第5話 「故郷の空にて」⑧
今回の一手で、獣から引き抜くべき力を見極める必要がある。
牙か爪か、はたまたそれらを動かす脳か――そんな思いを抱いてナルティアル本社の扉を叩いたダインとローラは、こうして今応接室に通され、そしてフーレと顔を合わせている。
「――――」
シプセルスの情報だけを知られているのは不公平だ、という各所からの声に、彼女はすぐさまナルティアルが創り上げた飛雲機の資料を開示した。
ゆえに『フィラエナ』と言う名前やその形状、機体特徴も分かっていたのだが――今現在、二人の前に広げられているデータの膨大さは、それらが単なる氷山の一角だった事を明示している。
どうして隠していたのか、と彼女を問い詰めたい衝動にかられるが「この分はレーヴェス家で私が出していたシプセルスの情報と同価値――つまり、あくまで『公平』に開示したまでです」とでも返されるのが関の山だろう。貴方がたの力をもってすればさらなる調べも可能だったでしょうに、と付け加えられ、藪蛇となる可能性も高い。
「今になって、だけど……貴方がどうしてシプセルスを『道楽品』と呼んだか、分かって来たように思えます。フィラエナとは、つまり――」
夫と同じくデータに眼を通し、時折手に取りながら呟くローラ。
「ええ。我がフィラエナと、シプセルス――両機の基本ラインには、結果論とは言え、多少なりとも似通った構造とテーマが存在しています。『新たなる空』を呼び込む可能性こそ、両機に共通しているもの……行使されるべきの、力です」
だと言うのに――そう続けるフーレの表情に、険しさと厳しさがじわじわと付加されてゆく。
「『空飛ぶ魚(シプセルス)』の翼は結局、空の表面を撫でさするだけで、当時のクラウダーやギルドを騒がせるのみに留まる。そして今をもってすら、単に一機の変り種な飛雲機として、そこに在るのみではないですか。あの力を上手く使っていれば、それこそ飛雲機と飛行機の世界に変革を呼び込む事すら出来ると言うのに――当時、カヤの外でどれほど私たちが歯痒さに身を軋ませていたか、言葉だけの説明では恐らく分かっていただけないでしょう」
激情を、否定はできない。
ある意味、飛雲機と飛行機の狭間に生みだされたと言えるシプセルスに、ナルティアル側が『両部門間の橋渡しと相互活性、それに伴う利益』を期待していた事は容易に推し量れる。
その思いを裏切られたと痛感した時、彼らの落胆と憤懣(ふんまん)はいかほどであったか。「所詮、勝手に皮算用を行っただけではないか」と、今になって揶揄するのみなら簡単な事だが――
「ゆえに、私たちはこれまで培った新世代の力を用い、今在る定められた空への明確な対抗を表明します。だからこその『フィラエナ』――そして、それに備わる機構『ストリーム』です」
『…………』
空に抗う――フィラエナの定義を地上でフーレが口にし、ダインやローラと話し合っていた頃。
当の黒い翼は彼女の言葉を体現するかのごとく、遥か上空の雲取り場にて比類無きフライトを行い続けていた。
「――っ!?」
カイトのみならず、その雲取り場にいたクラウダー達が一斉に瞠目する。言葉を失う者、「無茶苦茶だ」とわめく者、自分の目を疑う者……彼らの視界の中に等しく、フィラエナの軌道とその只中で確実に減って行くマテリアルが映り込んでいた。
仮にその軌跡を辿って一本の線を引いた場合、それは雲取り場の外枠ぎりぎりにまで及び――そして、いともたやすく突き破ってしまう。
普通の飛雲機ならば、機体に纏わり付く大量の水蒸気と視界ゼロの状態が合わさって、いくらナビの助力があろうとも基本的に速度任せで突っ切って行くだけの場所――そんな所を、フィラエナはまるで雲取り場と変わらぬかのように飛行し、そしてまた雲を突き破って雲取り場へ入り、マテリアルへと向かって行く。
この時、先程カイトが『変な形』と形容した極端な雲のたなびきが、黒翼を追いかけるが如く、その後方に生み出されていた。
雲取り場の内に渦巻く気流と、その外側や雲の隙間を走り抜ける気流。内と外の流れは両者の狭間に壁を生み出し、飛雲機はそれに沿って雲取りを行うのがセオリー。だが、フィラエナの動きは、それに真っ向から衝突し、抗い、そして破り抜けている。
湾曲した翼による抵抗の減少と双発プロペラを勢い良く回すエンジンの強さ、二つの要素が過不足無く融合してこその飛行だった。
「――好き勝手、暴れ回ってやがる……」
好きになれない飛び方だ、とカイトは苦虫を噛み潰す。
力強い飛雲機である事は認めるし、そんな力を振り回している乗り手の腕も相当だろう。だが、自分が知る限りのクラウダーだったら、あんな粗い飛び方は普通しない。
何より――
「――くっ!」
操縦桿を捻った刹那、キャノピーをがたがたと風圧が揺らす。
フィラエナの飛行コースを追いかける形で湾曲翼が大気を激しくかく拌し、乱雑に予測外の風を散らばせているのだ。
他の飛雲機たちも大なり小なりその力――『ストリーム(奔流)』の影響を受けていた。結果、フィラエナが力づくで他者を押し退け、採取される筈のマテリアルを横からかっさらう形になっている。
