第19話 決着は
「あのさ、いろりさん」
「……なに?」
「一応、聞くけどさ――」
「待って。イエスかノー以外の発言は許可しません。……はぐらかされちゃうかもしれないし、説得されちゃうから」
「…………」僕はそれを無視して、言葉を続けた。「――僕に振られたら死ぬつもりでしょ?」
「発言は許可しません!」
「死んじゃだめだ!!」
「許可してないって!!」
いろりさんが怒鳴った。僕も怒鳴っていた。互いに顔がすぐ近くにあるのも忘れて大声を上げた。
耳がびりびりする。顔に唾が飛んだ。だけどそんなことは気にならなかった。
「もし二幹くんの言ってることがその通りだとして、なんで死んじゃだめなんて言うの? 付き合ってくれるならそんなこと気にする必要がないよね」
「こんなのほとんど脅しじゃないか!」
「そうだよ! だって私なんて、どうせ二幹くんに隙なんて思ってもらえる訳ないんだから。メーワクいっぱいかけたし、これからもどうせかけるって分かり切ってるし」
「思ってない!」
「思ってる! 見え透いた地雷物件だって思ってる!」
言葉の応酬をしながら、「こうじゃない」とは分かっていた。
こうじゃない。何も進展していない。
それは――僕が明確な進路を定めていないから。覚悟を決めずとりあえず諌めようとしてるから。
「死んじゃだめだ!」だから、こんな安っぽい言葉しか出てこない。「僕はいろりさんに死んで欲しくない!!」
「あはっ、嘘だ」だからこんな風に簡単に見破られる。「それ、最初に会った時と逆のこと言ってるよ?」
嘘だった。
僕はまだどうすればいいのか分からなかった。
いろりさんが死にたいなら死ねばいいと思う。
死にたくないのなら死ななければいいと思う。
でも、そうじゃないのだろう。
彼女を救うとはそうじゃないし、覚悟を決めるとはそういうことじゃない。
だけれど――今までそれしかしてこなかった僕には、やっぱり分からない。
いろりさんに死んで欲しい訳じゃない。それだけは絶対にない。
だけれど、いろりさんは生きていても苦しむだけだ。正体不明の自殺欲求にさいなまれるだけだ。なら、死んだ方が彼女にとって幸せなのではないかと思う。
僕なら、ここでイエスと言うだけで彼女を生かすことができる。いろりさんは心を許す僕と一緒に居られてハッピー。そして僕は彼女ができてラッキー。だけれどいろりさんは、僕と一緒に居ることで苦痛が幾分かマシになるかもしれないけれど、しかし僕はそれを癒せるわけではない。
延命治療、以下の行為だ。
僕は彼女に死んで欲しくない。
だけれどそれはエゴで、彼女を死なせてやることが正義なんじゃないのか?
いや、それだけは絶対にない。
死が正義なんて、そんなことはありえない――どうして?
