第2話 ラブコメ

「じゃあ、野渡くんはよくここにいるの?」


「……うん、そうだけど」


「ふうん……」


「そっちは? どうして屋上に……」


 別に彼女が屋上にいる理由を知りたかった訳ではない。ただ話の流れ的に。会話が途切れるというのが、異常なまでに気まずくて嫌なのだ。


 僕の質問に対し、彼女は自分の唇に人差し指で触れながら視線を斜め上にやった。かと思うとニヤッと悪戯っぽく笑って、僕の目をじっと見てくる。僕は慌てて目を逸らした。


「もしかして野渡くん、私の名前分からない?」


 図星だった。僕はぎくりとして、ばつが悪く目を泳がせた。

 なんだか僕の質問に答えたくなくて話題を逸らされたような気もするが、それは別に構わなかった。会話が続けばそれでいいのだ。


「……ごめん」


 僕は素直に謝った。僕がクラスにあまりなじめていないとはいえ、クラスメイトの名前を全然覚えられていないというのは失礼だろう。相手としても、あまり快いものではないはずだ。


「いや、大丈夫だよ」彼女は優しい声色で言った。「私地味な方だし」


「そ、その理論だと、クラスに馴染めてない僕の名前をそっちが覚えてるのは変だよ」


「いや? だって、男の子でしょ、野渡くん」


 ……ああ、そうか。忘れていた。

 この星陵高校だと、男というだけで特筆事項なのだ。


「私は物部いろり。変わった名前だから、ちゃんと憶えてね」


「……物部さん」


「下の名前で呼んで。みんなそうしてるから」


「いろり――さん」


 恐る恐る彼女の表情を窺うと、いろりさんは満足そうに頷いていた。僕はほっとして胸をなでおろす。


「……変わった名前、だね」


 改めて彼女の名前を聞くと、うん、聞いたことはあるかもしれない。というか聞いたことがあるはずなのだ。最初のホームルームでの自己紹介の時に聞いていないとおかしいのだ。


 ……思えば、あの時に大量の女子の視線で萎縮してしまってまともに自己紹介すら出来なかったのが僕の孤立のきっかけのような気がする――これは今は関係ない話だ。


「そう言ってるではないですか」


 彼女は再び笑った。彼女と対面して十分程度だけれど、たったそれだけで僕は彼女に「よく笑う子だな」という印象を抱いた。


「でも、野渡くんだってちょっと変わった名前じゃない? 二幹つぐみくん……だよね。下の名前。それも十分変わってると私は思うのだよ」


「……僕はその名前が好きじゃない」


「どして?」


「女の子っぽいでしょ」


「あー」


 たしかになあ、という表情をするいろりさん。女の子っぽい名前だねとか可愛い名前だねとかいう言葉は、男のプライドを発言者の想像以上に傷つけているのだ。


「最後に『み』って付くからね、確かにそんな感じするかも。『み』って付く男の名前も、そんなにない訳じゃないんだけどね」だけれど、といろりさんは続ける。「だけれど、いろりって名前の方がいろいろ総合的に見て珍しいから、私と一緒に居れば中和されるよ、たぶん」


「なんだそれ」僕は苦笑した。「根拠もないし、無茶苦茶な理論だよ」


「そうかな」少し考えるような素振りを見せた後、いろりさんは頬をポリポリ掻いた。「そうかも」


 よく笑って、朗らかな、可愛らしい女の子。僕はいろりさんというクラスメイトについて、そう判断した。

 本人は地味だと自称していたけれど僕はそうは思わない、クラスで浮いていると知っていた僕にも話しかけてくれる優しさもあって、きっと男子とかにも人気があるんだろう。


 ……だけれどまあ、それらは僕には関係ないことだ。いや、全くということは無いかもしれない。同じクラスだから何らかの形で関わったり、時たま挨拶をしたりすることはあるかもしれない。


 けれど、それでも僕は僕なのだ。野渡二幹なのだ。女性が苦手で、男に対しても普通にコミュ症の野渡二幹。誰が可愛いとか魅力的とか、そういうのは壁の向こう側の話。対岸の出来事。


「……じゃあ、僕はそろそろ帰るよ」


 僕はいろりさんに一方的にそう告げると、くるりと回れ右して屋上の扉へと姿勢を向けた。突然の一方的なばいばい宣言に「あ、うん」と、いろりさんは少し面を食らった様だった。


 会話が苦手な人は話の打ち切り方が一番分からないのだ。これ豆知識。

 会話苦手マンな僕でもいろりさんと普通に会話をできたはずだった。たまたま出会って、少し話して、それで別れる。それは出来たはずだった。いろりさんの記憶には残っても印象には残らない、普通の行動をできたはずだった。


「……あ、ちょっと待って」


 だけれど、いろりさんは僕を呼び止めた。一般クラスメイト的会話を澄ませた僕としては今すぐここから立ち去りたかったのだけれども、一体何の用だろうか。僕はゆっくりと振り返った。


「……ここで私に会ったこと、内緒にしてもらってもいいですか?」


「うん、勿論……」


 言われずとも他言するつもりはない。他言する相手もいない。僕は二つ返事で頷いた。

 するといろりさんはほっとしたように胸をなでおろして、「ありがとうございます」とふにゃっと笑った。


 そんなに秘密にしたいことだったのだろうか?

