幕間:1 「ある夜の談話」①:静かな夜に
そっと静かに、音を立てないよう扉を開ける。
部屋の中は、蒼い光で満たされていた。大きく、広く設けられた前方の窓や、頭上に取り付けられている小さな天窓は、マテリアルと雲、そして月光が織り成す光をまんべんなく取り込んでおり、さながら自然の蛍光灯と言った所。
「…………」
板張りの床を私のシューズが踏みしめ、特有の摩擦音を連続で響かせる。外を歩く時とも、家の中を床履きで歩く時とも異なるこの音は、否応なしに私の表情や性根を引き締めてくれる。
――そう言えば、義兄さんが歩いている時は、良くこんな音が部屋の中に響いている。近頃、焦りで何だか色々見落としていたなあ、と胸中で苦笑して、私は、目的とする場所の前に正立した。
丹念にニスを塗られた、木製の一人用角型テーブル。自分の座高にきっちりと合わさった椅子がその下部に収められており、改めて、ここが私の座るべき場所なのだと感じさせられる。
机の後ろ半分には斜めに盛り上がりが付いており、椅子に腰かけて少し頭を傾けると、ちょうどそこに視線が定まるようになっている。その正体は、おおよそ一四インチ程度のディスプレイが、半ば机に埋め込まれて一体化した姿だった。
他方、机の前半分を占めているのは、ボタンやダイアル、小型のキーボードと言った器具類。そのあちこちには「起動時は正式な手順で」「メモリ7~8まであげること」と言った注意書きが、ポストイットでぺたぺたと貼り付けられている。ちなみに、全て私がやった事だ。
機器類の色はシンプルにライトグレーのみで統一され、装飾の類も施されてはいない。が、それゆえに余計な眼を奪われる心配も無いのだから、私としてはむしろこれがお気に入りである。
そして、そんなディスプレイの隣には、小型マイクと両耳にあてがうタイプのヘッドフォンを組み合わせた、黒色の通信機が置かれている。
これら一式を総称して、ナビゲートコンピュータ……通称「ナビコン」と言う。多岐にわたるこの装置の昨日を駆使してカイト達クラウダーに周辺の状況を伝達し、その働きをサポートする事が、私たちナビパートナーの主な役割である。
「よ、っと」
キャスター無しの椅子を引き出し、座ってナビコンと正対する私。ふぅ、と一つ息を付くと、通信機を耳に当て、口元にマイクを動かしてゆく。
「――シプセルス、イグニッション。機体離陸、……晶含雲内部へ突入。周辺、飛雲機多数。レベル換算……設定、6……」
喋る間も視線を合わせ続ける漆黒のディスプレイには、先程より何一つ映ってはいない。まあ、あくまでこれはイメージトレーニングなのだから、当然の事だけれど。
流石にこれまでの半年間、姉さんや義兄さんからナビについての手ほどきを受けた成果は出ていると思う。既に私の脳裏には、ナビコンの電源を入れた時の画面が表示され、瞬く間にそれは、クラウダー達による『雲取り』の時と同じものに変化して行っている。
本当、こういう事がすらすらと出来るようになったのだから、拳骨やバインダー等で常々頭を叩かれてきた甲斐はあったと言うものだ。
「左から2、右から1、飛雲機接近。回避後、マテリアル粒子を辿って4―3―8と移動。最低でも一〇メートル以上、距離を保って速度維持……」
そんなものは所詮、頭の中で組み立てた想像でしかあるまい、などと、クラウダーについて良く知らない人々から言われる事もある。実際の画面を見ずに一人だけでこんな事を行っているのだから、ある程度は仕方ないのだろう。
けれどこれは、私たちナビパートナーにとって絶対に必要な訓練。クラウダーの置かれた状況を瞬時に理解して、少しでも速く、淀みなく、正確に情報を伝える――それを出来ない人間に、この仕事をやっていく資格は無い。
「ブースト始動、速度を上げてコース2―6―4―5へ。……、……カウント9、雲取り場へ到着……」
私が行っているこのイメージトレーニングは、ルーセスの街から飛び立つ飛雲機と上空に形成される雲、そしてその折に発生するマテリアルの数や範囲などから纏め上げられた、仮想コースを用いたもの。で、今は、その難易度を「レベル設定、6」――ギルドから認定されたクラウダーのレベルに当てはめて、雲取り場までのルートをナビゲートしたのである。
ちなみにそれ以降は、ひたすら全方位に気を配りながらマテリアルを採取しなければならず、加えてマテリアルの散在はそれこそ千差万別。これからの実践で彼と共に腕を上げ、追々トレーニングに組み込んでゆくしかない。
「……ふぅ、っと」
その後、別パターンの訓練を幾度か行って、取りあえずは一区切り。
大きく息を吐いて、椅子にもたれかかる。微かに高い音を立てて背もたれが湾曲し、それに伴う形で私は窓外に視線を投げていた。
「うーん。やっぱり拭えないなあ、違和感」
つい数日前まで、そこにあるのが当たり前だった筈の光景は、今や完全に過去のものとなってしまっていた。
窓を覗けば常に見えていたあの巨大積乱雲はもはや何処にも存在せず、その名残すら見られない。今はまるでその後継者争いをしているかのように、幾つかの積乱雲が晴れた空に立ち上ってはいるが……どれもこれも、高さで言うならばあの雲の半分以下。自然にできたものでなかったとはいえ、改めてその巨大さを考えると、何だか心を鷲づかみにされるかのようだ。
「――ひゃぁっ!?」
……そんな感じで色々と思いを巡らせていたものだから、肩に触れた突然の感触に思わず素で驚いてしまった。声を上げるや、私は弾かれたように後ろを振り向き、
「わ……っとと! びっくりしたあ」
そこにあったのは、眼を丸くした姉の姿。
思わず「いや、それはこっちの台詞だよ」と、返す私だった。
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