――ああ、分からない、分からない、分からない――――――。
「二幹くん」僕の名前を呼んだ。
「ねえ、二幹くん」僕の名前を呼ぶ。
「メーワクかけてごめんね、二幹くん」僕の名前。
「だから、迷惑じゃないって」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」これは即答、嘘じゃないからだ。
「……本当に?」
「本当だよ」
いろりさんは目を見開いた。
「…………どうして?」
「それは分からない。――大変ではあるし、正直逃げ出したいとも思ったけどね」
「それって迷惑ってことじゃないの?」
「だから違うって。投げ出したかったらいつでもできたし、それをしなかったってことは迷惑じゃないってことだと思うよ。多分」
「多分って……」
「僕にもよくわからないけど」
「……二幹くんは優しいからだよ」
「…………僕は自分のことを甘いだけって考えてるけど」
「またそれだ」
「猫宮さんも白鯛さんも迷惑だって思ってなかったでしょ。僕だけ特別じゃないんだよ」
「あの二人は――――うん、うん。…………あの二人も、凄い良い人たち」
「だけど、まだ自分が迷惑かけてると思うの?」
「…………かけてるから」
どこまでも平行線だった。
だけれど、あの二人のことを信じられている当り、成長したのかもしれなかった。
「――二幹くん、本当に、本当に、無駄話は終わろう。もう、ぶっちゃけ、待てない」
だけれど、幾ら成長しても、根本的なここを解決しないとどうにもならないのだった。
僕たちのやり取りは結局時間稼ぎでしかなかったようだ。
「イエスかノーか、もしくはそれに準ずる言葉。それ以外認めません」
「――いろりさん」
「それ以外の言葉を言ったら、私は死にます」
「どうやって」
「はい言った。……次は本当だから」
いろりさんの目は真剣だった。真剣に死ぬ気だった。
というかずっとそうだった。口では笑っていても、死ぬ覚悟を決めた表情をしていた。
今更だけれど、どうしていろりさんの存在感を感じなかったか、それが今分かった。
生気だった。生命力。生きる意志。
それがいろりさんから致命的に欠落していて。
だから存在感を感じなかったのだ。
ふと。
ひっかかるところがあった。矛盾というか、食い違いというか。
「そういうこともあるんだろうな」で納得できてしまうような、その程度の違和感。「ちょっときになるけれど、別に変じゃないな」で済ませてしまえるような気がかり。
「迷惑だよね」いろりさんが言った。
「こんな二択迫られて、迷惑じゃない訳ないよ」そしていろりさんは、自嘲気味に笑った。
「…………」
「なんかシチュエーションがシチュエーションだから、私を止めるので必至だからそう感じないだけで、絶対に迷惑なのですよ」
だけれど、僕は確信していた。
根拠はない――というか説明できない。いろりさんと長くは無くてもそれなりに密接にかかわって来たから分かる、多分動作とか声色とかそういう細かい所作の違和感――それがこの極限状態の感覚と直感と混ぜ合わされて、僕は確信した。
「いろりさん」
「……死ぬよ、私」
「駄目だ」
「私が嘘を吐いてるってこと?」
「嘘は吐いてる。でも死にたいってことじゃない」
「……意味わかんない」
「…………君は僕に振られたいんだろ」
いろりさんは驚いたように眉を挙げると、ぼんやりとした表情で僕の顔を眺める。
*
「結局、いろりさんは決心がついてないんだよ。いつもと一緒。死にたいけど死ねない。だから、僕に死ねって言って欲しかったんだよ」
「……違うよ」
「いろりさんは自分が僕に依存しつつあることが分かってた。いろりさんは賢い人だよ。脳味噌がピンク色でできてる人間じゃない。だったらこんなに苦しまない。依存したら僕に迷惑をかけることが分かり切ってたからどうにかしようとしたけど――でもできなかった」
「……違う」
「だから、本当に迷惑をかける前に死のうとしたんだ。でも死ねなかった。だから、いろりさんは僕に死ねって言って欲しかった。でも僕が死ねなんて言ってくれるはずがない。だから――この二択にしたんだ」
「違うって」
「イエスは生きろ。ノーは死ね。それで、いろりさんは僕にノーって言わせたかったんだ。あんな状況で、少なくとも僕が、その告白を受け入れるなんてことがあり得ないっていろりさんは分かってたから」
