三話/戸波衣澄は間に合わない
──直感、というものを私は信じていない。
何故なら私、戸波衣澄はそんなものを一切備えていないからだ。一家まるごと霊感があるというのに、私だけ全くなにも感じたことはない。
父親はお祓いで一部の界隈で有名な霊能力者だ。父にとって幽霊はもはや生活の一部だ。たまに生きてる人間と間違えて平然と話をしているのを私は見ていた。
姉も父も、今は亡き母もよく言っていた。私は神に祝福されていると思えるほどに悪霊祓いの才能があるのだ、と。
そんなのは知らない。私には見えない。聞こえない。感じもしない。だって私にはお母さんを守れなかった。お祖父ちゃんを、お祖母ちゃんを守れなかった。
夕神学園は霊界と繋がっている────父のいる業界では有名な話だ。胡乱な話だが、少なくともその業界ですらヤバいと言わしめる程に居るという。
私はそれを知って、私もそこに言ったら見えるようになるだろうと思って入試を受けた。悪意の霊に曝され続ければ見えるようになるとかいう与太話もある。
結果は分かっていた。全く見えるようにはならない。ついでのように『霊退治をしてきなさい』と言われたのでそれはしっかり受けた。
見えず、感じずとも霊能力者の端くれ。学費の足しにもなる。それに霊が大量に居るとなれば必ず人に障害をもたらすだろう。
それは、見過ごせない。
「あれ、木幡くん……?」
教室を出た私は、振り返った。なにもおかしいところはない。なにも感じない。普通の廊下で、普通の学校で。
──だから私がそれに気付いたのは全くの偶然だ。
「居ない?」
さっき別れた木幡くんが廊下に居ない。教室にはきっともう用は無いはずなのに。
いつもなら気のせいだと思って帰ろうとするかもしれない。単なる気紛れ。気が向いたから、それだけで引き返す。
「……木幡くん?」
教室を覗く──誰も居ない。
木幡くんが居ない。窓は、廊下の窓だけ開いていた。
私は木刀を引き抜いた。
霊退治はもう少し準備してからやるつもりだったのだが。もしかして私はとんでもなくこの夕神学園を甘く見ていたのかもしれない。
どこにも木幡くんが居たという痕跡がない。机は揃っているが、荷物は無い。帰ったというにはおかしい。
「あれ? まだ帰ってなかったの? いっちゃん」
「紗智さん!? 何で居るの!?」
「そりゃあかわいいかわいいいっちゃんがクラスに馴染めなかったらどうしようとか泣いてないかな? とか心配になる姉心だよー?」
山西
だから、まさか今日会えるとは思っていなかった。
以前と変わらない様子で、紗智さんは近寄ってくる。
「ねぇ、紗智さん」
「紗・智・先・輩って呼んでね?」
「紗智さん」
「えーつれないね、いっちゃん」
「何でそんなに重装備なの?」
「……ははっ、やっぱりいっちゃんは気付くか」
そう言って紗智さんが取り出したのは護符。護符。護符護符護符御守御守護符護符護符護符──無数の、護符。
「そんなに太ってなかったでしょ、紗智さんは」
「あれ、誉めてる? 嬉しいねぇー」
「わっ、紗智さん、やめっ」
紗智さんは陰を感じる笑顔を作って、私を小突いてきた。懐かしいけれど、違う。紗智さんはこんなに暗い顔をするような人ではなかった。
──なんだか、とても、怖い。
「で、衣っちゃんや? 誰を探してるんだい?」
「えっと、木幡くんて、席が前の男の子」
「男の子! 何? イケメン?」
うわっ、ちょっと反応に困るなぁ。イケメンってどこまでがイケメンなのか分かんないし。
「あーごめん。どんな子?」
「紗智さんさ、私がここの霊退治請け負ったんだ」
──紗智さんはその言葉で、ゾッとするような虚ろな表情に変貌した。
「──── ね ぇ 、 衣 澄 ? 確か霊は 見 え な か っ た、よねぇ?」
あまりにも、紗智さんの表情には何も感情と呼べそうなものがなくて。それが、怖くて声が咄嗟に出なかった。
紗智さんは顔を伏せ、私は大きく息を吐いた。気付かないまま息を止めていたのだ。気付けないほどに、紗智さんの変化が怖かったのだ。
そして、気付いてしまったのだ。
「そういうこと。わかった。木幡くんってのがどんな子か知らないけど、わかった」
──紗智さんは夕神学園に来てから霊感を失っている──!!
「体育館裏の倉庫よ。早くしないと、その木幡くん? 死ぬほど怖い目に遭うわよ」
私は、その言葉と同時に廊下の窓から外へと飛び出した。
──迂闊だった!! 本当に甘かった!! この学園の事を甘く見てた!! なにせずっと霊が沢山いる学園だから霊は人に危害を加える気がないんだって私は思い込んでた──けど!!
「──早くしないと、木幡くんが」
──私のせいで、木幡くんが。
私が木幡くんの見た幽霊を消したからだ。私が木幡くんに霊を見る眼になるように頼んだからだ。木幡くんに除霊の力を見せたせいだ。木幡くんに見えるかどうかを聞いたからだ。私が木幡くんと席が前後だったからだ。私がこの高校に入学したからだ。
違う? いいや。違わない。私のせいだ。誰も守れない私のせいだ。私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ!!!! 私のせいで!!! 私が居たせいで!!!
渡り廊下を疾走する。何回も人にぶつかったかもしれない。ただよろけただけでぶつかってないかもしれない。分からない。走った。校内の配置を把握していないけど、とにかく体育館を目指して走った。
渡り廊下は終わらなかったので木刀を振り回した。渡り廊下は途中から切れて歪んで溶けた。
猛烈な向かい風が襲いかかって来たので木刀を振り下ろす。すっぱり真っ二つに。
机や椅子が飛んできたので、木刀を盾にして疾走した。
体育館に着いた。それにしては、あり得ない距離を走った気がするけど、どうでもいい。木幡くんは無事?
「……はぁ、はぁっ」
体育館裏の倉庫、案外早く見つかった。入り口に手を掛け、ガチャガチャと揺らすが、開かない。抵抗がある。鍵が掛かっているのだろう。
──今から鍵を取りに行く?
──駄目、間に合わない。
「……いやだ」
その言葉は自然と口から零れた。
「木幡くん!! 居るの!?」
「──────。」
何か聞こえた──木幡くんの声?
「い、今、開けるから!!!」
木幡くんが、中に居る。急がないと。
扉を蹴る。蹴った。重ねて蹴った。
鍵? それは木幡くんの無事より大事なものなの?
そんなわけないじゃない。壊してしまえ。
「────ろ」
木刀を振り上げる。振り下ろす。振り上げた。滅茶苦茶に叩き付けた。
木刀がミシリ、と軋む音を立てた。何度も打撃を受けた倉庫の扉は僅かに歪み、その間に隙間が生まれていた。
「今開くから! 危ないから離れていて!!」
隙間に木刀を差し込む。扉と擦れて木刀は耳を塞ぎたくなるような嫌な音を立てた。
「──戸波さん──」
木幡くんの声だ。かなり疲れた様子の声だけれど、聞けて安心した。
今、助けるから。
「っ、しょ!!!」
────ぼぎ、ん。
木刀は半ばから折れた。そのお陰でさらに歪んだ扉を遂に私は蹴破った。
やった。
「木幡く──」
「戸波さん後ろを見ろ!!」
「え」
必死の形相で木幡くんが叫んで。
私は振り返って。
「ああ、もう!!」
──思い切り引っ張られた。
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