一概にその飛行を「否」と断じる事は出来ないが……それにしても、あれが果たして、真っ当な飛雲機乗りのやり方なのか。
「空賊じゃあるまいし……ったく」
カイトの苦い呟き。
と、刹那、その耳にハルカの悲鳴じみた声が突き刺さる。
「カイト、まずいよ! フィラエナの飛び方が、雲取り場の均衡を……!」
雲を散らし、気流を乱し、風を起こして暴れ馬のごとき飛行を続けるフィラエナ。空中に浮かんでいるマテリアルにしても、その影響から逃れる事はかなわない。
気流に流され、空晶があちらこちらへと忙しなく動き回った結果――場のバランスは均衡を保てなくなっていく。
そして――
「いけない、崩れる!」
その行為の果てに訪れたのは、雲崩れ(クラウド・ブレイク)という現象。
雲取り場に大量の雲が流入し、周囲一帯の景色が一気に白色に塗り替えられてしまう。
「くっそぉ――元凶は、手前かぁっ!」
雲取り場の規模がそれほど大きいものでなく、加えて均衡の破れ方がじわじわと迫って来るものだった為、その場にいた全ての飛雲機に逃げ出す時間の猶予はあった。
だがそもそも、こういった事態を起こしてしまうようなクラウダーは「恥ずべき存在」とみなされ、同業者たちから負の感情に塗れた視線を浴びるのが常である。
カイトもまた、その例外ではない。
「あの、野郎……っ!」
マテリアル採取は自分達の生活に直接関わるものであり、クラウダーのステータスにおいて重要な項目の一つ。
ふつふつと湧き上がる怒りのままに、フィラエナの飛び去った方向めがけて喉の奥より叫びをぶちまけていた。
「ナルティアルの連中、馬鹿か!? どこの誰を引っ張って来て、あんな飛雲機に乗せたんだ……!?」
操縦桿を引き上げ、まるで洪水よろしく雲取り場に流れ込んで来る白色の波を直下に、シプセルスはぐんぐんと高度を上げて行く。
「カイト、ちょっと。ねえ、どこへ行くつもり?」
「決まっているだろ、そんなの! このまま上がって――」
「フィラエナを追おうって言うの? どうして、何の為に?」
聞くまでもないだろ、とカイトは通信機に叫ぼうとする。
だが、その直前の「どうして」というハルカの問いかけに対して、少年の心情は何一つ明確な答えを返せない。程度の低い、ごく私的な恨み事しか出てこない。
途端、叫びは喉の直前で押し留められ、怒りで煮え上がった精神が急速に冷えて行く。
「――あ――、俺……」
「カイト。怒る気持ちは、私も凄く良く分かる。あのクラウダーに一体どんなナビが付いているんだろう、って思うだけで、私も頭に血が昇る」
そんなハルカの通信は、語る内容と対照的に酷く事務的な、淡々とした調子で紡がれる。だが、息継ぎの合間に差し込まれる声の震えなどが、彼女の声無き鋭い怒りを雄弁に物語っていた。
「負けたくない、勝ちたい。この空を明け渡したくない、あんな翼に好き放題なんかさせたくない。……その為に、私たちはどうする? カイト、私たちはどうしたら良い?」
「……、……冷静に、相手を見る。自分を省みる。落ち着くまで深呼吸したら、頭を回して的確な考えを導き出す……」
「――だね。じゃあ、何回か深呼吸」
肩を上下させ、動作に合わせて息を吸い、吐く。繰り返す過程で、カイトの息とハルカの息が同じタイミングへと合わさって行く。
数回繰り返した頃、二人の頭に昇っていた無用な熱はすっかり冷めあがり、心拍も平常値へと戻っていた。
「……現状を再確認するね。今は午前十時四十五分、残り時間は四十五分。シプセルスのマテリアルは一一〇st、フィラエナは一三四st。雲崩れがあったから、思ったほど差は空いていないよ」
「雲取り場は、他にどこが?」
「近いところだと、西北西44と南西12。フィラエナは後者に向かっているみたいだけど……場の規模は前者の方が上。シプセルスの最大速度に『ウィング』を合わせて突っ込めば、計算では向こうの採取量を上回れる」
「ごく短距離での使用、か――了解、備えておくからタイミングを教えてくれ。……ありがとうハルカ、抑えてくれて」
「うん――ほんと言うと、カイトが先に怒り始めていたから、こっちがタイミング逃してただけなんだ。ま、それで私が冷静になれたのも事実だけどね。……カイト、どうせ怒るんだったら、熱を上げるだけじゃ駄目。シプセルスを動かす力に変えちゃおう」
「そうだよな――クラウダーたるもの、翼と雲取りで自分を語れなきゃ失格だ。改めて頼むぜ、ナビパートナー」
「うん、頼まれました。これからも、絶対に支え続けるからね」
そして二人は、再び前を見据える。
ハルカが情報を取捨選択し、伝え、カイトがそれに応えてシプセルスを動かしていく。
挙動のあちらこちらにいまだ拙さや未熟さを見せながらも、そこにはクラウダーとして、ナビとして、有るべき一つの形が確かに存在していた。
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