二.

 若い娘が階段の方へ向かったので、とにかく下りたか上ったかということだけは分かる。しかし、どの階に行ったのかまでは分からない。この老体は最近階段の上り下りも辛いので、昇降機を使ってまずは5階へ下りてみることにした。

 5階は6階と全く変わらぬ光景である。正確には、地下から15階まで全て同じ光景であるので、老爺は何度か自分が今どこの階にいるのか分からなくなったことがある。本棚の配置も一緒なので、今に限っていえば、若い娘を探しやすい。本を探すふりをしつつ、あの娘を探してみるが、この階には客が一人いるだけであった。一体どこに行ったのか見当もつかないまま、次は上階へ行ってみることにした。

 7階に上がってみたが、ここにもいない。しかも、いるのは老爺一人である。また上階に行ってみようと、とっとと昇降機に乗り込んだ。



 8階には老爺の他に、二人ほど客がいた。そして――あの若い娘が自分の背後から現れたとき、老爺は心臓が止まりそうな感覚を味わった。くだらない理由で死ぬのは御免である。若い娘は当然ながら老爺のことなど気にも留めず、傍を通り過ぎて行った。

老爺は視線を本棚に向けつつ、それとなく若い娘を追う。ふと、不振なのは若い娘の方ではなく、自分なのではないかと思ってしまったが、もう後には退けない。このあと若い娘がどうなるのか見届けることを老爺は決めた。すると、その若い娘はまたもや本棚と本棚の間に入る。老爺は適当にそこら辺の本を素早く手に取ると、娘の近くにある机に座り、本を読むふりをして娘の方に目を遣る。若い娘はぴたりと本棚の前に足を止めると、先程目撃した奇妙な動きをまた始め、そして何かに失敗したように肩を落とした。いよいよ老爺はこの若い娘が本当に不気味になってくる。やはり職員に報告した方が良いのではないか、と決めかけたそのとき、老爺の目の前を、派手な格好の女が通り過ぎた。――この書架楼の司書である。司書は若い娘に近付くと、

「あ、琴緒ちゃんここにいた」

 と気さくに声を掛けた。よく見えないが、若い娘の方もどこかほっとした様子で史書に返事をした。二人共ここにいる客に気を遣って話始め、老いた耳にはその内容は殆ど聞こえない。だが、

「本当ですか!?」

 と、若い娘こと琴緒という娘が叫んだときは吃驚してしまった。そして、その後の二人の様子から、娘は客ではなく、ここの司書であることが何となく分かった。それから二人は何かを話し合ったあと、そっと8階を出て行った。

 二人が去ったあと、老爺は本に目を落とし、そして考える。〝あの司書らしき娘は一体何をしていたのか〟と。何やら見えないものを捕まえようとしていたようだが、彼女には一体何が見えていたのだろうか。いっそあの司書に訊いてみよう、と一瞬思ったが、そんな勇気などやはり一握りもなかった。もう、あの地味、というよりは職員二人に比べて至ってまともな格好の娘の、不思議な行動については考えないことにした。

 ふと老爺は、6階に読みかけの本を机の上に置きっぱなしであったことを思い出し、誤魔化す為に出した本を元に戻して、6階へ向かった。



 読みかけの本の表紙を見つけた老爺は、ようやく落ち着いて読書に戻る。昇降機で移動した筈なのに、何故かどっと疲れた。よくよく思い返すと、若い娘を追いかけて付かれた、ということ自体、やはり自分の方が不審者である。とことん自分が情けなくなり、今回のことは絶対に妻に言ってはならないと肝に銘じた。――そして、書架楼から家に帰った老爺は、妻への土産を買うことをすっかり忘れてしまっており、またもや自分が情けなくなったのであった。


―了―


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