三.

 ――それから二度ほど怪書に遭遇したが、手に取る前に逃げられてしまった。私は5階を諦めて上階へ向かい、一階ずつ見て回ることにする。昇降機は来るのに時間がかかる上にお客さんも使うものなので、階段を使うことにした。

 6階は5階と同じく、視界が本と本棚で一杯になってしまう空間である。というよりも、2階から15階まで全てこのような空間であり、地下の書庫も加えると常軌を逸しているとも言える。繰り返しになるが、私は本が好きであり、書架楼は理想郷そのものである。しかし、今は状況が違う。本の中で本を捕まえるのに、ここまで困難な場所はないだろう。今ばかりは、この本たちが恨めしい。出来れば文子さんがもう捕まえ、鎮めてくれていたらいいのに、と他力本願この上ない思いが頭をよぎる。それに、よくよく考えてみると、不気味な本をどうこうするということ自体がおかしいのだ。こんな変な図書館に来てしまったことを今更後悔しながらも、紹介してくれた父の面子もあって辞めることは出来ない。私はこのけったいな図書館と本に、慣れるより他はないのである。

 6階には2人ほどお客さんがいたので、もし見つけた場合は静かに捕まえなければならない。なるべく足音を立てずに、そろりと一か所ずつ本棚を見てみる。途中で本を探しているお客さんの視線を感じたが、何とか平常心を保ちながら怪書を探す。一通り見て次の本棚へ行こうとしたとき、この階の一番奥にある本棚に、不意に銀の輝きが見えた。急いで捕まえようとしたが、先程駆け寄ったときに逃げられたことを思い出す。ゆっくり接近すれば怪書も気付かないのではないか、と蜻蛉を捕まえるときと同じ考えが浮かび、ものは試し、と実行してみることにする。息を殺し、ここを歩いて来た以上に足音を立てないようにゆっくり、じりじりと近付いて行く。怪書は特に反応することもなく、ただその本棚に当り前のように収まっている。怪書に手を伸ばせば捕まえられる、という距離までついに辿り着いた。気取られないように、ゆっくりと腕を動かし、少しずつ怪書に触れようとする。が、

「あ…」

 怪書は私を嘲笑うかのようにまた消えてしまい、私の方はというと間抜けな声が出てしまった。――ここで私の闘志に火が点く。あくまで主観ではあるが、私は競うことを好んだりはせず、むしろなるべくそんなものには関わり合いたくない性格である。しかし、こうもおちょくられ続けると、怪書に馬鹿にされる気分になってきた。こうなったら、何が何でも銀の怪書を捕え、鎮めてやる。

 それから意地になって6階中を探したが、一度も怪書とは遭遇しなかった。



 私の怪書探索は続く。7階に上がって血眼になって探す。この階にお客さんはおらず、そして怪書も見つからなかった。あちこち本棚の間を行き来し、ぐるぐると回っているとさすがに目も足も疲れて来た。ここは切り上げて8階へ向かう。8階には3人お客さんを見かけた。しかし、今はお客さんの目を気にしている余裕はない。と、思っていた先から憎たらしい銀色が見えた。ゆっくり近付いても無意味だということはしっかり学習したので、遠慮なく捕まえようとする。そして案の定、あっさりと怪書には逃げられてしまった。

 見つけては捕まえようとして逃げられる、という繰り返しに辟易し始めたが、先程の決意を簡単に翻すわけにはいかなかった。小さく溜め息をついて、また怪書を探そうとしていると、

「あ、琴緒ちゃんここにいた」

 文子さんの声が背後からしたので、ゆっくりと振り向いた。文子さんは相変わらずふわふわとした雰囲気であり、怪書のことなど気にも留めていなさそうである。

「文子さん…あの、怪書の方はどうですか?」

「まだ捕まえられてはいないけど、怪書の動きの傾向は分かった気がする」

「本当ですか!?」

 吉報に思わず叫んでしまい、私は慌てて片手で口を塞いだ。文子さんは特に注意することもなく、笑顔のままである。

「すみません。それで、傾向というのは?」

「うん、私は3階から怪書を探したんだけどやっぱり捕まえられなくってね…。それから暫く怪書を追いかけていて考えてみたんだけど、私が怪書を見つけた階には、必ず一人以上のお客さんがいるの。逆に誰もいない階では見つからなかったんだ。琴緒ちゃんはどう?」

 文子さんに問われ、私は今までの怪書探しを思い返してみる。5,6そして今居る8階では怪書に遭遇し、唯一7階では見かけなかった。その共通点は、お客さんの有無――私は一驚した。

「た、確かにそうです! 人がいる所に現れるということですか!?」

 声はなるべく抑えようとしたが、それでも文子さんの観察眼に驚嘆せざるを得なかった。

「琴緒ちゃんの話と併せて考えると、私の推測は間違いないようだね。ここからは私の推理なんだけど、怪書を見ることが出来る人間が一人以上いれば、怪書は必ず現れて捕まえることが出来ると思うんだ」

「な、成程…!」

 私は文子さんの推理に全く異論はなかった。怪書についてよく知っているからこそ、出て来た推理なのだから。

「それじゃ、早速検証といこうか。二人で探せば見つかるはず!」

「はい!」

 また大声を上げないように気を付けつつ返事をして、先に動いた文子さんについて行く。連れ立って歩いていると、早速少し先にある本棚に怪書を見つける。文子さんと私は一旦足を止めた。

「さあて、ここからは私の推理が合っているかどうか実践してみるとしますか。琴緒ちゃんも援護お願い」

「分かりました」

 文子さんが栞を取り出すのを見て、私も真似をした。私と文子さんはじりじりと怪書に近付いて行く。一歩、一歩と接近していくが、怪書は逃げる素振りを見せない。ふと私は一瞬、ここで怪書にまた逃げられてしまったら、ということを心配したが、

「よっ、と」

 ――実にあっけなく、怪書は文字通り文子さんの手中に収まってしまった。ガタガタと全身を震わせて抵抗を見せる本の姿は、ただただ不気味である。文子さんは怪書をこじ開けると、さっと栞を何も書かれていない頁に挟んだ。すると、怪書はすん、と大人しくなってしまった。文子さんが怪書を閉じると、銀の輝きは鈍いものへと変わるのが分かった。これが怪書の〝鎮め方〟なのだ。

「どうやら私の推理は当たっていたみたいで良かった。さて、これを書庫の方まで持って行きますか」

 文子さんは朗らかに私にそう言うと、怪書を両手で抱えて踵を返した。私はただ言われるままに、文子さんについて行った。

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