幕間:1 「ある夜の談話」②:姉と妹と
彼女の身体の姿勢から察するに。たぶん、後ろから近寄ってきて私の肩に手を置き――瞬間、飛び出た奇声に思わず後ずさってしまった、というところだろう。
「あはは、御免御免。何だか寝られなくて、たまたまナビルームの方に足を向けてみたら、中であんたがぼーっとしてたからさ。……コーヒー持って来たんだけど、良かったらどう?」
言葉と共に指し示された親指の先には、簡易テーブルの上で湯気を立てている二つのカップ。そのサイズと柄がちゃんと私たちのものである辺り、相変わらずそつが無い。
何せうちの男連中と来たら、しょっちゅうこれを間違えて、私たちに怒られているのだから。そりゃあ確かに、ある程度は似てると思うけども。半年も経てば、いい加減ちゃんと覚えてもらいたいものだ。
ナビコン前での食事はご法度ゆえ、私はその後方にある簡易椅子に、姉と向かい合う形で座る。
……砂糖とクリームは、少々控えめ。さすがに姉妹、互いの好みくらいは言わずとも分かっている。
「ナビ、頑張っているみたいだね。アンフィプとシプセルス、互いの癖を把握するのって、結構大変じゃない? まあそれは、クラウダーにだって言える事だけど」
「そうかも。でも、確かにシプセルスそのものは特徴的な機体かもしれないけど、基礎はやっぱりアンフィプだし。何となくだけど、カイトの操縦技術って、まだ、アンフィプで学ぶところが有ると思う」
「へえ。やっぱ、ちゃんと見るべきところは見てるんだねぇ。感心感心、ナビたるもの、そうでなくちゃ」
真正面から、しかも嫌味抜きでそう言われてしまい、自分の頬が熱くなってくるのを嫌でも悟ってしまう。元々高レベルのナビパートナーだったこの人の言葉だから、尚更だ。
……後は、その喜色から滲み出ているにやつきを止めてくれれば、言うことはないのだが。私とカイトの関係が話題になると、明らかに自覚してこういう表情を出してくるのだから、タチが悪い。
「んー? 何、私の顔に何か付いてるかねー?」
「……いいえ、別に何っにも……」
無駄な抵抗と分かってはいるが、僅かに眼を逸らし、眉をひそめてみる。いつもだったらこのあたりで、あと二度三度ほど言葉の応酬が有ったりするのだが――場に漂う空気の変化を感じ取って、私は視線を元に戻した。
「? 姉さん?」
「はぁ……まさか、ねえ。仲間連中から聞いていた時は、ほとんど話半分だったからなあ。成る程、これが」
「えっと。何の、話?」
首を傾げて尋ねてみると、返答に伴って、柔らかな微笑みが彼女から返って来た。
「いや、ね。あんた達二人が私たちの弟子になって、四人で共同生活を始めて……いつの間にかさ、無意識にそれが『当然の事』みたいに、自分の中でなってしまっていたんだなあ、って。カイトの操るシプセルスがきっちりと飛んで、爺さんに渡す時計をちゃんと持って帰ってきた瞬間、ほんの少しだけ、寂しくなっちゃったんだよね」
「寂しい?」
「自分でもびっくりした。なんかさ、突然ふっと脳裏をよぎったんだよ。あんたとカイトが、ここを巣立って二人だけで飛んでいく、みたいなイメージがね」
もっとも、教える事はまだまだ山のようにあるけども、と、姉は釘刺し発言を付け加える。耳タコではあるが、それに不要な茶々を入れる気も無い。
「それにさ。こうして私たち二人、わざわざ夜中に向かい合ってコーヒーを飲んでいる事なんて、実家であった?」
「……ううん、ほとんど無い」
その事に関しては、お互いの年齢も関係しているのじゃないか、と、私は思う。
C.R二六〇年の夏現在、姉の年が二十五歳で私が十八歳。ちなみにフォートさんは姉より二つ年下の二十三歳、カイトは十七歳である。
年が七も離れていると、それぞれの環境も流石に異なってくる。私が学校にてスクール初等部の門を叩いた頃、姉は中等部で友人たちと気ままに遊んでいた。反対に姉が家を出た二十二歳の時、私はようやっとCSCナビ部門での生活ペースを掴み始めていた、という具合に。
決して、姉妹の仲は悪くない。だが、ある程度年齢を経てからは時折顔を合わせる事が有っても、お互いに踏み込む事の出来ない一歩、というものが感じられた。
半年前の私だったら、それを「仕方がない、あまりにも住む世界が違うのだ」という一言で片付けてしまっていたと思う。緊急の時でもない限り、互いへの干渉や連絡は、何ともそっけないものになってしまっていた事だろう。
……そういう、有り得たかもしれない未来を「駄目」と言うつもりは無い。それだってれっきとした一つの生き方なのだし、決して無下に否定したりはしないけど。でも――今の私だったら「もったい無いなあ」等と、考えてしまったりもするわけで。
そして。そのような想いは、姉も抱いていたようだった。
「あの頃は、いちいちそんな時間を作る必要も感じなかったし。作ったところで何を話したら良いのか……って、欲求を打ち消していた」
「でも……今は、違う?」
「だねえ。正直、あんたとカイトがここを離れたら、こういう話をする機会も減るんだろうな、なんて考えたら――うん。やっぱり、ちょっと寂しいね」
「…………」
……先ほどと同じように、少しだけ視線を逸らす。あくまで、コーヒーを飲む為に顔を下げたかのような動作で、私は、顔の下半分をコップの縁で隠す形を取る。
姉の言葉は、素直に嬉しい。今の生活は、充実したものだと言える。
が、その反面、「この人と肩を並べたい」という望みが、未だ小さいけど、私の心に確実に芽生えてきている。師匠と弟子、という関係性からの脱却を望んでいる私が、隠れようもなく存在している。
私たちを指導する為の時間を捻出するため、姉と義兄のマテリアル採取量が減少したから、とか、私たちの独立を見届けた後でようやっと二人が正式に夫婦になれるから、とか。元々姉たちと親交の深い他のクラウダー達は、時々そんな事を噂しているらしいけれど。本当にそれらが主な理由だったら、私もカイトも、これほど必死になってクラウダー稼業とナビ稼業に打ち込んではいまい。
ゆっくりと顔を上げ、私と彼女の視線が再び交錯する。今言うべきだ、と思った言葉は、するりと喉を通って滑り出ていた。
「……姉さん」
「?」
「そんな機会なら、きっとこの先、いくらでも作れるよ。だってその時は、私もカイトも、姉さん達と同じ、一介のクラウダーとナビになっているんだよ? 同じ雲の下で働いているんだもの、きっと前よりも簡単に連絡は取れると思う」
流石に虚を衝かれたのだろう、しばし、真ん丸に見開かれた姉の瞳が私を見据える。
「へぇ……『一介のクラウダーとナビになっている』ね。中々言うじゃないの、ハルカ」
「そりゃあ、ね。これでも、音高きレナ・ベルンストの妹だもの」
互いに口の両端を吊り上げて、にやり、と擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべ――そのまま数秒経って、やがて。
『――っ、――く……ははっ!』
揃ったように、堪えきれずに笑い出す。ナビルーム全体を、女二人による弾んだ笑い声が満たして行く。
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