第5話 「故郷の空にて」④
「父さんと母さんの作り上げた、たった一つの飛雲機だぞ……! あんた、仮にも勧誘しようとしている二人の前で、よくもしゃあしゃあとそんな事言えるな!」
応接間の入り口に大股で立ち、大きく肩を上下させる雲取り人の少年。
鋭く吊り上がった彼の両目には胸の奥より湧き上がる強い怒りが渦巻き、それが今、真っ直ぐにフーレを射抜いていた。
「カイト――」
呆然とした表情で、息子を見つめるジンクとフレア。どうしてここに、と動きかけた口は、しかし続けざまに近付いて来た複数の足音、そして「カイト!」と言う聞き知った声に遮られる。
間を置かず、カイトの後ろに三つの人影――ハルカ、レナ、フォートの姿が現れ、部屋の内に流れる感情の揺らめきがじわりとあからさまに増幅した。
かような状況の発生には、いくつもの要因が重なっている。
話し合いの場であった応接間の大窓が、換気の為にある程度開けられていたという事。ダシュエティスから降り立って家に近付いたカイトが、そこから漏れ出て来た言葉を丁度耳に入れた事。そしてその内容が『シプセルスを作った事は、労力と時間の無駄だった』と言う、フーレの主張だった事。
――直後にあった、息を呑む複数の気配の中には、紛れも無いカイトのそれが混入していたのである。
自分にとってかけがえの無い飛雲機であり、両親の苦心の成果でもあるシプセルスを、遠慮も容赦も無く踏みにじられた――激情を爆発させ、玄関を手加減無しの力で開け放つや、勢いそのままに応接間へとなだれ込んで行ったカイト。
その後を慌てて追いかけたハルカ達三人だったが、追いつくには流石に距離が足りず……かくて、現状が成立するに至る。
カイトの怒声が響いた瞬間より、数えて十秒と経たぬ時間であったが、それまでと一変した場の空気は等しく誰しもの心を捉え、千差万別に揺らめかせていた。
「――カイト? そう……貴方が、カイト・レーヴェス君ですね。初めまして、私はフーレ・ルメイ。飛空機械製造企業、ナルティアル・カンパニーの者です」
「ここに来る途中で、大体の話は聞いたよ。前々から名前だけは知っていたけど……ナルティアルが、まさか飛雲機を頭ごなしに馬鹿にするような奴らだったなんて、流石に思ってもみなかった」
「馬鹿に――? 私が、飛雲機を?」
少年に向けられると同時、微かに瞠目した瞳と、それに相乗するあからさまな疑問符。
ソファに腰掛けた姿勢を変える事も無く、叩きつけられた言葉に打ちのめされるでもなく、ただ『言っている意味が分からない』と、彼女の態度が純粋にそれだけを告げていた。
途端、カイトの思考は、再び激しい怒りによって白熱する。
「『貴重な労力と時間を無駄にした』って――あんた、今さっき自分が言った事を覚えてないのかよ!? 一体、どうやったらあんな言葉をすらすらと、」
「私は事実を言ったまでですよ、カイト君。当のシプセルスを操り、日々の生計を立て、最も飛雲機を知るその身であるなら、誰よりも良く分かっている事――そう思っていましたが?」
「な――こ、のぉっ!」
「待ってカイト、落ち着いてよ!」
「いけないハルカ、一人じゃ流石に……!」
怒りのボルテージをさらに上昇させて今にもフーレに掴み掛からんと足を踏み出すカイト、そんな彼の身を引きとめようと必死になって真後ろからその肩を掴むハルカとフォート。
自身から一メートルと離れていない所のやり取りであると言うのに、当のフーレはつゆほどの身じろぎも見せる事無く、先程からじっとカイトに視線を送っている。
「……」
何か、妙だ――騒ぎ立てる二人の後方で、場の様子に視線を巡らせていたレナの感覚だった。
フーレと名乗ったこの女性が、何の理由をもって突然の介入者であるカイトに視線を定め、こうも挑発を続けているのかが分からない。
レーヴェス夫妻との話し合いが本来の目的なのであり、いくらその二人の息子であるとは言え、どうして彼女は一向に、夫妻へとその視線を戻そうとしないのか。
ハルカに加勢するフォートも、そしてジンクとフレアの二人も、レナと同じく沸きあがる疑念を隠せず、気付けばその場に居る全員が、フーレ一人に視線を集中させている。
「謝れ――今すぐ父さんと母さんに、シプセルスに謝れよ! あんたみたいな人のいる会社に引き抜かれたって、二人が満足な仕事を出来るわけがない! どれだけ飛行機造りが上手くたって、人の飛雲機を馬鹿にするような所なんかに――」
「へぇ――なら。今の状態のままでも十二分に、この二人は素晴らしい飛雲機を作れると、貴方はそうおっしゃるのですか? その確たる証明が出来る、と?」
「――っ、そんなの当たり前――」
「今、私が『無駄』と、『道楽品』と見なしたシプセルスを使っても――貴方はそれを、証明して頂けるのでしょうか? 私とて自社の誇りを持ってここにいる身です、その言葉に伴った確かな結果でも無ければ、はいそうですかと納得するわけにはいきませんよ」
隠し持っていた抜き身のナイフを、喉元に突きつけるが如く。急激に鋭さを増したフーレの口調から冷たい声音が滑り出で、カイトのみならず全員の耳朶を痛烈に打つ。
