第1話 「雲取人の少年」⑭:そして再び、空へ<終>
後々の報道によれば。その時、ルーセスの街にいた誰もが、空を見上げたと言う。
普段ならば、そのほとんどを白い雲に覆われる空。その中で、常にルーセスを見下ろしていた巨大入道雲が突如として蒼い光を放ち、砕けた後に崩落。結果、雲は跡形も無く消失し、その時生まれた衝撃波によって周囲の雲までもが吹き飛んで行った。
後に残ったのは、雲の中に蓄積されていたマテリアルの雨と、直径数キロに渡る雲のクレーター、そして落下して来た数々の遺品。
(これらは全て、蒼い光を湛えた状態で海へと着水。一ヶ月を経て軍の手で残らず回収され、遺族らに返還された)
レナ・ベルンストの誘導によって、あらかじめ雲の下方に集まっていたクラウダー達には――元々、それほどの高度でマテリアル採取を行っていたわけでもないのだが――影響無し。一連の事柄が非常に高高度で起きたために、その影響を受けたような生活用品も存在しなかった。
夕陽が落ち、雲が戻ってくるまでの約半日。普段はめったに見られない生の太陽と大きな青空を珍しがって、空を見上げる街の人々が目立ったと言う。
最後に。事態の張本人とも言える、カイト・レーヴェスについてだが――
暫くの後。ルーセスから遠く離れ、国すらも隔てた、とある貴族の館にて。
「ふ。ふふ、ふふふ――はっはっは。いやあ、全くもって、愉快千万! わぁはっはっはっは!」
広く、豪奢な部屋に設けられた、巨大なベッド。そこに身体を横たえたまま、しわがれた哄笑を続ける老人が一人。細く、血管の浮いたその手には、あの銀時計が握り締められている。
既に蒼い光は失われ、表面のガラスはひび割れてしまって動く気配はない。が、それを除けば、崩れることなくきちんと形を保っている。
「よもや、再びこれを生きて拝める日が来るとはなあ……おまけに、取り戻してくれたのがあのちび助とは! はっはっは!!」
「お義父さん、そんなに笑っては身体に障ります。お義母さんの時計が戻って、嬉しい気持ちは分かりますが……」
「は、馬鹿もん。『親友の子供を巻き込んで、これ以上心配をかけてくれるな』と、はっきり顔に出ておるわ。全く二人とも、お前の若い頃に似て、じゃじゃ馬な娘どもだのう? ちび助やフォート君の苦労が目に浮かぶわい」
ベッドの傍ら、設けられた椅子に座る壮年の男性は、老人の言葉に苦笑で応える。
「ときに、だ。先日、娘二人に『いい加減帰って来い』とか何とか、文を当てたそうだが……はて、お前が今の地位に収まって、その人柄が丸くなったのは、果たして何時の頃からだったかのう?」
少なくとも、あの子と同じ二十四や五の頃ではないわなぁ……と、老人。その口に浮かんでいるのは、にやり、と形容すべき、意地の悪さが露骨な笑みである。
「若い盛りの猛禽を鳥かごに押し込めるのは、流石に時期尚早と言うものだ。もうしばらくの事であろう、待ってやるがよい」
「…………」
義父の言葉に、男は肩をすくめる他無い。もしかするとこの人には、何もかも見透かされているのではないか、と、蓄えた髭と喉の奥に苦笑を封じ込める。
自分が先日、上の娘と家継の件について電話で話し合った事。『空高く上昇して行っただけじゃ、あの機体を操ったとは到底言えない。あの無茶な青二才がこんな事で増長しないように、まだまだ鍛える必要がある』と、彼女が告げてきたこと。
そして。モノになるまで、どうかあと少し、家に戻るのを待っていてくれませんかと、真摯な声で頼んできた彼女に、結局こちらが折れてしまった事。何一つとして、眼前の老人にはまだ報告していない筈、なのだが。
「全く、泣き言を連ねておった頃が情けないわ。あやつらの大成する姿を見ん事には、当分お前の元へは逝けんて……すまぬな、もう少し待っていておくれ」
銀時計に向けて投げかけられたその言葉は、これまでになく優しげな響きで、部屋の空気に緩やかに織り交ぜられてゆく。
そんな父の姿を目に焼き付けて。男性は「では、私はこれで」と、席を立った。
「これから、国王らとの会議が控えております。お待たせするわけには行きませんので」
「うむ。精々、国を悪くなどせんようにな。あやつにも、よろしく言っておいてくれ」
軽いお辞儀を返して、部屋を出て行こうとする彼の背中に「おお、そうだ」と、老人は声をかける。その顔は、厳しさの中に優しさと慈愛を内包した「孫を心配する祖父」としてのものだった。
「あやつら、この時計とメッセージだけ、こちらに送って寄越してきたが……他には、何か言っていたか? 顔を見られるいい機会だと思ったのだが」
「ああ。そう言えば電話で『近いうち、シプセルスを立派に乗りこなす姿をお披露目する』と、約束してくれましたよ。その時を、楽しみにしていましょう」
白空の内外を、鋼の翼が舞い踊る。蒼き空を映すかのような光を機体に纏い、セルナスの雲海を切り裂いて、ナビパートナーと共にクラウダーが空を駆けて行く。
「こら、また少し軌道がずれて来ている! アンフィプの時に引っ張られているぞ、感覚を上手く切り替えるんだ!」
レナの叱責が今日も響き、応えて少年は必死に最善の手を模索する。
「速度は、えっと、そのままで! 前方、後方にも飛運機、気を配っていて!」
「ハルカ。気流もあちこちが前と違っている、そこも含めて二手三手先を読むんだ。大変だけど、君なら出来る」
「は、はい!」
このルーセスの街より、シプセルスを駆る若きクラウダーとナビが独立を果たして行くのは……今この時より、もうしばし後の事である。
「ハルカ、レナ姉、フォートさん……、――了解っ!」
真に一人前のクラウダーを目指して、少年は今日も白い空に挑んでゆく。若く猛々しい心を、その内にしっかりと抱き締めて。
「さあ。一緒に行くぞ、シプセルス!」
―― Story:1 …… 了
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