第1話 「雲取人の少年」⑦:岐路

〈 4 〉


 大分後になっての話だが。レナ・ベルンストは、その時の事を「生きた心地がしなかった出来事」の内において、五本の指に数えている。

 ナビゲート範囲の外部という高高度まで上昇し、探知出来なくなったシプセルスに近付こうと、必死でエンジンを吹かした時の焦り。フォートのナビが伝えて来る「シプセルスが失速し、落下して来ている」という言葉を聞いた時の絶望……どれもこれも、正直、もう二度と味わいたいとは思わない代物だった。

 だからこそ、その落下して来たシプセルスが自分の眼の前で持ち直し、二人してこちらに合図を送ってきた時は、心底より安堵した。揃って家に戻った後で、彼らの頭に本気で拳骨を落とし、叱りながら、込み上げて来る嬉しさと涙を必死になって抑えていた。

 ――まだまだ未熟な弟弟子と妹から、一つの報告を聞く、その時までは。


「あの雲の中に……だって!?」

 レナの素っ頓狂な叫びが、常日頃ブリーフィングで使う部屋の中に響く。

「そんな――本当なのかい? あの巨大な積乱雲の上に……本当に、そんなものが?」

 言葉と共に眼を見開くフォート。そんな二人を真っ直ぐに見返して、カイトとハルカは頷きを返す。

「そもそも、あの雲の事を『変だ』って感じたのは、ハルカの方だった。俺たち、機体が流されてしまうほどの気流の中を飛んでいたのに……あの巨大な雲だけが、よく見ると、その形さえもほとんど変えていなかったんだ」

「遠くから見ていたら『単に動きの鈍い雲』なんだけど、他の雲と様子があまりにも違っていて。マテリアルを含む晶含雲かもしれない、とも思ったけれど」

 二人の言葉にある「巨大な雲」。それは、海の上からルーセスの街並みを三年ほど前から常に見下ろしている、周囲のそれらと比べても一際巨大に立ち上った積乱雲の事を指す。

 空中からでも地上からでも、頂上を見上げようとすれば首が痛くなるほどの高さを誇り、もはやその姿は街の名物も同然なのだが――

「いくらマテリアルを含んで形を一定に保つからって、三年間もずっと変わらずに同じ形なんて、そんなのどう考えても有り得ない。普通のマテリアルが霧散せずに形を保っていられるのなんて、一週間が限度なんだし」

「それに、俺やレナ姉が半年間、訓練の間を縫ってここら一帯の空域を探し回っていたけど、他に残っている場所は、もうあの場所だけだったんだ。だから、」

「だから、二人してあんな急上昇を行ってみた、って言うのか? 失速して墜落、という可能性を棒に振って? お互い、止めようともせずに?」

 無茶するにしたってもっとマシなやり方があるだろうに、と、頭を掻きながら大きく溜め息を吐くレナ。

「ま、そこから同じ轍を踏まずに、上手く持ち直した事は褒めてあげるけどね。それで……あんた達、これからどうする気だ?」

 主に言葉の後半、真剣な口調での問いかけは、偽り無き返答を見越した上でのものだった。カイトとハルカにもその意思が伝わったのか、ただ強い意志を備えた瞳で、真っ直ぐにレナを見返している。

「あんた達を追いかけて飛びながら、思っていた事を言う。正直、皆にこんな心配をかけるような飛び方、少なくとも私は認めない。この子の姉としても、妹に余計な苦労や心配を背負い込ませるのは御免。朝にはあんな手紙も来た……残り時間や捜索範囲だって、もう無い。はっきり言うよ、これがラストチャンスと考えな。失敗や読みの外れが有れば、これっきり。遺品探しに関わる一切合切を、すっぱりと諦めるんだね」

『っ!!』

「機体整備やデータの洗い直しを考えたら、日が昇る頃に準備は完了するだろう。その時までに覚悟を固めなければ、君たちにフライトは断じてさせられないし、ナビだってやらせないよ。いいね、二人とも?」

 レナの宣言に相乗される、フォートの静かな、しかし反論を許さぬ強い口調。

 カイトとハルカは、そんな「師匠の顔」をする二人に気圧されつつも、決して眼を逸らそうとせず、

『…………』

 はっきりと、首を縦に振ったのだった。

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