」

「中に残した薬品って大丈夫ですかね。ドロボウとか」

「平気よ。貴重品は持ったし多少の知恵があっても扱えないわ」


 村を出て、北に歩いていく。

 のどかな農道をのんびりと歩くと、畑を耕す人や牛の世話をする人がこちらを見ていた。

 その視線にフィニは怯えながらイーラの後ろを歩く。

 何度も注がれる視線に耐えきれず、フィニはボソッとこぼした。

「ぼ、僕もしかして死霊魔術師デュラハンだって、バレてるんですかね」

 俯き目を固く瞑るフィニにイーラは前を向いて答えた。

「違うわよ。皆が見てんのは私」

 イーラは睨むように彼らを見た。そそくさと仕事に戻ると、鼻を鳴らして堂々と通り過ぎた。


 * * *


 商人の街──メルッザ


 大通りには露店が並び、皆大声で客引きをする。

 色鮮やかな反物、貴重な石で作ったアクセサリー、滅多に取引できないものを並べた店もあり、数多の人でごった返していた。

 フィニは目を輝かせて露店を目に焼きつける。イーラは何度も立ち止まるフィニの腕を掴んで街中を進んで行った。


 街の中心から外れた馬車の乗合所。

 次の馬車の時間を確認し、受付で切符を発行してもらう。

 受付の男はイーラを見ると、「久しぶりだな」と声をかけた。イーラは嫌そうに「どうも」と返した。

 男は切符を発行すると行先に首を傾げた。

「イーラ、土魔導師ノームの里に行くなんてどうしたんだ。しかも二人分じゃないか」

「特別な薬材が無くなったのよ。ここでもないっていうから直接買いにいくだけ。知り合いの薬師見習いのお守りつきで」

 イーラは聖堂に行くとは言わなかった。笑われるのを知っていたからでもあり、場合によっては連れが死霊魔術師デュラハンであることがバレるのを恐れたからだ。

 男は納得すると切符を渡した。

「最近あの里は荒れてるって聞いたぞ。魔物に喰われんように気をつけろよ。まあ、お前ならぱぱっと倒せるだろうけど」

 イーラに最高の嫌味を言って笑った。イーラはポケットから銀貨を出し、こっそり薬を塗りこんで男に渡した。

「馬鹿にすると痛い目みるわよ」

「カリカリすんなよ」

 フィニのもとに戻り、切符を渡す。イーラは側にあった地図を開き、行き先の確認をした。


「今はメルッザの街にいるから、ここから馬車に乗って西に行けば着くわ」

「······でも森を抜けるじゃないですか。最近魔物の目撃情報が相次いでますけど」

「そうね。でも一番近いのはこの道だし、迂回したところで出るときゃ出るし」

「や、やっぱ出るんですか?」

「あんたホントに男よね。しっかりしなさいよ」


 馬車が来るのは三十分後。

 二人の間で沈黙が続いた。乗合所は馬車を待つ人や降りてきた人が行き来する。目の前の椅子で寝ている人以外は忙しなく動いていた。

 何を話すでもないまま待っていたが、予定時刻を過ぎても馬車は来ない。

 今まででも時間がズレることはあったが一時間も遅れたことはない。

 イーラは受付の男に聞いた。

「ねぇ、馬車が来ないけど。今日は誰が馬車引いてるの?」

「知ってんだろ。アグリアスじーさんだよ」

「アグリさん···おかしいわ。アグリさんなら遅れることはないのに」

 ふと先ほどのフィニの言葉が脳裏をよぎった。



『最近魔物の目撃情報が相次いでますけど』



 イーラは乗合所を飛び出し、森の方へ走り出した。

 後ろでフィニが呼び止めても聞かなかった。

 足をめちゃくちゃに動かしてアグリさんを探した。

 道が険しくなってきた。大きな石が転がる森で、イーラはアグリさんの名前を呼んだ。

「アグリさーん!いるのー?」

 呼び続けていると、離れたところから悲鳴が聞こえた。

 声を辿ると、狼に襲われている老人を見つけた。

「アグリさん······!!」


 イーラは咄嗟に落ちていた石を拾って投げた。

 狼には当たらなかったものの、気を引くことは出来た。だがそのあとどうするかなんて、イーラは考えていなかった。

 唸り声を上げにじり寄る狼にイーラは足を震わせた。

 ヨダレを垂らして襲いかかる狼にイーラは目を閉じてしゃがんだ。だが狼は遠くに飛ばされていた。



「おいガキ。森に一人で入ったら危ねぇだろ」



 振り返ると、乗合所で眠りこけていた男の姿があった。蹴りを放った足を下げ、あくびをした。その後ろにはフィニもいる。

「す、すみません。その、この人がついてきてくれて」

 男は近くの木の枝をもぎ取ると、ポケットから火打石を出して火をつけた。

 火のついた枝を振り回して狼を追い払い、狼がいなくなると枝を踏みつぶして火を消した。

「じーさん怪我してんな。早いとこ治さねぇと死ぬんじゃねぇの?」

 イーラは我に返ってカバンから薬を出した。慣れた手つきで薬を塗り、傷口を覆う。

 フィニはオロオロして、男は感心していた。

 治療が終わるとアグリさんは「申し訳ない」と頭を下げた。

「急いだんだが、突然狼が現れて逃げきれずにこの体たらくだ。皆に迷惑をかけてしまった」

「いいわよ。アグリさんが無事ならそれで」


「つーかさぁ」


 男はあたりをキョロキョロして話す。まだ警戒しているようだった。


「今は狼で済んで良かったけどよぉ。さっさと街に帰んねぇとホントに魔物出ちまうぞ」


 フィニは小さく悲鳴を上げて荷物を握った。イーラはアグリを馬車に乗せ、馬を引いて街まで帰った。


 * * *


 乗合所はアグリさんの怪我で騒がしくなった。

 馬車も運行予定がなくなり、結局切符は返金になった。

「ど、どうしましょう。これで里に行けなくなっちゃいましたが」

「馬車がないと時間がかかるわね。でも一日待つのも嫌よ」

 イーラとフィニは乗合所の隅でコソコソと相談する。

 ここまで来て「残念でした」なんて帰る気もなく、一日どこかに泊まる金もない。

 イーラが眉間にシワを寄せて考えていると上から声が降ってきた。



「ついてってやろーか」



 見上げるとさっきの男がいた。ぼさぼさに伸びた黒い髪を垂らして言った。

「聞いちまって悪ぃんだけど、あの里に行きてぇ理由があんだろ?ならついてってやるよ。里までだけどな。だいたい魔物が出てもお前らナイフすら持ってねぇじゃねぇか。退治できる人間がいた方がいいだろ」

 男はあくびをしながらイーラの返答を待った。

 イーラは男をじろじろと見てフィニに目配せした。

「どーする?」と視線で問われ、フィニは首を縦に振った。

「さっき助けてくれましたし、多分、悪い人ではないかと」

 そう言われ、イーラは「お願いするわ」と握手を求めた。

 男は差し出された手を叩き、「よし」と歯を見せて笑った。


「俺はギルベルト・シュヴァイン。よろしくな」

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