第5話 「故郷の空にて」⑨

 一秒一秒確実に、刻々と時は重ねられ――午前十一時十五分。

 残り時間が後十五分というところで、シプセルスとフィラエナは揃ったように、再び同じ雲取り場へと突っ込んで行った。

「シプセルスが二〇九st、フィラエナが二〇〇st……! 気を抜けばすぐに追い抜かれるよ!」

「分かってる! どのみち、この雲取り場で勝負は決まりだ!」

 形成されて間もない事と、気付けばラムーニアより大分距離が離れてしまった事が相まって、この雲取り場内を飛んでいるのはシプセルスとフィラエナの二機のみ。

 故に、両機の操縦席より相手の動きもはっきりと見えるのだが――カイトの視界に映り込む黒色黄線の機体は、いつしかあの雲崩れを引き起こした操縦の面影をろくに感じさせないような軌道となって、中空に乱流の線を引いていた。

 ごく短時間のうちに己が欠点と飛雲機の性能をきちんと把握し、的確に修正を加えて行ったのだろうが、それにしても並の早さでは無い。

「――――」

 本当に、一体どんな奴があの機体を操っているのだろうか。胸中の呟きに込められたカイトの心情には、相手の力を認めた事による、誤魔化しようのない驚嘆があった。

 そんなフィラエナが、自ら創り上げた気流の渦に翼を躍らせ、その勢いを付けて急激にコーナリング。十度前後の持ち上がり傾斜を保ったまま、斜め下よりシプセルスの鼻面めがけて突っ込んで来た。

「あいつ――」

「カイト、機首を!」

 ハルカのナビと同時、操縦桿を握った手が動いていた。

 フィラエナの狙いは、気流の乱れで生じる風にシプセルスの翼を巻き込む事。喰らい方によっては、速度と狙いが大きく殺されてしまう。

 考えられる対策としては、二つ――一刻も早く逃げるか、速度重視の性能を信じて乱流を切り抜けるか。

 二人の選択は、後者だった。

「負けるな、突き抜けろっ!」

 機首を僅かに下げ、フィラエナとほぼ真正面から向かい合う形を取って、シプセルスがブーストを点火。

 距離の縮まり方が一瞬なら、交差もほんの一瞬――シプセルスの後方から噴出した青色の飛沫が、上下真二つに切り裂かれた奔流へと巻き込まれ、四方八方へと飛び

散らばって姿を消していった。

「速度は――少し落ちたけど、許容範囲! フィラエナはきっとまた仕掛けてくるよ、油断しないで!」

「了解っ!」

 ハルカの予測に違わず、それから短い時間の中で、シプセルスとフィラエナは幾度も幾度も様々な方向より近接し、ニアミス交差を繰り返す事となる。

 真正面からであれば前述の結果とも成り得るが、突入の度、微妙に傾斜角度や速度を変更していくフィラエナに、シプセルスが対応しきれなかった事もしばしば。

 コースを乱されつつもカイトは操縦桿をへし折ろうかという勢いで曲げ、危ういながらも機体のコントロールを保ち続けていた。

「…………っ!」

 お互いが交錯する瞬間に放たれるエネルギーは、さながら爆弾のごとくびりびりと轟音を響かせ、雲取り場全体を引っ切り無しに震わせる。

 その只中で、少しずつ、だか確実に減ってゆく残り時間。

 両機のマテリアル採取量は今までと同じく拮抗が続いているが、現在の雲取り場に残っている採取可能なマテリアル量も、残すところあと僅かになっていた。

 タイムリミットまで――残り、二〇〇秒。

「カイト!」

 ハルカの叫びに耳朶を打たれ、反射的にフィラエナへと視線を送るカイト。

 彼の視界に映った黒色の飛雲機はそこで、もはや何度目か分からぬ外枠ぎりぎりまで膨らんだ飛行コースを取り続けている。

 挙動だけを見れば、その動きは今までの反復とも言えるものだが、

「――速い」

 コーナリングの途中でありながらも、フィラエナの速度が一向に落ちない。

 こちらとのぶつかり合いを経る過程で、さらに細かな部分まで機体の癖を把握し、コントロール可能なぎりぎりの領域まで踏みこもうとしている。

 ぞわり、と全身に走る戦慄の鳥肌を知覚して、カイトは操縦桿を握る手に力を込めた。

「来るよ! シプセルスの斜め下五〇度後方、少しだけ残ったマテリアルを狙ってる!」

「ああ、まとめて吹っ飛ばす積もりなんだろうな。……けど、こっちも当たりを付けた!」

 フィラエナ、シプセルス、そして勝敗を左右する程度の採取可能マテリアル群――全てを一つの直線に結ぶ位置に、起点となる黒翼が後わずかで至ろうとしている。

 牙を剥き、爪を突き立て、急所を食い破ろうとする一匹の獣が、獲物に飛び掛るその瞬間を待ち受けている。

 しかしそれは、シプセルスにもまた言える事。カイトの視界は、前述の直線を突き破り、叩き壊した先――フィラエナの軌跡を越えた所に散在している、小規模のマテリアル群に吸い寄せられていた。

 乱流の中を通り抜け、その上で逃さず採取に成功出来れば、勝負は確実に決まる。

「奴もこれで決めにくる。ハルカ、今の状態から『ウィング』をどこまで使い続けられるか、計算できるか?」

「採取量と差し引きして、なおかつ勝てるタイミング――ね。今やっているけど、かなりぎりぎりになると思うよ」

「一stでもこっちが上回れば良い。そこからは、俺がどれだけ巧く動かせるか――だ」

「うん、そっちは信じてる。……よし、何とか計算終わり! 向こうも動き出すよ!」

 見ると、フィラエナの旋回が今まさに終了しようとしていた。

 機体がぐらりと小さく傾き、慣性によってローリングを行うや、その軌道は緩やかな曲線から鋭い直線へと見る間に変化して行く。

 複雑な湾曲によって巻き起こる奔流は、増幅される速度と先程の回転に伴ってより一層強く、激しく。

 その真後ろにあった雲の壁が一際大きな揺らめきを見せ、凹凸を形作り――そして、ささくれ立つ壁の隅から伸びた一筋の白色が、長い尾を引いて乱流の只中へと吸い込まれ始める。

