第5話 「故郷の空にて」③
――やがて。
来るであろう客人を待ち始めてから五分が経ち、十分が経ち、二十分が経ち、三十分が経つ。
屋敷の騒がしさも一段落が着き、レナとフォートがマーナフに紅茶を入れてもらっても、四人全員がそれをお替りして飲み終えても、レーヴェス夫妻が屋敷の玄関口に立つ事は無く、また通話機の向こう側から声が聞こえて来る事も無かった。
『…………』
帰省した事で昔話に花が咲くも、それが延々と続くわけも無く。静寂の中で一行はひとまず解散して、各々の部屋へと戻る。
内外問わず約束事や連絡をきちんと守る二人の性質からすると、いささか妙な事態であると言わざるを得ない。やがて、電話が掛かってきてから一時間が経とうかと言う頃、唐突にカイトの居る部屋をレナがノックしていた。
「出てみようか」
ドアを開けて顔を合わせた直後、開口一番彼女の紡いだ言葉である。
あまりの簡略語句ゆえ一瞬呆気に取られたカイトだったが、その表情に滲む緊張を気取って即座に首を縦に振る。レーヴェス夫妻の身を案じ、家へ行ってみようと彼女は言っているのだった。
「気になる――っていやあ、やっぱり気になるんだよね。ついさっきの事なんだけど、アルムの口からちょっとした話を聞いてさ」
玄関に向かって廊下を突き進みながら、レナは後方のカイトにそう切り出す。
あくまでも自分の歩調で、しかも後ろを全く振り返らずに言葉を放つのは、きちんとそれを弟弟子が受け取ってくれていると確信するからこその行動なのだろう。
事実、カイトも早歩きと小走りを織り交ぜつつ、彼女の言葉を聞き漏らすまいと耳を傾けている。
「あの子がメイド達の中でも熱烈なクラウダー業界のファンだって事、あんたも覚えているだろ? その筋からの話でさ、何だかこのオルザリス界隈で色々と動きがあるらしいんだ――曰く『どこかのでかい会社が飛雲機業界への参入を目指して、有能な技術者を片端から誘い、次々と引き抜きまくっている』ってね」
「え――じゃあまさか!?」
「勿論、実際に確かめなきゃ何とも言えないけど――最近、このラムーニアで特にその動きが顕著って話さ。事を成す為であればいささか良識に欠けるやり方さえも厭わない、っていう、きな臭い話まで耳に入ったんだよ」
「――っ!!」
ルーセスの空気に染まり過ぎていたかね、とレナの口調は苦い。
騒々しい交集期の一〇〇日を乗り越えたあのラティメリスの古都では、クラウダー稼業が他の諸都市と比べてもひときわ地域と密に関わっている。
予備知識も無しに同じような手法を用いようものならば『無作法者に好き勝手させてたまるか、俺達の街から出て行け』と、雲取りの担い手たちに加え、一般市民も加勢しての袋叩きに会うのが関の山である。
だが、今彼らが居る場所は、オルザリス国の首都ラムーニア。いくら南北一続きの大陸上とは言え、都市どころか国も違っていて、同じ価値観が易々とまかり通る道理は無い。
「カイト、姉さん!」
玄関口に辿り着いた二人は、緊迫の面持ちを湛えたハルカとフォートに迎えられる。四人で揃って玄関を開け放ち、外庭へと続くステップを降りた先には、つい先ほど彼らをここまで送って来たダシュエティスと、その傍らに立つヴィルの姿があった。
「お話は既に、マナより聞き及んでおります。レーヴェス様宅へ、ですね?」
「姉弟揃って、手回しが早いから助かるよ。あまり時間は掛からないだろうけど、なるべく急いでちょうだいね」
◆
「――重ねて尋ねるのだが。これほどまでに私たちが頑とした態度であっても、引き下がってもらうわけにはいかないのかね?」
「それが叶うならば、そもそもこれほどまでに時間をかけて粘る事など致しませんよ……ジンク・レーヴェスさん、フレア・レーヴェスさん。貴方がたの力を何としても我が手に欲しい、と言うのが、上司の勅命ですので」
