第1話 「雲取人の少年」⑥:蒼き夜の下 ~飛翔~


「シプセルス、離陸成功。通常飛行に移ります」

「了解。現在、雲は前方の積乱晶含雲と上空の層晶含雲。例の巨大雲も、相変わらずご健在。天候は『蒼晴』、降水確率5パーセント。風は少しあるけど、雨の心配はほとんど無い」

「カイト。君の読み通り、夜でも雲取りを行っている機体が、北西60に2と、東北東45に3。結構離れてはいるけど、注意しておくようにね」

「了解。じゃあ、少しの間飛んで来るよ」

 ナビゲートコンピュータ――通称ナビコンを介した通信は、一旦そこで切れる。それを合図に肩の力を抜くと、レナはふう、と大きく息を吐き、大仰にその背を椅子へともたれさせた。

「お疲れ様。どう、久々のナビ気分は?」

「あー、駄目。何年もやってないと、えらくブランク感じるよ。完全に飛ぶ事が身に付いちゃってたからなあ」

「いやいやどうして、ナビコンの操作も通信もしっかりと様になっていたよ? 昔を思い出した」

「うーん……今更褒められてもねぇ」

 保護者同士としての顔を見合わせ、二人は微笑みを交わす。

「二人とも、どうだろう? 何かしら掴んでくるかな?」

「一回だけじゃ難しいよ、多分。でも、それでへこたれるような育て方はしてないと、自負してはいる」

 あんたもそうだろう?と、フォートに問うレナ。微笑みの形に縁取られた口元と眼鏡の奥にある瞳が、彼の答えを語っていた。

「とりあえず一歩前進、と見るべきかな」

「ん。まあ、多少焚きつけはしたが、自分からあれに乗れたんだ……全てはこれからだよ。今のあいつらの為なら、親父殿の言葉も聞けるし、家だって継げる」

「……そっか。もう、覚悟は」

「うん。今まで十分過ぎるくらいに、色々と好き勝手やらせてもらったからね。しがらみだらけの中で生きる覚悟は、自分の中で固まっているつもりだよ」

 レナの呟く『つもり』が、単に言葉の通りなのかそうでないか――フォートという青年には、彼女が僅かに変化させる口調で、その判別が容易だった。今朝の「事の引き際は心得ているつもり」の『つもり』も今のそれも、明らかに後者のニュアンス。腹をくくったのは、明白である。

「喜んでお供させて頂きます、レナ・ベルンストお嬢様。未だ不肖の身ではありますが、このフォート・オーティス、喜んで力になりましょう」

 大仰な仕草を交えた台詞に「茶化さないでよ」とレナ。

「けどさ、今になって言うのも何だけど、婿養子ってのは色々と気苦労が絶えないと思うよ? 下手すりゃ親父の二の舞だ」

「でも、お義父さんはちゃんと来た。そして、君やハルカの親になった。ならきっと、僕だって大丈夫さ。何より、僕のそばには君がいてくれるんだから」

「…………」

 言葉を失ってしばしの後、馬鹿だね、とレナは微かに苦笑を浮かべる。軽く肩をすくめつつ、前方のナビモニターに視線を戻し、

「――あれ?」

 声と共に眉をひそめる。後方から画面を覗き込んだフォートも、胸中で疑問の声を上げていた。

「なんだか、ずいぶんと高度を上げてるな」

「もう、アンフィプで到達出来る最高高度を超えているね。流石はレーヴェス夫妻の逸品だ」

「しかし、あの巨大雲のほぼ真下に来てるのか。なんだかコース的に、風に流されてるような気が……。……って、おい、ちょっと……」

 レナの声に険しさが加わり始める。ルーセス空域の状況を三次元で映すモニター画面には――急角度のまま高度をさらに上げて、画面外へ消えていこうとしている、シプセルスを示したマーカー。その動きの意図は分からぬが、少なくとも降下する気配は微塵も読み取れない。

「ちょ――ま、待て!」

 通信を点けるやいなや、レナは声を張り上げてマイクに叫ぶ。それに続いたフォートの声も、厳しく鋭い響きを纏っていた。

「馬鹿、何やってる! 上がりすぎだ、高度下げろ!」

「二人とも、このままじゃ通信の範囲外に出てしまう! すぐに戻って来るんだ!」

 数秒の沈黙を隔てて、帰ってきたのは……雑音にまみれ、耳を澄ましてようやく聞き取れる通信。

「…あ…、見つ…た…、……かっ……かも…れない、…だ!」

「姉……、……ートさん、御免! けど…、…う、少しで……!」

「!? おい、一体何を言って、」


 ――ブツリ、と。嫌な断絶音が、ひどく大きく、響く――


『っっ!!!』

 二人の行動は素早かった。離陸の準備を整える為にレナは身を翻し、同時にフォートがその背中に叫びをぶつける。

「レナ、『サルディノ』で! 整備とチェックは終わっているから、アンフィプよりも速く追える!」

「了解! フォート、負担かける事になるけど、お願いね!」

 簡潔な応対を交わし、レナが脱兎の勢いでナビルームを飛び出して行く。それと同時に、フォートは隣接するもう一台のナビコンに電源を入れ、簡単な操作を行うと、縁眼鏡を外して裸眼を露わにした。

そこにあるのは、マテリアルと全く同じ光を湛えた、蒼き義眼。彼はそのまま、一切の瞬きする事無く二台のモニターに視線を定めて、画面上に映し出された情報の全てを読み取っていく。

「く、ぅ……っ。レナ、行けるかい?」

「えっと――よし、準備完了、これから滑走路へ向かう。フォート、耐えられなくなったら、いつでも止めて良いからね。『空晶義眼(リア・クロム)』の使用負荷って、下手すりゃ脳にくるんだから」

「大丈夫、我慢出来るさ。それに、一度使うとしばらくは無理だし……今のうちだけでも、ね」

『空晶義眼』と呼ばれる、マテリアルの力を応用したその義眼は、片目一つだけでも両目と寸分違わぬ像の焦点を結ぶ事が出来る。フォートはその特性を応用する事で、二台のモニターに映る異なった画面を脳内で一つに統合、理解出来るという特技を備えていた。

 が、それは本来、人間には見る事が出来ない範疇の視界。特製の眼鏡を通さない視覚情報は、結果として彼の神経に大きな負担をかける事になってしまう。

「とにかく、さっさと連れ戻してくるから。……よし――サルディノ、行くよ!」

 レナの声と共に滑走路を飛び出す、先程まで布の掛かっていた、オレンジカラーの複葉飛雲機。彼女とフォートがアンフィプリオンを雛形に改造、設計を施した、レナの本来操る高性能機『サルディノ』が、その軽やかな挙動によって、今、蒼色の闇の只中へと突っ込んで行く――

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