第1話 「雲取人の少年」②:飛ぶ、その理由
「とうとうおいでなすったよ。『いい加減、二人一緒に帰って来い』ってさ」
開口一番、その響きは冷たく硬い。ぴん、と、緊張の糸が、朝食の時間を迎えた食卓全体に張り詰める。
「姉さん……じゃあ、その手紙って」
「そうだよ、ハルカ。親父からだ」
座り慣れたソファから腰を上げ、やや乱雑にくくったブラウンの長髪をがりがりと掻きながら、レナは立ち尽くす妹に封筒から取り出した便箋を渡す。受け取る刹那、肩の辺りまで緩やかに広がるハルカの髪がびくりと跳ね、本人の胸中に走る驚きと緊張を如実に映し出していた。
「『絶対に見つけて来るから』ってぶち上げて、気づいてみたら半年だもんね。あの親父殿にしては、良く今日まで根気を持ち続けてくれたと思うよ」
「それで、君の方はどうする気だい?」
柔らかく落ち着いた声での問いかけは、彼女のナビパートナーである縁眼鏡の青年、フォート・オーティスのものだった。見る者を安心させる温和な表情を先ほどより保ち、手馴れた動作でテーブルの上に布巾をかけながら、彼は言葉を続けていく。
「僕のよく知るレナ・ベルンストは、単に親からの手紙一つで大人しく引き下がる女性じゃないと、そう記憶しているけども」
「あのね、どれだけ昔の話をしてるんだか。クラウダー稼業の方はともかくとしても……事の引き際は、これでもきちんと心得ているつもりだよ」
「そんな……ちょっと待ってくれよレナ姉、まさか諦めるつもりなのか!?」
納得いかぬ、とばかりに、カイトは声を荒げる。
「まだ、半年が経ったばかりじゃないか! こんなにあっさり、爺さんの願いを無駄にするなんて、」
「『まだ』? いいや違うね、『もう』だ。交集季に入ってから、今日で二十日目――あれからもう二百日が経ってしまったんだよ、カイト」
彼の名を最後に含んで、鋭い眼光と共に放たれたレナの言葉。静かな響きにもかかわらず、それは、カイトの叫びを途中でぴしゃりと断絶する。
加えて。場に満ちた空気に助勢をするかのように、部屋の一角に設けられたラジオから、「――えー、はい。こちらはルーセス海域上空、巨大積乱雲の直下です」と、口調を沈ませたニュースレポーターの声が聞こえてきた。
「あの惨たらしい悲劇の事故から丁度三年が経った今も、この旅客艇『リガレクス・R二七型』の甲板より、追悼の花を雲の中に投げ込む人は後を絶ちません。犠牲者の遺族達は、未だそれぞれの心に負った深い傷を癒す事が出来ず……」
『…………』
「――全乗員四百名中、生存者はわずか四十五名。未曾有の大惨事となってしまった『リガレクス・R一四型爆発事故』は、これからも長きに渡って語り継がれ、人々の心に残って行く事でしょう。近頃では、あの事故以来天空に浮かび始めた巨大な積乱雲を、あれこそは彼らの魂が変化した物だ、と声高に告げる人まで――」
そう。気付いてみれば、もう既に半年が経ってしまったのだ。
三年前――C.R(天復歴)二五七年、海天季二十日。前触れ無く突如として起きた、レナとハルカの祖父母を巻き込み、結果として祖母一人を天の彼方へと連れて行ってしまった、大型旅客艇『リガレクス』の、飛行中の爆発事故。
必死の海域捜索においても遺体どころかその遺品すら見つけられず、ひたすら頭を下げる王国の役人達と、彼らに何も応えずにただ床上で塞ぎ込む、魂の抜けたかのような老人――祖父の、普段からは想像も出来ない姿が、孫である姉妹二人の網膜に焼きついている。
そして、その口をついてふと出た言葉があった。『あいつは空の上で、わしを待っておるのかもしれん』と言う、一種遺言とも取れる呟きが。
それを、当時のカイトは人づてに聞いた。ちょうどCSC(Clouder School Center:クラウダー養成学校)の卒業試験を見事クリアして、少なからず舞い上がっていた事もあるのだろう。『それなら俺が空に上がって、婆さんの形見を見つけてきてやるよ』と、拳を握って息巻いた。
幼少の頃より家族ぐるみで遊んでもらい、お世話になり、学ばせてもらった多大な恩を返したいという思いもあった。親から受け継いだ飛雲機もあるし、何よりクラウダーとしての己が力を試したいという好奇心も混ざっていた。
その結果――半年後の姿が、このザマである。
自分の力を過信し、扱いを誤ったひよっ子は、最初の一歩であまりにも痛烈な失敗を犯す事となる。猛省の期間を経た後「決して投げ出す事無く、ありったけの努力を尽くしきる事」と「どんな事態に陥ろうとも諦めることなく、必ず生還する事」を絶対の条件に、当時既に一人前のクラウダーとなっていたレナを師として仰ぎ、胸に抱いた志を同じとするハルカとパートナーを組んだ。次いで、彼女もレナのパートナーであるフォートに教えを乞う事となった。
だが、自分だけが思ったように上達せず、一つ一つは小さな焦りが、積もり積もって今まで培われた経験や決意などを削り取って行く。そしてそれがまたミスを生むという、一度陥ったら容易に抜け出す事の出来ない悪循環に、何時しかカイトは陥りつつあった。
諦めたくなど無いし、また、自分の祖父も同然である人の願いを破るつもりも毛頭無い。だが、半年前は身体全体にみなぎっていた、ある意味無鉄砲さとも取れる自信が、自分の中から少しずつ消え始めているのは確かだった。
重苦しい雰囲気を引きずった朝食が終わると、昼の休憩と軽食を挟んで、マテリアルの採集を兼ねたいつもの訓練。そして、先程のニアミスの一幕へと至る。
飛雲機の離着陸用に造られた公共滑走路に着陸し、機体にブレーキをかけながら、今更ながらにカイトは、心を苛立ちと悔恨で満たす。
……少なくとも。地面へと降りた先に、仁王立ちで待ち構えているレナの姿を視界に納める瞬間まで、彼の穏やかでない心中は、その事に対してざわざわと波打ち続けていた。
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