「その為の有力なる使者、というのが、フーレさん、貴女と言うわけね。飛空機械関連の事で貴社が特に強い力を備えている理由、少し分かった気がするわ」
ベルンストの邸宅から車を駆る事およそ二十分前後、ルーセスと同じく王都ラムーニアの一角に設けられた『雲取り人区画(クラウダー・セクション)』――もっとも、その規模は標準と比べてやや小さめだが――の中に、レーヴェス一家の住居と彼ら専用の個人工房が軒を構えて隣り合っている。
そこから論争と言う形で延々と聞こえて来る三つの声は、一種のこう着状態を保ったまま、既に一時間が経過して久しかった。
「私としては逆に、お二方が我が社のお出しする優遇条件を前にして、拒否なさる理由が正直分かりかねます。事実、フレアさんも先ほど『悪い話ではない』とおっしゃられたではありませんか」
「『悪い話ではないけれど』、よ。良い条件を提示されたからと言って、はいそうですかとFGを簡単に抜けるわけには行かないわ」
「何より、先ほど君が挙げたエンジニア達の名前だ。既にそれだけの人材を獲得しているのなら、ナルティアル・カンパニーの飛雲機部門など、本格稼動の前からとうに磐石だと思うのだがね。今更私たちを引き抜く必要があるとは、とても感じられないよ」
ナルティアル・カンパニー。
先述のレナの言葉に織り込まれていた『飛雲機業界への新規参入を狙う巨大企業』の名であり、その実績は飛雲機以外の主だった飛行機――AP(エアロ・プレーン)のジャンルにおいて非常に名高い。
そこから遣わされた使者である、ビリジアンカラーのスーツに身を包んだ角縁眼鏡の女性――フーレ・ルメイと、ジンクにフレア二人との話し合いは、このような感じで双方の主張が交わらず、延々と平行線を辿り続けていた。
応接間の机に置かれている三杯のコーヒーは全員のそれが並々と注がれたままとうに冷め切っており、どれだけの時間ろくに口も付けられていなかったかが容易に推し量れる。
互いの口から言葉が一旦途切れ、部屋に設けられた大窓の隙間から風が入り込んで来る。
ほのかに青紫がかったフーレの紺髪、しっかりと息子に遺伝しているレーヴェス夫妻の口元や目じり、髪の生え際などがゆるりと撫で上げられて、部屋の中に沈殿している重い雰囲気が、心なしかわずかに薄らいだ。
「お二方は、自らの事を過小評価なさっておいでです」
長くもあり、短くもあった静寂を、フーレの凛とした言葉が切り裂いていく。
ギュ、と小さくソファの軋む音がそれに伴ったのは、彼女が改めて姿勢を正した為だろう。
「エンジニアとしての腕、下の者を的確に指導していく事の出来る統率力とリーダーシップ。そして......企業が新たな分野を開拓する際、非常に大きな比重を占めることとなる独創性。それらを私どもは高く買っているのです」
言いつつ、フーレは足元に置いていたやや薄手のビジネス用鞄に手を突っ込むと、そこから数枚の写真を引っ張り出して机の上に並べ始めた。
視線を向けた拍子、ジンクとフレアの喉がひくりと小さく鳴ったのは、小さな長方形の中によくよく見知った光景が切り取られていた為である。
「これは――」
全体を統一する蒼のボディカラーと、その中心に真っ直ぐ刻まれた一本のシルバーライン。鋭いやじりか何かの如く先端を尖らせ、鋭角な二等辺三角形を思い起こさせるフォルムは『より巧く、より速く空を飛ぶ』事を主眼に置いて生み出された代物だと、見た者に感想を抱かせる。
ゆえに、写真の中にあるものを『飛行機』ではなく『飛雲機』と紹介された時、セルナスに生きる数多の人々は容易にその事実を受け入れる事が出来ないだろう。
「Unfナンバーの刻まれていない希少種、その中でも特に変り種とされる飛雲機……ナンバーSip―〇〇一『シプセルス』。もちろん、調べは付けさせて頂きました」
『…………』
