第1話 「雲取人の少年」①:カイト・レーヴェス
<1>
「機首下げて、カイトぉっ!!」
甲高い叫びが、鼓膜の奥へと突き刺さる。
耳に馴染んだパートナーの声は、凝り固まっていた少年の意識を正常なものへと引き戻す。刹那、理性を追い越して手足が動き、危機回避の動作を行っていた。
「う、ぉっ……!」
殴りつけるように、操縦桿を押し下げる。応える機体はたちまち、真下に広がる白色にその半身を沈めていた。
刹那、数メートルもない程のすぐ上を、真後ろの雲塊より飛び出して来た二つの機影――飛雲機が、段違いのスピードを保ったままで過ぎ去っていく。
彼の視界の中で暫し、踊り合うように飛行を続ける両機。その後彼らは、ある程度の距離を経た所で右前方に広がる別の雲へと突入し、その姿と気配を消した。
「あ、危なかったぁ……」
「ふぅ……。もう、後方不注意だよ、カイト。警告の信号、聞こえてなかった?」
操縦席の傍らよりスピーカーを通って聞こえて来る、心配と不安、そして少しの安堵を交えた優しい声。彼のナビパートナーである少女、ハルカ・ベルンストが、通信機の向こう側で溜め息を吐いているのが分かる。
「今の、気が付いてた? わざわざ向こうの機体に、コース回避してもらったんだよ。衝突だなんて、洒落にならないんだからね」
「うん……ごめん。前との距離を気にして、他を疎かにしていた」
不注意でごめん、ともう一度小さく謝罪して、カイト・レーヴェスは周囲を警戒しつつ高度を戻し、前方へ改めて視線を移す。
そこには、彼の師匠であり、ハルカの姉でもある女性――レナ・ベルンストの飛雲機『アンフィプリオン』が、操縦者の腕による違いをこちらにまざまざと見せ付けて、巨大な壁の如くそそり立つ雲の合間を淀みなく飛行していた。
カイトの操る蒼色の機体と、彼女の操る朱色の機体。色違いの両機の性能は、いつもの通り全く同じである。
離陸の際にストックしていた、エンジン燃料専用に加工されたマテリアル――『E(エンジン)マテリアル』の数も、双方の間で変わらない。
だと言うのに、いくら必死になっても追いつくことが出来なかった。Eマテリアルの一部を強制的に燃焼させて、速度を一時的に引き上げる〈ブースト〉機能を用いても、距離をわずかに縮めるのがやっとだった。
そして、そこから先の行程もまた、いつもの通り。カイト機の燃料が早々に危険区域を示し、雲取り場から地上へと戻らざるを得なくなって……一日の訓練が終了する。
ハルカのナビに従い、周囲に他の機体がいない場所で旋回して、帰路へのコースをたどり始める。その途中、いくつもの軽く甲高い破砕音が、彼の耳に届いていた。
雲の中から弾き出されたり、飛雲機がぶつかり合う最中でこぼれ落ちたりした、わずかなスカイ・マテリアルの欠片や粒子。それらが機体の両翼に激突して霧散し、機内に張り巡らされた極細の特性パイプを通って
――余計な慰めなんか、欲しくないってのに。悔しさと情けなさを入り混じらせ、心中にネガティブな言葉を巡らせるカイト。
と、
「危ないところだったね。怪我は無いかい?」
ハルカと似通った、だが一オクターブ程低い声が、機体の駆動音を縫って通信装置から聞こえて来る。レナがカイトの傍らに朱機を寄せて、専用の回線チャンネルを開いたのだった。
「うん。向こうの二機に、避けてもらった」
「そっか。――思うようにマテリアルが取れないからって、こんな外れの場まで出張ってくるかね、普通」
あいつらも焦ってるって事か、とレナ。とは言え、それでカイトの犯したミスが帳消しになるわけではない。彼自身もそれを分かっているゆえ「御免、心配かけた」と、ハルカにも告げた謝罪の言葉を通信機へと投げかけた。
「ま、取りあえず、小言と反省会は地上でね。無事で何よりだったよ」
分かっていれば良いよ、と言わんばかりに、言葉の中に滲む小さなため息。それを皮切りに、レナは機体を加速させて、雲の中へと飛び込んで行く。
ちょっとした挙動の違いが、レベルの差を否が応にも見せつけて来る。遠い後ろ姿に未だ追い付けず、その術すら満足に見出す事の出来ない少年は、空の只中で一人きりになってようやく、
「……くっ!」
ぎり、と音が立つほどに、強く強く歯をきしませる。先程の失敗と、それに加え……忘れようもない今朝の出来事を併せて瞳の奥に浮かべて、カイトは寄る辺の無い白色をただじっと見つめ続けた。
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