「…………!」

 息を呑むカイト。

 吸い込まれた筋を起点とし、フィラエナの軌道を追いかけるようにして、次から次へと雲が巻き込まれ――それはあたかも、雲取り場の蒼を引き裂く白い竜巻となって、黒い翼を先頭に、シプセルスへと襲い掛かって行った。

「頼むぞ、ハルカ……!」

 迫力に呑まれかける。

 眼前の現象が偶然か否かはともかく、竜巻が起きるほどの奔流をまともに喰らえば、本当に吹っ飛ばされてしまう可能性が高い。鼓膜と手元の神経を研ぎ澄ませて、カイトはパートナーの指示をじっと待つ。

「……カウント、7! 6! 5、4、3――」

 奔流を引き連れ、フィラエナが迫る。

 あと少し近付けば、相手の操縦席すら目視出来る距離へと至る。カタカタとキャノピーに振動が走り、緊張と恐怖を煽る。

 だが――そんなものに、構ってはいられない。今この瞬間、抱く思いは只一つ。

 ナビを信じ、自分の力を信じ、その先にある勝利を、信じる……!

「2、1、――Go!」

「『ウィング』――展開っっ!」

 叫ぶと同時、カイトは握っていた操縦席側面のレバーを渾身の勢いで押し出し、一気に前方へスライドさせた。

 機械仕掛けの飛び魚が覚醒を始め、二段目の不可視翼に命の火を灯す。

 双翼の両端からマテリアルのエネルギーが凄まじい力を伴って噴出し、蒼色の輝きを放つ光の翼をそこに出現させていた。

「――ぐ――ぅ!」

「残量カウント、7! ゼロになった瞬間にカット、くれぐれも忘れないで!」

 瞬間的なGによって体内の血流が動きを見出し、凄まじい力でシートに押し付けられた事と加わって、視界の中をぐらぐらとさざ波が走る。

 息を整える事すらも意識の脇へと追いやって、カイトは通信機から聞こえて来るカウントだけに耳を澄ませた。

「5――、」

 ――眩い輝きの蒼銀と、白い渦の黒黄。

 二つの翼が刹那を待たず雲取り場の中空を走り、接近し、距離を詰め、――交差する。

「4――、」

 シプセルスを覆い尽くす風は、文字通り渦を巻いて荒れ狂う白色の奔流。

 操縦席が丸ごと吹っ飛んでしまいそうな振動と内外問わず耳朶を打つ轟音の中、カイトは集中の度合いをさらに高めてナビの声を必死で拾う。

「3――、2――、」

 翼が、機体が悲鳴を上げる。耐えてくれ、頑張ってくれと若きクラウダーは願いを繰り返しながら、『ウィング』のエネルギーを切断する準備に入った。

 もしこれで、設定コースのずれが出ていたら。速度が予想以上に落ち、竜巻に呑み込まれでもしたら――放っておけばとめどなく湧き上がる不安を振り払い、自らもナビの声に合わせてカウントを行い始めるカイト。

 ――そして。

「――1――、――Cut!」

「っ!」


 それは、時間にして一秒強を数える程度の、ごくごく短時間の出来事だった。

 シプセルスとフィラエナが一メートルに満たない隙間を開けて、共に背面飛行でニアミスした直後、今度は『ウィング』の光翼が『ストリーム』の竜巻と接触したのである。

 両者の放つエネルギーは、共に他の飛雲機すら押し退けてしまえる程の強力なもの。その二つがまともに激突し合った事で、雲取り場の中は大型爆弾の破裂がごとく大気が震え、瞬間、文字通りの爆音に覆い尽くされた。

 白の竜巻に食い込む蒼き刃は、奔流の勢いを強烈に受けて一瞬動きを止めてしまう。

 もしもそこで、機体を揺るがし続ける振動にカイトがためらいを感じていれば、フィラエナの勝利は確定していたであろうが――しかし、次の瞬間。

 一振りの巨刃となったシプセルスは、一気にその身を押し進め、竜巻の芯を突き破り、そして……白渦をその下側から斜め上側へと、逆袈裟に切り裂いていった。

 外部からの干渉によって、ただでさえ危うかった均衡を急激に、著しく乱される奔流。エネルギーの開放される先を求めて暴れまわる風は、両機のぶつかり合いが生み出していた大気の振動に乗って、シプセルスとフィラエナへそれぞれ向かって行く。

 その時――シプセルスの『ウィング』、残りカウントは、一。

 瞬間的とは言え、数多の飛雲機に勝る速度を叩き出していた翼は――乱流の欠片に翼端を絡め取られ、ガクリと速度を落として行くフィラエナを下目に、スピードとコースを保ったまま上昇を継続していた。

 襲い来る気流の牙を振り払い、蒼く輝く勝利へと向かって、真っ直ぐに突き進んでいったのである。


 ――雲取り時間、終了。

 シプセルスのマテリアル採取量、二五九st。

 フィラエナの採取量……二五一st。


 終盤にて意図せぬ態勢の立て直しを余儀なくされ、コンマ数秒のタイムロスに見舞われたフィラエナが、九st程度のマテリアルを取りこぼした――その、結果だった。

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