「あなた方二人は、コンセプト段階からしてこれほど一般の飛雲機にそぐわぬ代物を考案するに留まらず、実際に創り上げてしまった。なおかつ、あなた方の息子さんは今現在もこの飛雲機に乗り込んで雲取りを行い、隣国の街にて生計を立てている。貴機の存在が公になった折の大騒ぎは、当時飛雲機の部門に眼を向けていなかった我々すらも聞き及んでおります」
沈黙に苦い響きが滲んでいるのは、少しの間とはいえ、二人が当時の頃に想いを馳せた為だろう。
気配の変調を鋭く感じ取ったフーレは意識して発する声のトーンを僅かに変化させ、己が話の雰囲気に相手を引っ張り込もうとする。
「既存の枠に捉われぬ発想力と、それを実現させてしまう事の出来るスキル。我が社の新たな工房においては、そう言った腕を存分に振るう事の出来る、万全の体制をもってあなた方二人をサポートさせて頂きたいのです。それは、今現在のラムーニアFGでは決して叶わぬ事だと確信しております」
「それは、また。随分とはっきり言うものだな」
淀みも迷いもなく、流麗な響きで次々と紡がれていくフーレの言葉だったが、台詞の最後に小さな棘を感じ取ってジンクが口を挟む。
続けて「私たちには」と、阿吽の呼吸でフレアが会話の流れを受け取った。
「貴方の言葉が『今の私たちのポジションが、宝の持ち腐れである』と、そう聞き取れるのだけれど?」
「ほう。流石、聡明でいらっしゃる」
揺らがぬ自信を基盤に据えて、はっきりとフーレはそう答えた。
口元の両端を僅かに吊り上げたその表情からは、角縁眼鏡の奥に設けられている童顔と相まって『大人びた若い女性が見せる、どこか無邪気さを伴った純真な微笑み』という不思議な雰囲気を感じさせる。
そこから醸し出される陽性の雰囲気が、時には交渉相手を圧倒し、時にはその心に鋭い楔を打ち込んだりして、今の今まで彼女に確かな成功を勝ち取らせてきたのだろう。
彼女の言葉はさらに続く。
「シプセルスを創り上げ、そして今をもって見事にこの空を渡らせている。その事自体の評価はいささかも揺らぐものではありませんが――しかし。私個人から言わせてもらうなら、それらの事は『費やされるべき貴重な労力と時間を無駄にした』、それ以外の何物でも在りません」
『――っ!!』
息を呑む気配が一つならずと相乗され、刹那の間その場を支配した後、静かに空気に溶けてゆく。
「相反するコンセプトの飛行機と飛雲機、それら二物を纏め上げて一つの飛雲機へと昇華させた――そのようなモノの制作の為、あなた方はどれだけの貴重な力を注ぎ、そしてその結果何を得ました? 飛雲機の基準から考えれば失格寸前、そう言われても何らおかしくない機体をわざわざ生み出す為に、一体どれだけの個人的浪費を繰り返して来たのでしょう?」
「――――」
分かっておらぬ筈は無いでしょう、心当たりが無いとは言わせません。視線の中に込められた鋭い光が声無き言葉となり、ジンクとフレアの瞳から入ってその胸を突き刺す。
「先ほど私が宝の持ち腐れ、と言ったのはそれです。それだけの技術を正しく有用に使いこなす事が出来ない、しない等、一体どれほどの損失を世に生み出してしまう結果となるか」
「――――っ、」
「私どもナルティアル・カンパニーは、今まで培ってきた経験と技術力を活かして、飛雲機と飛行機の両分野を必ず有用に発展させていきます。だからこそ、是非ともFGではなく我が社でお二方の力を振るって頂きたい。それこそシプセルスの如く――あのような、物珍しさありきの道楽品等を作る暇があるくらいなら、」
「――いい加減にしやがれってんだっ!!!」
怒りも露わな大音量の叫びによって、びりびりと震える部屋の空気。
だが、それは彼らの内誰かによるものでなく。つい先ほどまでそこにいなかった筈の第四者――カイトによる、少年特有の甲高い声調を帯びていた。
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