第1話 「雲取人の少年」⑬:雲取り人(クラウダー)

 それでも、少年の瞳に諦めの意志は見えない。――望んだ場所の候補に、なんとか位置取りが出来たのだから。

「っ!」

 手元にある赤いボタンを、強く押す。

 瞬間、大きな空気音を伴って、後部座席が勢いよく射出される。空圧によって始動する、過去に震えて届かなかった、機体からの脱出装置だった。

 場の影響を受け、空中に固定される前に。かなりのスピードを保ったままのそれは、一メートルにも満たない距離を一瞬で駆け抜けて、マテリアルへと激突する。

 ぐらりと傾ぎ、上端部分を少なからず破砕させるマテリアル。瞬間、不意打ちを喰らった王の手元より時計が浮き上がり――カイトが伸ばし続けていた手中へと、静かにゆっくり収まった。

 すぐさまキャノピーを閉めきった上で、少年は、力強くそれを握りしめる。そんな彼の鼓膜を、バチィ、と空気を割り裂く甲高い音が震わせた。

 破損したEマテリアルから周囲のそれへと走る、いくつもの稲妻。

 それは瞬く間に、他のマテリアルへと伝播。著しく乱れ、均衡を損なったエネルギーが巨大な雲の中で荒れ狂い、雲取り場のみならず軒並み全ての空間を掻き乱す。

 それはさながら、傷つけられた王の、怒りに狂った咆哮だった。どういう事が起きるにしろ、このままここに居ては無事に済む気がしない。

「いくぞっ、シプセルス! 突っ切るんだ!」

 時計を懐へと突っ込んで、叫びと共にレバーを操作するカイト。その時を待っていた、とばかりに、蒼き飛雲機は操縦者の意志に応え、今一度その身に青色の翼を纏わせた。

 凄まじい加速が、幾重もの拘束を剥ぎ取っていく。絶え間のない激しい震動が、機体にかかる相当な衝撃を雄弁に物語る。

 だが。このシプセルスならば、きっといける。どんな状況でも目的地まで飛べる、それがお前と言う飛雲機の強みなのだから……!

「一緒に、帰る! 帰るぞっ!」

 フルパワーの加速を続けるシプセルス。そのEマテリアル残量を示す丸型ゲージが勢い早く減って行き、危険値の領域を指し示しはじめていた。

 カイトの頬を伝う、嫌な汗。前に前に、少しずつ進んではいるのだが、しかしその前に、この翼が光を失ってしまったら、脱出のすべはもう無い。先日、皆で立てた予想をわずかに超えて、エネルギーの消費量が大きくなっている。

「く……!」

 

 その時。視線の中に、唐突な蒼が混ざり込んだ。

「!?」

 少年の懐に収められた時計より、蒼い光が眩く放たれ、コクピットに満ちたのだった。

 湧き上がった光は、そのまま拡散し、はじけ飛んで消失する。同時にほんの一瞬、ゲージの減少速度に緩みが生まれたのを、カイトは見逃さなかった。

「い、っけえぇぇぇ――っ!!」

 刹那。シプセルスを縛っていた見えない鎖は、ついにその全てが引きちぎられる。

 一気に速度を得たシプセルスは、蒼の空間を駆け抜け、雲の壁へと突撃していく。雲の道を貫いて、その真下へと――地上を目指して、迷うことなく突っ走っていく。


 震動は、遥か下の雲取り場にまで伝わってきた。

「なんだ、この震えは……!?」

「くっ、やったね、あの馬鹿! みんな、すぐにこの場所を離れるんだよ! このままここに居たら、やばい!」

 ありったけの音声で通信を外部にまき散らすと、レナの操るサルディノは雲取り場から外壁の雲に飛び込んでいく。

「カイト……お前、無事だよな!」

 上で何があったのか、きちんと顔を見て話し合って。怒るにしろ何にしろ、すべてはそれからだ。

 だから、ちゃんと私の所に帰ってこい、馬鹿弟子。レナの胸中はこの時、そんな願いが大勢を占めていた。


「! 義兄さん、あれ!」

「何だ? 雲が……蒼く、光ってる!?」

 真正面の窓から見える光景に、眼を見開くハルカとフォート。二人の視線の先で展開されているのは、巨大な入道雲から間断無く蒼光の束が溢れている様だった。

 たまらずハルカはすぐそばに設けられたドアから外へと飛び出し、天高きその頂上を見上げ、

 ――瞬間。眩い閃光に、空が、地が、覆われた。

「きゃぁ……っ!」

 凄まじい光に包まれ、とても眼を開けられぬ世界の中で。空に浮かぶ質量の塊が割れ、破砕し、そして崩落してゆく――


 そして。

「……っ!」

 ――しばしの後、白色の奔流が収まったその場所に。雨のように降り注ぐマテリアルの粒子と、巨大な青空が見えていた。

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