四.
書架楼の地下にある書庫は、上階よりも埃っぽく、古書特有の匂いがより強く漂っている。人の気配は上階と比べると殆どないが、少し奥に行った所に、査定の仕事今はないのか、古書をめくっている草吉さんの姿があった。
「ああお二人とも、その様子だと怪書は捕まえられたようですね」
草吉さんが柔らかな調子でそう言った。
「うん。草吉さんに相談して良かったよー。それに、琴緒ちゃんの話がなかったら、私の推理は成立しなかったしね」
「え、私の話…ですか?」
「そう。琴緒ちゃんの証言がなかったら確信が持てなかったからねー」
文子さんはそう言ってくれたが、私自身は何もしていない。司書の仕事に加え、怪書の相手など出来るのだろうか。
「それにしても、館長に僕と文子さん以外で怪書が見える人に、初めて出会いましたよ。吾妻さんはどうやら不思議な力をお持ちのようですね。以前にも怪書のようなものが見えたことはあるんですか?」
「いえ、こんな不思議な体験は初めてです。今でもまだ半分、夢を見ているのではないかと…」
私はなぜか笑いが出てしまった。
「ほう、ということは、この書架楼に来てから見えるようになったわけですね。…もしかすると、書架楼に来たからこそ怪書が見えるようになったのかもしれません。ますます頼もしくなりましたね」
「はあ…」
草吉さんには悪いが、私に怪書の相手は荷が重い。頼りない声を出してしまうと、
「もー、琴緒ちゃんは今日が初仕事なんだから、あんまり圧を掛けちゃ駄目だよー」
と、文子さんが私の心情を察したのか、助け舟を出してくれた。
「そうでしたね、すみません。仕事はゆっくり覚えていただければ。怪書も、今後見つけることがあれば僕か文子さんに教えてください」
「わ、分かりました」
自分の不甲斐無さのせいで文子さんと草吉さんに気を遣わせてしまったことに気付いた途端、申し訳なくなった。とはいえ、怪書についてはまだしばらく文子さんと草吉さんに頼らなければならないだろう。
「あ、そうだ。怪書を禁書書庫へ持って行かないと」
「それなら僕も久し振りに行ってみましょう。吾妻さんに禁書書庫の場所も教えますね」
「は、はい」
私は間の抜けた返事をすると、二人は禁書書庫へと向かう。私はまたもや親鳥に必死について行く雛鳥のように、二人の後にくっついて行った。
禁書書庫は書庫の中でも一番奥の更に隅に、そこに繋がる扉があった。かなり年季の入った木製の扉には〝関係者以外立入禁止〟の看板が掛かっている。こんな言葉を見たら、入りたくなってしまうのが人間の性だが、しっかりと施錠されているのは草吉さんが鍵を開けたことで分かった。これで本当に、当然ながら絶対に関係者しか入れないので、興味本位で入ろうとする人間は諦めなければならない。
扉から先に入ると、更に地下へと降りる階段があった。草吉さんは扉のすぐ傍にあったスイッチを点けると、階段に明かりが灯る。階下が見えないので、禁書書庫はかなり下にあるらしい。バラバラな足音を立てて、木とカビの臭いがする狭く長い階段を下りていくと、やがて階下が見えて来た。最期の一団を降りた瞬間、私は息を呑んだ。
――銀を始めとして金・銅・赤・青・黄・緑など、色とりどりの控えめな輝きが、広大な空間全てを埋め尽くしていた。幻想的な光景に私が言葉を失っている内に、文子さんは先程捕まえたばかりの怪書を、本棚に収めていた。
「…怪書は昔〝不解読書〟つまり全く読み解けない、という意味で先代の館長が名付けたそうです」
怪書の海に見惚れている私に、草吉さんはそう語り出した。
「それが転じて今の〝怪しい書〟という意味の怪書になったそうですが、文字は変わっても怪書の正体は未だに掴めていないんです。一応僕と館長とで研究は進めていますが、彼らが妖怪の類なのか、思念体の類なのかもはっきりと分かっていません。ただ、陽の気を込めたあの栞で鎮められることは分かっているので、鎮めた怪書はとにかくここに置いておく、という状態です」
「そうだったんですか…」
私は草吉さんの話を受けて、また怪書たちの方へ目を向ける。彼らはこの暗く広い空間に収まっている間、何を考えているのだろうか。そもそも、感情はあるのだろうか。
「怪書は殆どが白紙の場合が多いんだけど、たまに滲んで全く読めない文字が書かれているものもあるんだよね。本は本なんだろうけど、元は一体何だったのか、っていうのも気になるよねー」
怪書を本棚に仕舞った文子さんもこちらに来て、会話に参加した。全頁白紙というのもそうだが、滲んで読めない文字が書かれている怪書の存在も謎を深めている。やはり、元は何かの本だったのだろうか。
「でも、怪書が見える人が増えたお蔭で、怪書の研究も進むんじゃないかな?」
文子さんは草吉さんに話を向けた。
「そうですね。これまでの怪書の動きや、捕まえることの出来る法則はバラバラですが、怪書を目撃する機会が増えれば情報もより多く集まって来ますし…そうすれば怪書のなんらかの法則を見出すことが出来るかもしれません」
草吉さんはどこか嬉しそうに話した。しかし、先刻も断ったように、私に怪書の相手が出来る自信は今のところ殆どない。
「まあとにかく、今回の怪書の事件は一件落着だよね! 琴緒ちゃんもお疲れ様!」
またもや私の不安を察したように、文子さんは私を気遣う言葉を掛けてくれた。
「ええ、本当にお疲れ様でした。…ところで、司書の仕事指導は進んでいますか?」
「あ、途中だったねー。よし、気を取り直して書庫から案内するね!」
「はい、お願いします」
文子さんは意気揚々と書庫へと戻る階段へと向かった。私は草吉さんに礼をすると、草吉さんは微笑んで軽く礼を返してくれた。
――書架楼の司書業務初日から、まさかこのような奇怪な目に遭うとは思わなかった。司書の仕事でさえも務まるのか不安であったのに、怪書という存在も相手をしなければならないことに、より強く不安を感じる。しかし、ここに来た以上、私はその役目を全うしなければならないということも、私自身痛感している。これから何とか頑張ってみよう、と改めて決意を固めつつ、私は文子さんに続いて怪書で一杯の禁書書庫を後にしたのであった。
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