「違うよ!」
いろりさんは怒鳴った。
だけれど、今度は僕は怒鳴り返さなかった。
覚悟が決まった――かどうかは分からな方けれど。
でも、やりたいことは決まった。
どうするべきか――は分からないけれど。
僕がどうしたいかは分かった。
というかどうしたいかなんてずっと分かってしたし、何度も考えていたことだった。
いろりさんを死なせたくない。死んで欲しくない。
だけれどそれはいろりさんの為にならないんじゃないかとかいう、自分が責任を被りたくないがためのそれっぽい言い訳を作って逃げていただけだ。
僕には今、これを貫き通そうという意思がある。
もしかしたらこれが覚悟というやつなのだろうか。
「だけどね」僕はいろりさんの目を見つめた。いろりさんの目には涙が溜まっていた。「ぶっちゃけ、僕にはどうしたらいいか分からない。僕はイエスもノーも言えない。いろりさんと付き合うこともできないし、ふって死なせることもしたくない」
「……なにそれ」無感情に聞こえるトーンで、いろりさんは言った。「じゃあ私はどうしたらいいの?」
「それは――分からない。いろりさんがしたいことは、いろりさんにしか分からない」
「じゃあ死ぬ」
「……そっか」
「もし付き合えたら生きようと思ってたけど――そうじゃないなら死ぬ」
「もしこれで付き合っても、きっといろりさんはいつか死ぬって言ってたよ。だってこれはほとんど脅しだし、そんなからっぽの恋愛じゃ満足できないでしょ」
「からっぽってことは、二幹くんは私のことなんてちっとも好きじゃないってことだね」
「そうじゃないよ。僕がいろりさんのことを好きでも、いろりさんの中では『脅して付き合った』っていう負い目が付きまとうからだよ」
「……だからなんなの!」声を荒げる。「なんで私のことを好きじゃないってことにしないの! なのになんで好きとも言わないのさ!!」
「好きだよ」
「……えっ?」
僕はハッキリと、もう一度言った。
「僕はいろりさんのことが好きだよ。ちゃんと恋愛感情はある」
「……え、え、え?」
よっぽど不意打ちだったのだろうか、いろりさんの顔はみるみる赤くなる。先程のよっぽど赤みを帯びて、このまま破裂してしまうのではないかと心配してしまう程だった。
「だから嫌いとは言わない。言えないよ」
「…………なら、告白を受けてくれればいいんじゃないですかね」
「それはもっと無理だよ」
「……どうして?」
「好きだからだよ。さっき言ったみたいに、ここでオーケーしたら僕は脅されて付き合うことになっちゃうでしょ。それは嫌だ」
「…………それは、そうかもしれないけどさ………………」
「……ねえ、いろりさん」
「なっ、なにっ」
「もう一度聞くけど、いろりさんはどうしたいの?」
「…………それは」
「死にたいなら死にたい。生きたいなら生きたい。自分で決めるしかないよ」
「それは――――それは、ずるいよ、二幹くん」
「どうしてずるいの?」
「だって、そんなの、私どうしたらいいか分からない」
涙がこぼれた。ぽろぽろと、弱り切ったいろりさんの目から涙がこぼれた。
それが何滴か、僕の太もも上にこぼれた。制服の厚い生地の上からでは何も感じなかったけれど、それは確かに熱かった。
「それこそずるいって。自分の生死を他人にゆだねるなんて」
「……でも、どうしたらいいか、わかんないの」
「分かるはずだよ。生か死か、対極にあるどっちかを選べばいいんだから。生きたかったら生きればいいし、死にたかったら死ねばいい。僕にそれを止める権利はないからさ」
「………………そうだよね。そうだよね」
「うん」
「………………」
「……でも、止める権利は無くても、いろりさんが死のうとしたら僕はそれを止めるよ」
「…………えっ」
「僕はいろりさんに死んで欲しくない」
「……どうして? どうして最初と意見が違うじゃん」
「そんなの、死んで欲しくないからとしか言えないよ」
「止める権利が無いんじゃなかったの?」
「その考えは今もあるよ。でも、それでも死んで欲しくないんだ」
「……ふうん」
「がっかりした?」
「えっ?」
「多分、いろりさんのことを今まで説得してきた人ってこういう説得をして来たでしょ」
「……まあ、そうだね」
「いろりさんが僕に興味を引かれたのはそれとは全く違う考え方をしてたから、だよね。そんな僕が誰でも言った台詞を吐くようになって、がっかりしたかってこと」
