第1話 「雲取人の少年」⑧:夜が明ける

 シプセルスの力を最大値まで引き出すための整備、それにきちんと対応するため繰り返される、ナビデータの改良と見直し。サルディノの整備も並行する為、各々の作業は夜を徹して続いていた。

 その途中、有り合わせの簡単な夜食を頬張っていた四人は、それぞれの抱えていた思いや言葉を口にし、談話に小さな花を咲かせる。

「ってことは、だ。シプセルスは、下から吹き上がって来た強風と、それに乗って来たマテリアル群にぶつかって……?」

「うん。バランスが崩れた瞬間、思わずパニックを起こしかけて、そのまま立て直しきれずに。ハルカがいなかったら、どうなっていたか分からなかった」

 口の中の握り飯を飲み込んで、有難う、とハルカに礼を言うカイト。

「怖くは無かったかい? もし、あそこで下手をしていれば、」

「正直……物凄く、怖かったです。でも、カイトを……パートナーを信じてましたから。姉さんと義兄さんのように」

 手に付いたご飯粒を取って口に運び、おしぼりで手を拭きながら、ハルカがぽつぽつと言葉を吐き出して行く。

「雲の真っ只中が凄い世界なのは、分かっていたつもりだったけど。私、あんなに長い時間飛雲機の中にいたのって、初めてだった」

「そっか。CSCのナビ部門じゃあ、あまり機会は無かったんだっけ」

 カイトの言葉に頷くハルカ。彼女の瞳に灯る輝きには、新鮮な感動の色が塗りたくられている。

 視界を守るためのゴーグルを通して、ハルカの眼に映った空の世界。それは、どれだけの言葉を費やしたところでおいそれと説明しきれない程、新鮮な感動を彼女に与えるものだった。

 上空を流れる気流によって、刻々と形を変化させる数多の雲。遥か天より落ちる蒼い光によって、すぐ真下の雲海に映りこむ機体の影。そして、ちらほらと姿を見せる、加工されていない原型のマテリアルが放つ、青空の輝き。全てが、彼女にとって直に初めて見るものばかりであった。

「それに……雲の中に入った途端、あんなにも真っ白で、何一つ見えなくなるなんて。二人とも、いつもあんな場所を飛んでいるんだね」

「そう。だから、ナビはきちんと行われるべきだし、クラウダーも常にそれに耳を傾けないといけない。マテリアルが雲の一部分に集まって来れば、その力で巨大な空洞が生まれて『雲取り場』になるけど……そこに辿りつくまでに落ちれば、結局元も子もなくなってしまうからね」

「……うん」

 レナの言葉を、己が内で今一度反芻するハルカ。静かに頷きを返すと、彼女は、部屋の窓から外に見えている、天を付くかのような入道雲に視線を向ける。

「あの、雲……。思い出してみたら、リガレクスが爆発事故を起こした時から、生まれたんだよね。それからずっと、あのままの形で」

「で、俺達はこれから、あの雲に挑もうとしている。こんな事、あまりに出来すぎてるとは思うけど……でも、あれを超えていかなきゃ、これ以上先には進めない」

 そう言い置いて、カイトは手中の握り飯を口元へと運んでゆく。


 ――やがて。空が、雲が少しずつ白んで行き……朝日が水平線から顔を出す。

 月光とは打って変わった太陽光は、その強さでマテリアルの光を打ち消し、一面の雲海を眩い白へと染め上げてゆく。

 そんな只中に、今。揺るがぬ決意と覚悟を秘めて、二機の飛雲機が飛び出して行った。

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