第5話 「故郷の空にて」⑦
「そろそろ、上空(うえ)でかち合ってる頃だね」
レナの推測に対するフォートの返答は、首を縦に振るのみだった。
クラウダーギルドの待合室、その傍らに設けられた長椅子の一角に腰を掛け、弟子の心配をする師匠二人。
互いの顔には、拭えぬ不安のざわめきが張り付く。
何かあったら必ず、即刻で連絡を寄越す事――そんな心配の言葉を妹の背中に投げかけて、気付けば既に二十分以上を刻んでいた。
フォートにならって励ましの言葉にしておくべきだったか、とレナは小さな後悔を胸中に灯す。
彼女が視線だけをちらと動かすと、先程ハルカが入って行った部屋……「Free Navigate Room」の表札が扉の上で鈍い銅の輝きを放っていた。
「狭いんだよな、あの中」
過去の思い出を脳裏に巡らせ、レナは呟きを口に出す。
「ナビコンのデスク一つに椅子一つ、そこにナビ一人が入ったら、後は四方が分厚い防音壁だ」
「大部屋をいくつかに区切って、そのスペース内にナビコンと椅子を放り込んでいる感じだからね。……いつもと違う環境だけど、二人の力が発揮される事を祈るばかりだ」
「――うん」
頷く一方、レナの視線は壁掛け時計へと移る。
現在時刻は九時二十六分、雲取り勝負が始まるまで後四分。勝敗が決定する二時間後、ハルカがナビルームより姿を現したら、まず何よりも笑顔で迎えてやろう――心にそう決める彼女は、一つ小さく息を吐いて椅子上で姿勢を正した。
片や、フォートも。己を慕ってくれる弟子たちの近くにいてやれない、そんなやるせなさを歯噛みに押し隠す。
もしもまだどこかの空にいるのならば、どうか自分たちに代わって二人を見守っていて欲しい……今や雲上の存在である、自らの両親やかつての同胞たちに、彼は胸中でそんな言葉を投げかけていた。
――そして。
「三、二、一、――スタート!」
九時三十分ジャスト。
ハルカの宣言に、身体は素早い反応を示してくれた。起動ブーストに点火したシプセルスは駆動音を唸らせるや、マテリアル採取に適した速度へと到達。
蒼色の飛沫を後方に引いて、白い海の中を駆け抜けて行く。
「カウント5で方向4、速度そのまま2―1―5! 時間はあまり多くない、近場から攻めて行こう!」
「了解!」
ナビゲートに従い、方向を調整したシプセルスは細長い機首を最寄りの雲取り場へと向ける。
ラムーニアの上空はルーセスのそれに比べてマテリアルの量と規模がいささか少なく、ゆえにうかつな取りこぼしは許されない。十一時三十分までの二時間で、マテリアルをより多く採取したほうが勝者――この他に条件が無いのであれば、なおさらの事である。
「奴は――どこだ? こっちからじゃ確認出来ない」
「近場にあった別の雲取り場に入っていくみたい。今日のマテリアルの発生状況から見て……真っ向勝負は、早いうちになると思う」
「分かった。向こうに動きがあったら、すぐに頼む」
言葉を切った直後、カイトの視界が白から蒼へと塗りたくられ、飛雲機の雲取り場突入を告げた。
場の広さランクは中の下、自分の他に飛んでいる機体はおよそ十。切り込んでいかなければ、効率の良い採取は見込めない状況である。
「――っ!」
奥歯をかみ締め、カイトはスロットルを叩き込んだ。
「…………」
同じ頃。
ジンクやフレア、レナやフォートと同じく、地上から年若き二人に思いを馳せる老人が、邸宅の二階バルコニーで専用の椅子に腰掛けていた。
「先程から、随分と屋敷の中が浮ついておるの」
「恐らく皆、空の事が気になっているのでしょう。今日が勝負の日である、という話は、既に屋敷内の誰もが知る所ですから」
ヴォルトと会話を交わすのは、彼の傍に直立不動で控えている丸眼鏡のメイドである。
後ろで束ねた長髪に乱れは無く、その下で保たれている静かな面持ちは、マーナフの所作を凌駕して板に付いている。彼女――シルト・キュエリアが『婦長』と畏敬の念を持って呼ばれる、数限りなく有るゆえんの一つだった。
「気持ちは分からんでもないが、急な来客を迎えんとも限らん。今一度、気を引き締め直しておくよう頼むぞ」
承知いたしました、と頭を下げるシルトのお辞儀は、定規で測ったかのごとく、正確に四十五度の角度を保っていた。そんな所作は彼女に取って何の変哲も無いものなのだろう、ヴォルトの視線はほとんど動かず白空に定まっており、
「――む」
皺を数多刻んだ顔の上で、片の眉がぴくりと震える。
老いてなお眼鏡を必要としないその眼は、広大な白面の一角に不自然なざわめき
を見て取るのだった。
「ブレイクしたって!?」
「小規模なものだけど、間違いない! あの飛雲機、一体何を……!?」
十時五分。勝負開始から三十五分が経過し、機内のマテリアル採取量は六五stに達している。
そんな中、カイトは通信で「フィラエナのいた区域で小さな雲崩れが起こった」とハルカからの報告を聞いていた。
「奴の位置は!?」
「……正面、斜め上! 目の前の雲取り場に入って来るよ!」
フィラエナのクラウダーも、こちらの位置には気付いている筈。ここで真っ向勝負か、と、二人は続けざまに緊張の唾をごくりと飲み込む。
「雲取り場に突っ込む!」