「…………正直」
「うん」
「ちょっと、嬉しい」
「……それはよかった」
これが暴論だって自覚はある。
感情論でしかないって自覚はある。
でも、そういうものだろう。
理屈を捨てたから感情論なのではなくて、理屈で語れないから感情論なのだ。
結局生きたいか死にたいかなんてそういう話でしかなくて、そんな単純なことが馬鹿野郎な僕たちには分かっていなかったのだ。
止める権利が無いだとか。
止める意味がないだとか。
そんなこと、分かりきっているのだ。
感情論で死を止める自分より、追いつめられて死を選ぶしかなかった向こうの方が理があることくらい分かっているのだ。
でも――――死んじゃダメ。
死んじゃダメなのだ。
理由なんて、そんなの「死んで欲しくないから」としか言えない。
誰も愛を説明できないのと同じで。
それでも、誰もが愛を抱きそして感じて生きているのと同じで。
それが当たり前のことなのだ。
そういうものなのだ。
やっと僕たちは、そんな当たり前のことに気付くことができたのだった。
「……………ねえ、二幹くん」
「なに?」
「……ちょっと、くっついていい?」
「……いい、けど」
「ありがとう」
そう言い終わる前に、いろりさんは僕の肩に顔を埋めていた。今度は確かに熱い。いろりさんの目元の厚さが伝わる。滲んだ涙が、僕の皮膚に熱を伝える。そして――僕の顔も、熱かった。
「でも、どうしていいか分からないのは本当なの」その体制のまま、いろりさんは言った。「死にたい。でも、二幹くんがいるなら生きてもいいかもって思える」
「……そうなんだ」
「うん」
「……そっか」
「……うん」
「…………」顔が、更に熱くなる。
「……こういう場合って、どうすればいいの? これは、教えてくれる?」
「…………。多分だけど」
「……うん」
「逃げればいいんじゃないかな」
「……………………」たっぷり間をおいて。「逃げる?」
「うん。その答えを出すことから逃げ続けるんだ」
「……何も解決してなくない?」
「解決できないよ、少なくとも今は。だっていろりさんは死にたいんだし、その理由もハッキリしないんだし。それに、無理に解決しようとした結果がこれでしょ」
「……そう、だけど」
「だから、逃げちゃえばいい。全部解決できそうなその時まで、この問題からは目を背け続ければいい。ずるずると、嫌なことから逃げて生きていればいいと思うよ。その手助けは、勿論するから」
「その結果、…………私が生きることから逃げたくなったら?」
「止めるよ、そりゃ」
「止めてくれるの?」
「当たり前だって」
「……結局何も解決せずに、でも死ぬことはさせてくれないんだ。それってすっごい残酷」
「…………ごめん」
「あはは、冗談。それでいーのっ」
「……いいの?」
「解決してないけど、でも今までと一緒じゃないから。ちょっとだけ――それはほんのちょっとだけかも知れないけど、でも私は、生きる楽しみを見つけられたから」
どんどんと僕の肩が熱くなるのを感じた。それと同時に湿っぽくなっていくのも。
いろりさんから涙があふれ出ているらしかった。
気が緩んで、今までため込んでいた分の涙があふれ出たのだろう。やがてそれは、僕の顔よりもよっぽど熱くなった。
やがていろりさんは呼吸を荒くして、苦しそうに喘ぎ声を漏らし始めた。「うっ――ぐぅ―ううああっ」。悪く言えば女性らしくない、よく言えば取り繕わない鳴き声だった。
僕はただ黙って背中をさすってやることにした。いろりさんは一瞬、驚いたようにびくっと身体を跳ねさせたけれどすんなりとそれを受け入れた。
号泣して体を震わせていたいろりさんも、――僕が撫でてあげたことが影響しているかは分からないけれど、段々と穏やかに呼吸が落ち着いてくる。僕はより一層、丁寧に背中を撫でるように意識をする。ゆっくりと、上から下へ、背骨に沿って。
「ありがとうね、二幹くん」
「いいよ」
「……ありがとう」
「いいって」
「…………あり、がとう」
「どうしたしまして。……どうしたの、急に?」
「――――すうー」
僕の素朴な疑問に帰って来たのは、そんないろりさんの穏やかな寝息だった。
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