証明とは、一体――一様の胸の中で疑念が渦巻き、それが心の奥にまで浸透する時期を見越したかのように、彼女は一拍の呼吸を置く。
その後、一度首をぐるりと巡らせ、全員と視線を合わせた上で、はっきりと告げた。
「シプセルスの力は予想以上に素晴らしい、それこそ我がナルティアル・カンパニーの生み出す飛雲機すらも凌駕してしまう程に――その事をしっかりとした形をもって証明してもらえるのならば、先程までの私の言葉は全てが嘘偽り。直ちに心よりの謝罪を行わせて頂きます上、レーヴェス夫妻お二方に対しての望まれぬ勧誘も金輪際行う事はありません」
『......っ!!』
驚愕の息を呑む音は、きっかり六人分――レーヴェス親子にハルカ達三人のそれが重複して、部屋の隅々へと染み渡る。
「凌駕? 証明? ちょっと、あんたまさか、この場でシプセルスに雲取り勝負でも吹っかけるつもりかい?」
「そう解釈して頂いて構いません、レナ・ベルンスト嬢。そこにおわす貴方の妹君や婚約者の方共々、皆様で証人となってくださって宜しいかと」
その言葉が語る意味を理解したレナが、全身にぶわりと悪寒の鳥肌を立たせるまでに、約一秒。
それから二秒、三秒と時が刻まれるに連れて、ハルカ、フォート、そしてカイトまでもが呆然と眼を見開き、冷水でも浴びたかのごとく全身を硬直させていた。
「……!」
「今、の……!」
彼ら四人がフーレと顔を合わせたのは、この瞬間が初めての事である。だと言うのに、彼女はベルンスト姉妹に留まらず、レナとフォートの婚姻関係まで――それこそ、一般にはまだ公表もしていない情報を抱いて、自分のペースを欠片も崩す事無く、凛とした姿勢のままソファに腰掛けているのだ。
元来がレーヴェス夫妻に持ちかけている話であると言うのに、こうも異なった情報がすらすらと紡がれるのは何故か。
想像の範囲ではあるが、浮かび上がってくる結論は一つ――圧迫の度合いが増し、息苦しさが場を覆い始める中「ちょっと待ってくれないか」というジンクの声が、一旦なりともそれを切り裂いて部屋に響いた。
「この話は私とフレアに関する問題であって、カイトとシプセルスを巻き込む必要はなかろう? いくら何でも、そんな無茶な条件をぽんと出されて、気軽に了承はできんよ」
「主人の言うとおりです。正直、今の貴方と私たちが、このままきちんとした話し合いを続けられるとは、とても思えません。先程の話に考える時間を下されば、お返事は必ず致しますので……状況も状況ですし、今日のところは、出来るなら」
搾り出すような口調で懇切丁寧に告げる二人の瞳には、しかし硬さを増した拒絶の色が見え隠れしている。しばしの間、フーレの備える一対の瞳はそれらと視線を交わらせていたが――やがて、
「――そうですね――分かりました」
そう告げたフーレが瞳を逸らし、ソファから腰を浮かせた瞬間、応接間の中を漂っていた空気の圧迫が心なしか和らぐ。手馴れた動作で机上の資料を集め、足元の鞄へと仕舞い込んで一度姿勢を正した彼女は、
「すっかり長居もしてしまいましたし、今日のところはこれでお暇する事に致します。――ご迷惑でなければ、次は直にお仕事の場で、お話の時間を頂きたいと思っておりますので」
最後まで取って置いた切り札、とでも言わんばかりに、そんな言葉を部屋の中に放り投げ――今度こそ完全に凍り付き、言葉を失う一同の隙間をすり抜けて行った。
「では。失礼いたしました」
玄関口にて挨拶と共に頭を下げ、レーヴェス家をゆっくりと後にしてゆくフーレ。ぴんと背筋を張ったその後ろ姿を、屋内にいた面々の誰一人として見送ろうとはしない。
彼女自身もその事を心得ているのだろう、歩みの中で背後を振り返る素振りは微塵も見せなかった。
『……』
誰もが、喉と四肢を石の如く硬化させていた。
部屋に落ちた沈黙は、これまでの中でも最も重く、最も性質の悪い部類に該当されるものだった。
彼女の言葉にあった「直にお仕事の場で」――それはつまり、ジンクとフレアの職場であるラムーニア第七地域のFGにて、先ほどまでと同じように話し合いの席を設ける、と言う意味を内包している。
仮にもそんな事になれば、必然的にそれはジンク達二人という個人の問題を軽々と飛び越え、一組合と巨大企業の会談というレベルにまで発展してしまう。
両者の間に存在する力の差は厳然たるものであり、それだけに、どんな悪影響がFGに及ぶか分かったものではない。
最悪の場合、第七地域FG丸々一つがナルティアルに取り込まれ、ギルドの均衡が大きく乱されてしまう、という事も考えられる。
「…………」
席を立つ際に彼女が残していったのであろう、気付けば机上には小さな長方形の紙が置かれ、時折外から吹き込む夏風にその端をなびかせる。
単なる名刺でしか無い筈のそれは、しかし主が退席してさえ物言わぬ圧力を未だ放っており、カイトを初めとした一同の影をしっかりその場に縫いつけ、縛り続けていた。
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