「他の雲取り場――サーチとマーキング、OK! 遠慮なく、目の前のマテリアルに集中して!」
一つの雲取り場から別の雲取り場へと移動する間、当然ながら雲の中を突き進む事で、キャノピー越しの視界はほとんどが白一色に覆われる。その色が再び蒼に取って代わると言う事は――言うなれば、雲の通路が終了し、雲取り場間の移動が終わった証。
そして、ほぼ同時。マテリアルの光を受けて、その蒼に彩られている雲取り場の外枠が勢い良く突き破られ――黒と黄のカラーを備える飛雲機が、同じ舞台へと出現する。
両の機体はほぼ同時に舵を切り、その身をマテリアルの群中へと躍らせる。
その様子がナビコンの三次元モニターに映し出される最中、通信機の向こうから聞こえて来たカイトの声――もとい、息を呑む音に、ハルカは妙な感覚を覚える。
「――――っ、」
「? どうかした?」
「あ、いや……なんだろ、あれ――」
「何? お願い、視認した情報はすぐに伝え、」
ハルカの声はそこで一旦途切れ、それから一秒が経つか否かという時間を経て、「カイト!」
相方の名を呼ぶ叫びに変化し、狭苦しい空間の壁に跳ね返る。
彼女の眼前で、モニターは雲中の正確な情報を提示し続けている。だがそれは所詮、数種類のマーカーとマテリアル状態、それらを包んだ斜め見下ろし形の空間を示す以上のものではない。ゆえに、状況の詳細はクラウダーとの連携が無ければ、一概に知り得ないのである。
今のハルカは、まさにその状態。
どうしてシプセルスが、フィラエナとニアミスした瞬間に機体バランスを大きく崩し、進む筈だった採取コースを外れてしまったのか――前触れなく起きたその情景を、咄嗟に理解することが出来なかった。
混乱の中、彼女は再び「カイト! 応えて!」と通信機に叫びを叩き付ける。
待つ事、数秒。耳に馴染んだクラウダーの声は、通信機の向こうで呻きになって聞こえて来た。
「う……っ、くそ。もろに、頭打った……」
「! カイト、無事!?」
「ああ……すまないハルカ、反応遅れて。あのフィラエナが雲取り場に入って来た時に、『尾』が変な形で引かれていて……気付いたらニアミス、すれ違った瞬間に飛行を乱されたんだ」
「変な形? 乱された……? カイト、それって」
シプセルスの操縦席にて、ぶん、と二度三度頭を振り、滲み出た涙ごと鈍い頭痛を取り払うカイト。
操縦桿を改めて握りなおし、前を見据えた少年は、そのままの状態で通信機に言葉を向ける。
「無闇に近付いたら危険だ。あの機体……空の気流を『壊して』飛んでいるぞ」
「『壊す』――とは、いささか物騒な物言いですね」
同時刻。勝負の場より遠く離れた、ナルティアル・カンパニー本社応接室。
「私どもがフィラエナをもって目指すは『大気の流れに抗う』事。新たな翼を、これまで未開、不可侵と言われて来たエリアにて、大きく羽ばたかせたいと考えております」
フーレの口から放たれた弁舌は、「自ら空の規律を壊そうとでも言うの」というローラの意見に続こうとしたダインの喉へ、ぴしゃりと分厚い蓋を押し付けていた。
「セルナスという雲に覆われた星の中で、人は歴史を紡ぎ、己の世界を知った。より良く生きる為に数多の技術を編み出し、かくて空晶採取のための機械翼を手に入れるに至りました。そうして今年、C.Rは二六〇年を数えます。――長い時の中で磨き上げてきた翼にも、そろそろ方向転換があって良い頃合ではないでしょうか」
「その為の、雲裂く雷――という事か」
心の中で、ささくれ立った動揺がざらりとした不安を創り出し始めている。それを気取らるれまいとダインは髭の奥に表情を隠しつつ、眼前の長机にばら撒かれた写真と資料を再び読み通していた。
「…………」
ジンクがフーレに電話をかけ、勝負を正式に取り付けてからの五日間で、ダインとローラはギルド間を筆頭に八面六臂の立ち回りを行っていた。
ナルティアルに関しての詳しい調査は勿論、彼らがこれまで接触を行った企業、団体、人物などを調べ、接触し、時には手を差し伸べて、急ごしらえながらも同志を募って行った。
オルザリス国内での有力貴族が一つ、ベルンストが当主自ら動いている、と言う肩書きも効いたらしく、その成果は上々。
もっとも「強引ではあるが野心と力強さを感じられ、決して口だけではないと思わされる」など、ナルティアルの関与に肯定を示す意見も決して少ないわけでなかった――それもまた、一つの事実である。
数多の意見を考慮した結果、件の勝負は「ナルティアルの飛雲機が勝利すれば、ジンクやフレアを始め、提示されていた要求を呑む。シプセルスが勝利すれば、『ナルティアルはクラウダーギルドとの相互協力を確約し、飛雲機発展の為に歩み合う』事を誓約させる」という形に落ち着く。
深謀の知恵を持った猛獣をただ力のみで遠ざけても、結果としてそれは、相手にさらなる力を蓄えさせる危険性を孕む。ならば今の内に味方として引き入れ、後々の行動を見ていく方が賢い――ダインを初めとした有力者らにそう決定付けさせるだけの魅力と危険性を、ナルティアル・カンパニーの飛雲機部門は新参にして既に持ち得ていたのである。
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