 今更になって彼女が何をしようとしていたのか興味が少し沸いてきた。


「じゃあ、私も帰ろうかな」


「え、何かすることがあったんじゃないの?」


「うん、だけどここじゃ無理そうだから……」


 そう言っていろりさんは屋上をぐるりと一瞥。その時の彼女はどこか遠い目をしていた。そしてそのまま、足を一歩動かした。


 その時だった。「あっ」と彼女が情けない声を漏らした。それは先程前のめりに倒れた際の僕の声にとても似ていた。

 足を滑らせたのだ。よそ見をしながら歩き出して、苔に覆われた床に足を滑らせたのだ。


 こういう時って、どうしてだか時間がゆっくりに感じるものだ。スポーツ選手が感じるゾーンというやつに近いものだろうか。極限状態で時間の流れが遅く感じるというゾーン。

 身体はそこまで自由に動かせるわけではないのだけれど、時間が引き伸ばされているような感覚がある。本当に、わずかだけれど。


 だけれどそのわずかな時間の延長は、十分だった。僕がいろりさんの身体を受け止める、という判断をするのに十分な時間だった。


 両手を広げて、足も軽く広げて、来たる衝撃に備える。――とん、と。想像していたよりも三倍くらい軽い衝撃。そして、甘いにおい。僕の半分くらいの細さの髪の毛が僕の鼻をくすぐった。


「……えっ」


 まさか受け止められると思っていなかったのか。いろりさんが僕の肩に顔を埋めながら、困惑したような声を漏らした。そしてやや間があってから、「あ、ありがとう……」と辛うじて聞こえるような声量でお礼を言ってくれた。


「……ど、どど、どういたしまして」


 普通に言葉を返したつもりだったけれど、どもりまくりだった。そして顔が異常に熱い。前髪の生え際の辺りから汗が噴き出す。むしろ僕の方が恥ずかしがっているんじゃないかという状況だった。


「……あの、いろりさん」


「な、…………なにかな?」


「……は、離れないの?」


「――あっ!」


 いろりさんは慌てて後ずさった。その際にまたもや足を滑らせ、だけれど今度は僕の肩を掴んでそれを支えにして踏ん張った。「えへへ……」と顔を真っ赤にして、気まずそうに力なく笑った。


「結構恥ずかしいでありますよ」


「……それは…………僕も同じだけど」


 口に出して、余計に恥ずかしくなる。さっきの接触を再び認識してしまい、それを僕が結構意識していることを教えてしまって、超恥ずかしかった。

 それはいろりさんも同じらしかった。空はまだ青いのに夕焼けのような色になっていた。だけれど僕もきっと同じようなものだろうことは容易に想像ができた。


 僕は彼女の顔を見ているのが辛くて――女性が苦手とかそういう理由じゃなくて見ていられなくて、首を下に向けた。


「でも……入り口近くで良かったよ」無言もなんだか気まずかったので、僕は話題を必死に考えながら口を動かしていた。「フェンスの近くだったら、落ちちゃってたかもしれないし。結構高い所まであるとはいえ、思いっきりぶつかったら敗れちゃうかもしれないし」


「落ちる……。そうだよね、落ちる…………」


 するといろりさんは顔色を大分元の色に戻して、その言葉を何度か口の中で反復した。ぶつぶつと何度も呟くものだからどうしたのだろうといろりさんの顔を見ていたのだけれど、「あ、ごめん、なんでもないの」と僕の視線に気づいたいろりさんはすぐに緩い笑みを作った。


「……大丈夫?」


「大丈夫っ。ちょっとなんか……うん、まあ、色々あるのですよ」


「色々あるのですか」


「そう。思春期だから」


「……まだ終わってないの?」


「だから詮索しないでくれると嬉しいな」


「分かった」


 僕は即頷いて――そして鞄を持ってその場を去ろうとした。いろりさんを受け止めたことで中断していた帰宅のモーションを再開する。


 だけれど――だけれど、弱った様な、縋るような。そんな上手く表現の出来ない、有体に言えば「弱い者の目」。いろりさんがそんな目で僕を見つめることが気に止まって、またもや僕は帰ることが出来なかった。

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